特集 私の、ケツダン

一生やる事がある、そういう場所を求めてた。<鳥取県・日南町>

鳥取県倉吉市で生まれ育った僕は、幼い頃からテレビで見る県内の天気予報で表示される「茶屋」という文字がずっと気になっていた。そこは鳥取県の左下にぽつんと表示されていた。まさかそれが地名だと知るのはもう少し大きくなってからで、文字通りそこに行けば気立てのよい娘さんが優しく出迎えてくれて、美味しいお茶とお団子で旅の疲れを癒してくれるに違いないと、そんな峠の茶屋のような想像をしていた。そんな地名だからきっと周りも、のどかで心休まる風景が広がっているに違いない。という勝手な思い込みも手伝って、日南町はずっと行ってみたい土地だった。

大森さん家族は、その日南町に移住してまだ数カ月の4人家族だ。この場所に落ち着くまでに、小さな娘さんを二人抱えて四国や岡山、島根のキャンプ場を転々としながら、本当に自分たちが住みたい場所とはどういうところなのだろうと考え、やっとたどり着いたのがここだったという。

そんな大森さん夫婦の話を聞きながら、彼らの暮らしを「移住」と呼んでもいいのだろうかと、僕は考えていた。

写真・文:波田野州平

やっと見つけた“へんなところ”

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日南町は広かった。それが念願叶って初めて訪れた、日南町に対する僕のあまりにも素朴な印象だった。ただ、目の前に広がる風景は迫る山々で、決してだだっ広いという印象ではない。その谷間を縫うように道が続いている。そして隣の谷の集落に向かうには、峠を越えなくてはならない。その曲がりくねって勾配のある道を移動する時間が長いのだ。空間的な印象ではなく、時間的な実感として広い場所。つまりは辺鄙と言っていいようなこの場所を、大森幸二さんと麻衣さんはなぜ住処に選んだのだろうか。

幸二さん「自分たちは、宮崎や奄美大島でも自給自足の生活をしてきたんですが、そういう生活をもっと発展させたいと思って住む場所を探していました。山と農地、あと安心して飲める水が流れてるところを探してました。川が流れてたり、湧き水が出てたりとか。それと、できるだけ通りから見えない、ちょっと隔離されたような場所を探してました」

麻衣さん「私たちは空き家バンクに載ってるような家じゃなくて、すごい手直ししないと住めなかったり、誰も住みたがらないような変なところにある家を探してたんです(笑)」

その通り。大森さんの家は林道を逸れて、そこからさらにずんずんと進んだ先にある。空き家だったその建物は、二人が求めていたように通りからはまるで見えない。そして家の前には澄んだ小川が流れている。しかしこんな「変なところ」が簡単に見つかるものだろうか。

幸二さん「移住支援員の方にすごい世話になって、自分たちの話を本当によく聞いてくれました。おもしろかったんでしょうね。すごい笑ってたもんね。『え!そんなところがいいの? あるよ! あるよ!』って、周りの人にも相談してくれて。それだけで人の良さを感じて、日南町はいいところだなと思いました」

麻衣さん「私の方がぐいぐい質問とか相談してたんですけど、そういう積極的な奥さんあまりいなかったのかもしれないです。旦那さんは自給自足の生活をしたいけど、奥さんと子どもはそういう生活にはついていけないみたいなパターンも多いから。本気度が伝わったのかもしれないです」

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通りから入ると、その先はほぼすべて大森さんの所有する土地になる。一番手前には老朽化した建物(写真上)、そこを通り過ぎて小川を渡ると、大森さん家族が暮らす家がある。

キャンプ場を転々としながら、なかなか理想の場所が見つけられず、かなり追い詰められた時期もあったという二人は、支援員の方や地域の方とのやりとりに精神的にも助けられたという。

幸二さん「いろんな場所で力になってくれる方はいたんですけど、日南町の人は特にすごい親身になってくれて。他のところに比べると、この辺の人たちって閉鎖的な感じがしない。心が豊かなのか、すんなり受け入れてくれるような気がするんです」

麻衣さん「観光地みたいな売りのある、人が集まる場所がいいのか、何もないけど自分たちの土地がある方がいいのかって、いろいろ考えたんです。奄美大島とか観光業がメインのところは、観光に関することに支援が手厚いんです。日南町には特に何もなくて、でも人が暮らすところだから、暮らすために、人のために支援しているっていう感じがしています」

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薪を作り、パンを焼く。
生きることを作る

幸二さんは千葉県の、麻衣さんは埼玉県の、ともに生まれ育った環境はごく普通の住宅街だった。

幸二さん「自分は幼稚園の頃から周りの環境に違和感みたいなものを感じていて、途中から行かなくなったんです。小中学校はもう地獄のように感じてました。周りを見てて、自分もこのまま決められたレールに従ってずっと生きていくんだって思ったら絶望的な気持ちになって。社会に出てからも、常に自分の中に矛盾みたいなものを感じてるところがあって。もう本当に心を病んでしまう時もあったんです。それで、もう自分はお金なんて一切いらない、社会とも関わらないみたいな、極端になった時期があって。それがきっかけで、こういう暮らしを始めたんです。そうしたら、やっと幸せを感じられるようになって。自分は今まですごい息苦しい人生を送ってたけど、あれは自分の人生じゃなかったんだって」

