特集 暮らし体験記
北の京都のいとなみの中へ。綾部の里山、宮津の棚田、舞鶴の海をめぐる旅。
「京都北部の取材に行きませんか?」
「雛形」編集部の菅原さんに言われたとき、最初に思い浮かんだのは天橋立と山陰線のいくつかの駅名くらいだった。それぞれのまちで営まれる暮らしとなると、まったくイメージも湧かない。学生として京都に移り住んで通算20年以上経つのに、京都市内しか知らない視野の狭さを痛感する。
あらためて地図を開くと、京都府のカタチは、
この取材で自分のなかの「京都」を変えよう——というわけで、綾部、宮津、舞鶴の順にぐるりとめぐる取材旅を計画した。「もし、自分がここに住むとしたら」という気持ちで、それぞれの地域のいとなみを体験取材。そこに移り住み、自分の暮らしをつくる人たちに話を聞いた。
「半農半X」の塩見直紀さんと
センス・オブ・ワンダーな里山散策へ
最初に訪ねたのは、「半農半X(
塩見さんは、1999年に33歳で綾部にUターン。2003年に上梓された『半農半Xという生き方』は、都市から地方へ移住する人たちのバイブルとして読み継がれる名著である。
もし、私が移住をするとしたら、「X」を文筆業として畑をはじめるはず。そこで、半農半X的生き方の手がかりという、「センス・オブ・ワンダー(sense of wonder、自然の神秘、不思議さに目を見張る感性)」を塩見さんから感じてみたいと思ったのだ。
待ち合わせは、塩見さんの母校、旧・綾部市立豊里西小学校の跡地につくられた綾部市里山交流センターで。名刺交換を終えるとすぐ、「センス・オブ・ワンダーな里山村散策」に連れていってもらった。
枝アート、小道マニア、紅葉公園。そして塩見さんが「村のパワースポット」と呼ぶ、お地蔵さんと一本ヒノキと、ゆるやかに起伏する「八塚」と呼ばれる古墳群。塩見さんから土地の言い伝えや遊びの感覚を聞いていると、初めての風景が親しみあるものに変わっていくのを感じた。
「村散策をすると、気持ちも軽くなるしリラックスしますよね。心を整えると直感が働きやすくなるし、自然の力が見えてきて自分が生かされていることにも気づく。自分のやりたいことも明確になってくるかもしれません」。
『半農半Xという生き方』で、塩見さんは「X」を「天与の才」とも「使命」とも書いていた。自分の「X」は「他の命の存在を感じること」からも見つかる。ベランダ菜園でもよいので、自分の食糧を自給することが、センス・オブ・ワンダーを呼び戻す一手になるという。
塩見さんは、移住者に必要な要素として「ワイルド性」を挙げた。ワイルド性とは、言わば「けもの道をどんどん行く力」。センス・オブ・ワンダーの発展形と言ってもいいかもしれない。
「一方で、『いなかにどういう移住者が必要か?』と問われたら、僕は『与える精神を持った人が来るのが一番ハッピーだと思う』と答えます。自分が暮らす地域に対してひと肌脱ぐ、持っている才能を出す精神が重要だと思いますね」。
この「自分が暮らす地域に対してひと肌脱ぐ」という言葉を、次に訪ねた宮津・上世屋でまざまざと実感することになる。
海と雲のあいだの集落・上世屋に
惚れ込んだあたらしい“村人”たち
宮津市は、日本三景・天橋立を中心に南北に市域が広がっている。駅周辺を歩けば、江戸時代は北前船の港町として栄えた頃の面影を辿ることができる。漁師町も多いが、山あいには棚田の風景が広がる。
今回訪ねたのは、里山百景にも選ばれた上世屋(かみせや)集落。過疎化が進み、現在は10世帯を残すのみだが、うち3世帯はIターンした30代世帯。小山有美恵さんと山田歩さんは、ふたりとも女性かつ単身での移住だったというのでびっくりした。塩見さんのいう「ワイルド性」をかるく超えている!
