特集 私の、ケツダン

持ち寄ってつくられる、第三の子どもの居場所。<鳥取県・米子市>

「居場所」とは自分で作るものだろうか、それとも誰かに用意されるものだろうか。そして、どうして僕らは「居場所」を求めるのだろうか。水田さんの話を聞いて、その答えに少しだけ触れられたような気がした。

鳥取県米子市の市街地から、車で20分ほどの皆生温泉という街で暮らす水田美世さんは、4年前に埼玉県から故郷に戻ってきて、「ちいさいおうち」という場所を始めた。その場所は彼女のご両親が中心になって活動している、いじめ、不登校、虐待などの問題に取り組む「子どもの人権広場」という市民団体が、1998年に「子どもの居場所」として開いた。2016年には「ちいさいおうち」という名前が付き、会員以外にも活動をオープンするようになった。

鳥取県倉吉市の出身である僕が、米子市で暮らす水田さんとよく会うようになったのがいつなのか、はっきり思い出せない。映像をつくることを生業にしている僕の映画上映会にはよく来てくれるし、彼女が主宰するウェブマガジンでは映像コラムを連載させてもらっている()。でも僕は彼女のことをほとんど知らない。知っていることといえば、同い年だということくらい。

このたび、まだ新築の木の香りの残る「ちいさいおうち」で、水田さんのことをはじめてちゃんと聞くことになった。

写真・文:波田野州平

居場所をもとめて、
戦っていた学芸員時代

故郷である鳥取県米子市に帰ってくるまで、水田さんは埼玉県川口市にある美術施設「アートギャラリー・アトリア」で学芸員として働いていた。そこは、作品を所有しない、保存しないというポリシーを持ち、今生きているアーティストと何ができるかを軸に活動していたという。彼女は、若手アーティストの発掘や、アーティストを小・中学校に派遣して子どもと一緒に行うプロジェクトを手がけていた。

「現場には、誰か先輩がいるわけじゃなくて、同年代の若い女性スタッフばっかりで、すごくおもしろかったんです。みんな非常勤だったけど、このままじゃいけないよねっていう思いは共通してて、専門の学芸員を置くべきだっていうのを市に提案したり、その段取りを自分たちでつけたり……。自分たちで考えて行動することができる場所だったんです。
たまにはケンカもしましたけど、それも楽しかったですね。自分の好きなことで、いろんな人とやりあって話をするのが楽しかったなあと、今になって思います」
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水田さんの口から、“ケンカ”という言葉が出てくるのに驚いた。僕の勝手な想像だが、“やりあう”という言葉に表されるような環境で過ごし、それを楽しんでいたとは、今の柔らかく人当たりの良い彼女からは想像ができなかった。

「自分の居場所を作っていこうとして、糸口が見つかりはじめていたので、その職場を離れるつもりは全くなかったんですけど、だんだんと意識が変わりましたね。仕事はすごい楽しくて、自分たちで築き上げてきた感覚はあったけれど、でもそれは自己満足なんじゃないかと。自己満足でもいいけど、狭い世界の中で戦ってることに意味があるのかと思うようになりました」

彼女は働きながら、がんばって自分の居場所を築き上げようと戦っていたという。それはもしかしたら、自分のために働いていたということかもしれない。そして、少しずつそのことに窮屈さを感じ始めたのだろうか。

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「小さい頃から、ものを見て、『なんでこういう形になってるんだろう』とかを考えるのが好きだったんです。こういう楽しみを追求するにはどういう分野がいいのかな、それはなんとなく美術なのかなという感じで学芸員になる道を選びました。
私は、ああじゃないかこうじゃないかって話すのがすごく好きなんですよ。真理を探るのを、ひとりじゃなくて誰かと共有してやるのが楽しい。でもある日、別に美術って名前がついてないところでも、楽しめるんじゃないかって思ったんです。普通にご飯を作ってて、この素材の色合いってきれいだなとか、これとこれを組み合わせるとすごくおいしくなるとかってあるじゃないですか」

彼女が言うように、美術と名前がついてないところでも心を動かすものや瞬間はたくさんある。それは思えばすごく当たり前のことだ。美しいと思うものが日常の中にあり、それをなんとかして形にしたのが美術なのだから。彼女は自分の居場所を築き上げようと戦ううちに、そんなごく当たり前の瞬間を見落としていたことに気づいたのかもしれない。

「そういうのを発見したり、誰かと共有する場所って、いくらでもあるんだろうなってことに、だんだんと気付いていったんです」

真理の追求ではなく、共有。誰かと一緒に楽しむこと。今の水田さんと話していると、彼女が本当に追い求めていたのはこちらの方だったのかなと思う。

子どもを持つと、その成長の過程でそこかしこに、「美術と名前がついてないところでも心を動かすものや瞬間」に出会う。もしかしたら、このまま狭い世界の中で戦っていてもいいのかなという疑問は、彼女が子どもを持ち、日常の中の美しい瞬間に出会うことで、少しずつ大きくなっていったのかもしれない。ただ、子どもを育てる日々はそんなに平穏で美しい瞬間だけではもちろんなかった。