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麻衣さん「私は育った場所がすごい好きってわけではないけど、別に反発みたいなのはなかったんです。でも一度田舎で暮らし始めたら、その暮らしの方がよくて。千葉県の南房総にもいたんですけど、そこでの暮らしは友だちといえば近所のおばあちゃん。畑をやってる輪の中にいてすごく楽しくて、何でも教えてくれました」

幸二さん「この暮らしを始めた時に、『あ、自分らお金がたくさんなくても生きていけるんだ』って、すごい自信になったっていうか、どこかにお金を稼ぎに出なくても生きていけるって思ったらすごい楽になりましたね」

麻衣さん「みんな田舎に暮らすときに、『仕事がないと暮らせない』って言うけど、それがうちにはないんです」

こうして二人は各地で暮らしながら、自給自足で生きる術を身につけていく。今では畑も田んぼも、機械を入れなくても充分な収穫ができるまでの腕を身につけたという。しかしこう聞くと、社会と隔絶して自分たちだけの楽園を作ろうとする人たちに思えるかもしれない。

麻衣さん「一時は人とは付き合えないくらい極端な生活をしてました。皮や化繊のものとか、電化製品も一切使っていませんでした。でも、すごいやりすぎるとそれが本当にしたいことなのか、これで生活が楽しいのかなって思うようになって。それで自分たちが心地よく、楽しくできるラインに戻ってきました」

幸二さん「まあ性格ですね。すべてにおいて、行くところまで行ってちょっと戻るみたいな。そういうことに、ここ10年かけて気づきました」

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生きていくための作業。
自分たちの土地を切り開く

つい昨日床の張り替えが終わったというリビングには、冷蔵庫や洗濯機など、よく見慣れた電化製品がひととおり揃っている。長女の瑚麻ちゃんは、僕たちのためにAKB48の歌をフルコーラスで披露してくれる。これまでの大森さんの自給自足のストイックな話を聞いていると、この光景は少し奇妙だが、でもこうしたどこにでもあるもののひとつひとつが、こちらの緊張を解いてくれることも確かだ。

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幸二さん「今は家の掃除と、冬支度が毎日の仕事で。今まで時間に縛られる生活をしてこなかったので、朝起きて今日何しようかなって決められたんですけど、この子が保育所に行くようになってから、みんなが朝6時に起きるようになって。まず火を熾して、米を炊いてって」

幸二さんは毎日、車で往復一時間かかる保育所に瑚麻ちゃんを送迎している。

「彼女を保育所に通わせてるのは、彼女にも選択肢があったほうがいいかなって思ったからです。一方的に僕らのこの暮らしを押し付けるのではなく、社会性があったほうがいい。それでどちらがいいのかっていう、その判断は彼女に委ねたいと思います」

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さっきまで強く降っていた雨があがると、幸二さんは外に出る。麻衣さんは台所に立ちお菓子を作り始める。この暖炉でゆっくりと焼き上げられたスコーンが本当に美味しかった。僕は大人気なくも、無心になって次々と頬張る次女の弥麻ちゃんの手から奪い取るのを必死に我慢していた。すると「お父さんの音だ!」と叫ぶ瑚麻ちゃんの声で、濡れた森に響き渡るチェーンソーの音に気づく。

幸二さん「周りの木を程よく間引いて、切った木は乾かして来年の薪にして。畑はどこでもよくて。家の裏はすごい広くて、伐採すればどこでも畑になるので」

麻衣さん「衛星写真でしかまだ確認してないんです(笑)」

幸二さん「草もすごいし、伐採しながらじゃないと入っていけないんです。全部で12,000坪あるんで。早く全部山の中を見て歩きたいんですけど、春にならないと行けない。だから田植えも来年はどうかな。まだ田んぼがおこせてない可能性もあるんで」

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これはもう移住ではなく、開墾と言ってもいいのではないだろうか。新天地を求めて移り住み、自分たちの土地を切り開く。彼らがやっているのは、暮らしを一から作ること、つまりそれはこれからここで生きるための作業だ。

幸二さん「昔からものを作るのが好きで、今は生活を作ってる。このまわりをきれいにして、自然と人が共存できるような空間を作るっていうのが何よりも楽しいですね。それ自体が自分の生活なので。今はそれがやりたいことだし、自分の生活だと思ってる」