山田さんは、上世屋に惚れ込んだ理由のひとつは「里山の豊かさ」だと言う。
「私は、上世屋の明るいブナの森が大好きなんです。ブナの森の土は“天然のダム”といわれます。雨水を長く蓄えて少しずつ涌き出すので、この里ではおいしいお米がとれるんですよ」。
小山さんは、30代世帯の共通点に「村の人の縁、村の人の暮らし方に惹かれて移住したこと」を挙げる。「村の人の暮らし方って?」と尋ねると、「村仕事」に誘ってくれた。
「雪が降る前に、村の建物に雪囲いするんです。村の人はみんな来るから、村が見えますよ」。
これは、またとないチャンス。
心して、混ぜてもらうことにした。
村仕事のはじまりは朝8時。
集合場所には、すでに村の人たちが集まっていた。
私は軽トラに乗せてもらい世屋姫神社へ。
着くとすぐ、みな慣れたようすで道具を出し準備にかかる。
ごく当然のこととして、村を守る作業をともにしている。
結び方がわからなくなると、村の人は面倒がらずに手本を見せてくれた。「男結びにしておけばほどけない。けど、こっちを引っ張ったらすぐにほどけるやろ?」。マサミチさんは繰り返し言った。
「次の人にちょっと親切をするんや」。
このままいくと、やがて上世屋は移住者だけの村になる。何も手を打たなければ「次の人」はいなくなってしまう。今のうちに、学んでおきたい村の人たちの知恵はあまりに多い。小山愛生さんは「村の人が元気な間に、がんばってあたらしい人を呼び込んで受け継ぐ仕組みを作っておかないと」と話す。
上世屋では、あたらしい村人を迎え入れる準備も進んでいる。2016年に「上世屋定住促進会議(通称、ドチャック会議)」を設立。「ナリワイ(生業)をつくる」「情報発信」「住まいを整える」の3つを柱に活動する。昨年は、旧・上世屋公民館の建物を買い取り、お試し住宅「セヤハウス」づくりに着手した。上世屋に関心のある人に宿泊してもらったり、移住する人の仮暮らしの家にも活用する予定だ。
2mも積雪する上世屋では、冬の農業ができないので、冬の仕事づくりが課題になる。冬場の仕事に狩猟する小山愛生さんが発案して、セヤハウスの隣に獣肉簡易解体施設もつくった。
京都移住計画の協力で、『土着ごはん会』というイベントも京都市内で開いている。上世屋の食材でつくったごはんを食べながら、ネット中継でドチャック会議のメンバーと質疑応答。希望者は後日、上世屋を訪問。農作業や狩猟、和紙づくりをテーマとした体験イベントに参加する。
ドチャック会議のメンバーは「なんやかんやと集まって飲んだり食べたり」する機会が多いらしい。セヤハウスの雪囲いの後もみんなで一緒にお昼ごはん。「上世屋は、実は海も近いんですよ」と、宮津の新鮮な魚でもてなしてくれた。
上世屋の冬は雪が深く寒さも厳しい。が、冬にしかない楽しみもある。
「泳げるほど降る」雪で遊ぶこときには、大人も子どもも夢中になる。
「田んぼをしていると、雪が降るまではせなあかんことばかり。冬になったら、時間ができるので、お味噌を仕込んだり、こんにゃくをつくったり。自分のしたいことができるのが楽しみなんです」と、小山有美恵さん。和紙作り作家である山田歩さんにとっては、冬は和紙作りの季節でもある。
上世屋の人は広い空を見上げ、「雲が広えわな」と言うそうだ。
たった10世帯の小さな村だけど決して狭苦しくはない。便利な生活ではないけれど、「自分が暮らす地域に対してひと肌脱ぐ」人たちの気風が気持ちよい。小山さん、山田さんがそうだったように、上世屋に呼び寄せられるようにして、ワイルド性の高い人がまた現れる気がする。
祖父から受け継ぐ牡蠣養殖に
ブランディングを掛け合わせる
舞鶴市は宮津市の東隣。リアス式海岸に縁取られた舞鶴湾は「人」の字型に東西に分かれ、東舞鶴は旧軍港のある港湾地区、西舞鶴は旧城下町で商工業地区となっている。今回は、東舞鶴から海岸沿いにぐるりと北上。佐波賀(さばか)という集落に岡山拓也さん、茉莉さん夫妻を訪ねた。
岡山さんは「これまで従事してきたデザインやブランディングを漁業に組み込んだら、自分にしかできないことができるはず」と、2016年に東京からUターン。「岡山八朗兵衛商店」を起業し、漁師である祖父のもとで修業を始めた。
塩見さんは「Xを加えることで新しい農が生まれるかもしれない」と言っていた。岡山さんは、まさに「Xを加える」ことで新しい漁業をつくっている人だ。
「せっかくですから、ちょっと牡蠣の水揚げを体験してみませんか?」
真牡蠣の旬は真冬だ。カッパと長靴を借りて、船で牡蠣筏に連れて行ってもらった。湾口の狭い舞鶴湾は、干満差も少なく非常に穏やか。若狭湾国定公園の山々からミネラルをたっぷり含む清水が湾内に流れ込み、海の生命を育む。「良質なプランクトンのおかげで、舞鶴の牡蠣は育ちが早く1年で出荷できる」と岡山さんは言う。
「生きているものと対峙する仕事は楽しいですね。大変なことも多いけれど、乗り越えたらすごく達成感がある。前職もエキサイティングでダイナミックな仕事でしたが、それとはまた違うやりがいがあります」。
牡蠣仕事が一段落すると、茉莉さんが畑に案内してくれた。「今日食べる分だけ」の大根を抜かせてもらう。「葉っぱの根本を掴んで引っ張ります。抜いたら黄色くなった葉を取って土を落としてください」。茉莉さんを真似て大根を引くとかんたんに抜けた。土がふかふかに保たれているおかげだ。大根の葉がパキンと音を立てて折れそうにみずみずしい。
東京から舞鶴にUターンするとき、岡山さんは茉莉さんに移住を提案するプレゼンをしたそうだ。茉莉さんは、「ついに来たか!」と賛同してくれたという。茉莉さんは、移住生活や田舎での子育ての奮闘ぶりを、コミックエッセイとしてInstagramに投稿している。あっという間に人気が出て、現在のフォロワーはなんと6万人以上!