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故郷へ帰る踏ん切り。
「楽しいことは作っていける」

米子市で長男を里帰り出産したのが、2012年。育休後、自分が企画したプログラムが残っていたために、「米子で働いてもいい」と言ってすでに米子市で就職を決めたご主人を残して、埼玉へ戻り職場復帰する。

ご主人と離れて、小さい長男と二人で暮らすことを、「夫や両親にはやめとけよって言われたけど、私もやりたいことあるし。自分の意地を通させてもらった」と笑いながら話す。そして、無知だからこそできたのだと、そこからの大変だった子育ての日々を素直に認める。
「仕事をしてる時間の方が楽でしたね。子どもと違ってちゃんとコミュニケーション取れるから」

今までやってきたことに疑問を感じながらも、そう簡単にそれを捨てることはできない。そして同時に、新たに生まれた環境にも待ったなしで対応していかなければいけない。難しいことだと思う。それは彼女が女性で、それが子育てだから難しいというだけではない。誰だって何かを選択するのは簡単なことではないと思うからだ。彼女の話を聞いていて、ぶれずに貫き通す形ではなく、どうしようかと揺れながら導かれる形だってあるのではないかと感じた。

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「それで、二人目の子ができたら、踏ん切りをつけて、もう帰ろうって決めました。もともとは、学芸員になってキャリアを積んでいこうと思ってたけど、米子に帰ったら帰ったで、何か楽しいことを見つけたり、作ったりできるだろうなっていう気持ちになったんです」

その決断を聞きながら、物事を変えるのは自分の意思ではなく、具体的なことなのだと思う。決断のあとで、その具体的なものが与えてくれた意味に気付き、受け入れることがある。そうやって今の自分に納得することがある。

ふたりの子どもたちが幼稚園から帰ってくる時間となり、バス停へお迎えに行く。子どもたちと幼稚園であったことを話しながら両手をつないで歩く水田さん。自分の居場所を作るために戦ってきた彼女を、その舞台から降ろしたのはこの子どもたちだっただろう。今の彼女の姿からは「踏ん切り」という言葉よりも、そのあとに続いた「楽しいことを見つけたりできるだろうな」という前向きな言葉の方を感じる。
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わたしに必要だからやる。
「ちいさいおうち」 

ちいさいおうち」の隣には、水田さん家族の暮らす家がある。もともとここはある会社の社宅があった。使われなくなったその建物の一部を、「子どもの人権広場」が月に1、2回「子どもの広場」という名前で、家庭や学校とは異なる子どもたちの居場所として提供していた。

その建物を壊して水田さんが家を建てようとした時、「子どもの広場」に愛着のある人がたくさんいるということで、その活動を引き継ぐ場所として、2016年、「ちいさいおうち」を建てることになった。そしてそれを機に、水田さんはこの場所を管理することになった。
ここでは子どもたちと誕生会や季節の行事が行われるほか、小さい頃から利用していて、今では大きくなった子どもたちが世話人となって、自然学校やワークショップなども行われている。時には憲法について学ぶ場など、子どもだけではなく、大人にも開かれた場所にもなっている。

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「両親が、がんばって20年間「子どもの人権広場」という活動を続けてきたのをそれなりに見てきたし、こっちに戻ってみると、『ああ、すごい活動をしてるんだな』って思うんですよね。でも二人ももう70代だから、いずれ引退することになる。

そう思った時に、「子どもの広場」ならできるかな、やりたいなと思ったんですよね。私も自分の子どもとの関わり方に不安になる時もたくさんあるから、ここに来る人たちに自分の子どもも見てもらって、私も見守ってもらえればいいなあって。子どもにとってもいろんな人と関われることはいいことだし。だから、よしやろう!ってはじめたというより、私にとって必要だからやるっていう気持ちで始めましたね」

米子に戻った水田さんが始めた場所作りは、自分だけのためのものではなかった。同じ思いを共有できる場所、時には誰かに頼ってもいい場所。そうやって閉じていた手を広げると、その手を握ってくれる人はいるものだ。

「誰もがそれなりに苦労はあると思うんです。ここに来て、おもてだってそういうことをみんなでしゃべったりはしないんですけど。心に抱えていることってみんな普通にあるよねっていう、弱い部分を隠さずに認めているというか。ここに継続して来ている人は、そういう弱いところもあった上で、一緒にできることを持ち寄れるっていうのがうれしい、楽しいって人たちなのかなと思います」