文字通り彼らは「その手で」薪を作り、パンを焼き、生きることを作っている。

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すべてがある、何もない場所

僕は「移住」と聞くと、多くの人はなるべく住みやすく、できるだけ整備されて、そして便利な場所の方を選ぶものだと思っていた。大森さんたちを案内した支援員の方が、彼らの要求を聞いて驚いていたことからもわかるように、移住を受け入れる側もなるべくそういった環境を提供しようとするだろう。しかし大森さんたちは、ことごとくその逆を求めていた。彼らにとってここは、放置された木々が鬱蒼と生い茂る、面倒くさい森ではなく……、

幸二さん「この家の周りの環境は理想通りでしたね。森の中で、川があって、山もあるし、農地もいっぱいあるし、すべて揃ってた」

麻衣さん「ここは手付かずの場所だったのがよかったんです」

と、何もないのではなく、すべてがある場所に見えたのだ。もしかしたら支援員の方も、価値がないと思っていたものに、彼らが価値を見出してくれたことが嬉しかったのかもしれない。

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幸二さん「今までもこういう暮らしをしていると、3、4年くらいでなんとなく生活が形になって、これ以上やりようがないっていうところまでいってしまうんですよね。自分の土地じゃないと、どこまでやろうかを考えてしまって。

だから広大で、一生自分のやりたいことがやれる土地を探してたんです。すごい先になると思うんですけど、自分たちで作った作物でご飯を提供して、宿泊もできる場所を作りたいなと思ってます」

麻衣さん「あと10年かかるか、いや一生、死ぬまでに終わるかどうかみたいな感じですけど(笑)」

幸二さん「でも一生やることがある、そういう場所を求めてたんです」

そう言い切る彼らを、僕は羨ましく思っていた。

今やっている仕事が明日に繋がっていること。その明日はその次の、またその次の明日に一歩一歩繋がっていること。そしてそれが一生という長い時間へと姿を変え、さらにその先にまで伸びていく。

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幸二さん「小さい頃に、友だちが夏休みにおじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行っていたのが羨ましくて。自分は住んでる場所しかなかったので、寂しかったんです。だから自分の子どもには、こういう自然豊かな環境で育ってほしいっていうのがありました。もしかしたら彼女たちが大人になって都会に出るかもしれないけど、でもいつでも帰ってきたら食べ物はまちがいなく作れる場所はあるよっていう、そういう場所を残してあげたかった」

麻衣さん「何を残してあげられるかって言ったら、安心して食べられる食べ物があるってことが一番だなって思ったんです」

日々の営みが、確かに未来へ繋がっているという実感を持てる生活の美しさ。そんな彼らの暮らしの一歩目を見せてもらえたことが、僕は嬉しかった。

そういえば、日南町の冬って雪がすごいそうですね、大丈夫ですか?といらぬ心配をする僕に、幸二さんは「それすらも楽しみですね」と笑いながら言った。

いつになるかはわからないが、ずっと先にまた日南町を訪れた時、気立ての良い姉妹が優しく出迎えてくれて、美味しいコーヒーとスコーンで旅の疲れを癒してくれるに違いない、とそんな妄想を抱き、チェーンソーの音が小さくなるのを聞きながら僕らは森を後にした。

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鳥取県・日南町(にちなんちょう)
岡山県、広島県、島根県に隣接し、中国山地の真ん中にある日南町。鳥取県の一級河川「日野川」が美しい水を育くみ、町の面積の90%を森林が占める、自然豊かな町。町全体が豪雪地帯に指定されており、冬は厳しいが、夏は森一面にヒメボタルが輝き、1,000m級の山々が四季を通じてさまざまな表情を見せてくれる。

鳥取西部移住ポータルサイト「TOTTORI WEST」: http://tottori-west.jp
日南まるごとバンク:http://www.nichinan-life.jp

一生やる事がある、そういう場所を求めてた。<鳥取県・日南町>
一生やる事がある、そういう場所を求めてた。<鳥取県・日南町>
大森幸二・麻衣さんご夫妻 おおもりこうじ・まい/千葉県生まれ(幸二さん)、埼玉県生まれ(麻衣さん)。ガラス作家を目指している縁で出会った二人は、自給自足の生活をしながら宮崎、奄美群島に移り住む。その間に生まれた姉妹の瑚麻(こあさ)ちゃんと弥麻(みあさ)ちゃんを自宅出産。2018年より鳥取県日南町に移住。12,000坪の大地を開拓中。

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インタビュアー:波田野州平
はたの・しゅうへい/1980年、鳥取県生まれ、東京都在住。現地調査をもとに土地の歴史や風俗を掘り起こし、映像や写真を使って新たな視点を提出する作品を制作している。2018年より鳥取県の高齢者を対象に、個人的体験の語りを映像で記録する「私はおぼえている」をスタートさせる。http://shuheihatano.com/
(更新日:2018.11.29)
特集 ー 私の、ケツダン

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私の、ケツダン
「決断」というと、ちょっと重い。自覚していない体験が重なり合って人は動くのかもしれない。鳥取県西部に暮らす9名の正直で小さな「ケツダン」を集めました。
一生やる事がある、そういう場所を求めてた。<鳥取県・日南町>

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