牡蠣の通販を始めたときも、茉莉さんのフォロワーさんたちが購入してくれたという。
「もともと育児絵日記を書いていたのですが、移住後は、慣れない田舎暮らしと子育てをありのままに描き、ほぼ毎日アップするようにしました。それが、牡蠣の販売にもうまくつながって。たくさんのお客さまから『おいしかった』とご連絡をいただき、その声にとても励まされました」(茉莉さん)
岡山さん夫婦は、それぞれの「X」が掛け合わさるなかで、どこにもないオリジナルな漁業のかたちを生んでいるのだと思う。決して道は平坦ではないだろうけれど、ふたりとも眩しいくらい自由に見えた。
取材の帰り道、「KAN,MA Dining」という新しいカフェに立ち寄った。舞鶴にUターンし、家業である大滝工務店の3代目を継ぎ、本業の傍らでまちを楽しむ任意団体「KOKIN」の代表も務める大滝雄介さんが立ち上げた新プロジェクトだ。
約1200坪の敷地には、これから新しい家がつくられ人々が住み始める。暮らし体験宿泊棟「KAN,MA Living」とカフェ「KAN,MA Dining」は、その先駆けとしてつくられた。すでに地元の人が通う場となっている「KAN,MA Dining」は、新しいコミュニティの中心として機能することが期待されているそうだ。
半分自由な生き方が
クリエイティビティを刺激する
帰りの電車に揺られながら、取材旅で出会った人たちから感じた「自由さ」について考えていた。「都会は自由だ」というけれど窮屈さを感じることも多い。「いなかは不便」というけれど、彼らは一度も「不便」を口にしなかった。
ふと、塩見さんが「半分自由がいい」と言ったのを思い出す。「制約こそが創造性を刺激する。半分くらい縛られるぐらいがちょうどいい」。冬の楽しみを語る上世屋の人たち、「牡蠣のオフシーズンに加工食品の開発を考えている」と話す岡山さんを思い出す。たしかに、そうかもしれない……。
夜の車窓を眺めていると「もし、あそこで暮らすなら」と考えはじめる自分が可笑しい。移住が決まる瞬間は「自分がそこに住むイメージが湧くかどうか」だと聞く。
「住むイメージ」をつくるのは、その土地で暮らす人との出会いだ。一緒に体を動かしたり、ごはんを食べたりすると、ぐっとイメージが現実的になる。ネットであれこれ検索するより、現地に飛び込んでみるほうがいい。せっかく訪ねるなら、黙ってようすを伺っているより土地の人に話しかけると意外な展開があるかもしれない。
センス・オブ・ワンダーからの“ワイルド性”が、
あなたの移住の鍵を握っているはずだ。
PROFILE杉本恭子/ライター。大阪府出身、東京経由、
INFORMATION「コロカル」では、伊根町、京丹後市、
*“京都府北部UIターンプロジェクト”は、株式会社博報堂、地
京都府北部UIターンプロジェクト「たんたんターン」
・綾部市/塩見直紀さんのインタビューはこちら
・宮津市/小山さん山田さんの暮らしぶりはこちら
・舞鶴市/「KOKIN」大滝雄介さんのインタビューはこちら
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- このまちには、大人も子どもも「ただいま」と言える場所がたくさんある。
- 小笠原舞さん (保育士起業家)