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気付いたらできていた
みんなの居場所

インタビュー中、学校を終えた子どもたちが続々と集まってくる。この日は、みんなでスイートポテトを作る日だった。子どもたちはお菓子を作りながら、テラスに墨で落書きをしたり、追いかけっこを始めたり、同時にいろんなことをして遊んでいる。

ある子どもが、駐車してある高級車のボンネットに飛び乗る。それを見て、僕は思わずたじろぐ。が、それを見ている水田さんは何も言わない。僕はこの場所に来てからずっと、水田さんの子どもたちへの接し方に、独特の距離感を感じていた。他人行儀というわけではないのだが、すごく親密というわけでもない。遠くも近くもない、すべての人に対して等距離。

「うまく環境に合わせて生きていける人もいるけれど、そうじゃない人もたくさんいるんですよね。たとえば、精神的な障がいがあっても、一見普通に元気に見られてしまうから、それがすごくつらいという人もいる。そういう他の人と違う部分を自分で認めるのは難しいけど、でも別にわざわざ認めたり、気にする必要もなく過ごせる場所があるっていうのは、大事だなと思っています」

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「子どもの居場所」と名付けられたこの場所に、僕が感じた距離感。それは子どもに対して、「明日から来なくてもいいし、来たかったら来ればいいんだよ、どっちでもいいよ」という構わなさ、気にしなさを含んだ距離感だ。そしてそれは、この場所に風通しの良さを生む。だからここは「居場所」というよりも、通過点や休憩所だったり、息継ぎをしにくる場所として、子どもたちに必要とされているのではないだろうか。

「ちいさいおうち」は、水田さんが管理人だが、彼女が築き上げた彼女の居場所ではない。ここは、彼女も含めたここに集まるみんなのいろんな状況が持ち寄られて、“作り上げられた”というよりも、“こういう形になった”と言った方が適切な、みんなの場所だ。

居場所というのは誰かに作ってもらったり、自分で作ろうと思って作るのではなく、みんなが必要とした結果、気付いたらできているものなのかもしれない。そして、そうして生まれた場所の方が、きっと心地良いと思う。

「何かを私ひとりだけでやるというのは難しいと思っています。やっぱりひとりには限りがある。それは小さい頃から気づいていました。私は4人兄弟だったからかもしれないですけど、姉のように頭がいいわけでも、弟たちのようにコミュニケーションが上手でもないなとか。でも、何かに向かって物事を進めるとか、アクションを起こしていくみたいなのはすごく好きで。でもそれは、ひとりだとできないから、どうしたら他の人と一緒にやれるかなっていうのを考えてますね、ずっと」

水田さんは、この場所の中心にはいない。中心から少しだけ体をずらして、そこに誰かが入れるスペースをそっと作る。そうすることでいろんな人をここに呼び込んで、するとほら、みんなの居場所ができている。

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鳥取県・米子市(よなごし)
人口約15万人の鳥取県西部の中心都市。県庁所在地ではないが山陰の交通の要衝であり、鳥取大学医学部・鳥取大学医学部附属病院をはじめ、医療機関が充実している。平野を日野川が流れ、東部は大山(だいせん)の裾野として丘陵地になっている。都市でありながら、山も海も近く、山陰最大の温泉地「皆生温泉」がある。特産品は白ネギで、「ネギ太」「ネギ子」「ネギポ」からなる「ヨネギーズ」が米子市のイメージキャラクター。

鳥取西部移住ポータルサイト「TOTTORI WEST」: http://tottori-west.jp

持ち寄ってつくられる、第三の子どもの居場所。<鳥取県・米子市>
持ち寄ってつくられる、第三の子どもの居場所。<鳥取県・米子市>
水田美世さん みずた・みよ/1980年生まれ。鳥取県育ち、在住。2008年から8年間、埼玉県川口市で学芸員として勤務。出産を機に家族を伴い鳥取県へ帰郷。2016年に子どものためのスペース「ちいさいおうち」を開く。2017年より県内の芸術・文化を扱うウェブサイト「totto(トット)」を有志と運営する。
http://totto-ri.net

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インタビュアー:波田野州平
はたの・しゅうへい/1980年、鳥取県生まれ、東京都在住。現地調査をもとに土地の歴史や風俗を掘り起こし、映像や写真を使って新たな視点を提出する作品を制作している。2018年より鳥取県の高齢者を対象に、個人的体験の語りを映像で記録する「私はおぼえている」をスタートさせる。http://shuheihatano.com/
※:「totto」連載「映像みんぞく集」http://totto-ri.net/category/column/video
(更新日:2018.11.21)
特集 ー 私の、ケツダン

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私の、ケツダン
「決断」というと、ちょっと重い。自覚していない体験が重なり合って人は動くのかもしれない。鳥取県西部に暮らす9名の正直で小さな「ケツダン」を集めました。
持ち寄ってつくられる、第三の子どもの居場所。<鳥取県・米子市>

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