ある視点

引っ越してきた子も通ってくる子も。神山で育つ子はみな“まちの子ども”です。

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑

vol.13 引っ越してきた子も通ってくる子も。神山で育つ子はみな“まちの子ども”です。

森山円香さん(「神山つなぐ公社」ひとづくり担当)

th_IMG_3289

「かみやまの娘たち」のインタビューをする場所は、いつもインタビュイーさんに選んでもらいます。

「話しやすい場所を教えてください」とお願いすると、ご自宅か仕事場に案内されることが多いのですが、前回、森山さんがリクエストしたのは「雨乞いの滝」。

古代・卑弥呼伝説の残る、ちょっとワイルドな滝です。

お天気のよい春か夏なら、滝インタビューもいい。
けど、肌寒い季節になってきたし……と、今回は「cafe BROMPTON DEPO」の森のオフィスを提案。この風景のなかにいる、森山さんを見たかったんですよね。

森山さんが「3年間」の約束で神山にきて1年半という、折り返しかもしれないタイミングを意識に乗せながら、「最近、どう?」みたいな感じで始めてみました。


アイデアをかたちにしていく現場に
すごく惹かれた

前回のインタビューで聞かせてもらったのは、神山つなぐ公社での森山さんの仕事「ひとづくり担当」の概要と、森山さんが神山に来るまでのこと。「リージョンワークス」のスタッフとして神山を訪れた森山さん。当時は、留学準備中でしたが、「公社のスタッフに」と望まれて進路を変えたのでした。

「そういえば、神山行きを決めたとき、ここで何をしようと思っていたの?」と聞くと、森山さんは「ふふふふ!ほんとですよねえ」と笑いました。

「何をやるのかはまだ決まっていなかったけど、
その時点ですごく惹かれて『行く』って決めました」。

そのとき、森山さんは何に惹かれていたんですか?

th_L1009552

「そもそも、デザインスクールに留学しようと思ったのは、『こういう課題を解決できる仕組みが必要だ!』『こういうのがあったらいいよね』と思ったときに、かたちにできる力がほしいと思ったから。公社ではこれから、「つなプロ(※神山町の創生戦略)」にあるプロジェクト群のアイデアをかたちにしていくというフェーズで。官民連携組織の立ち上げに関わることとその実践のど真ん中に居られることに惹かれたんですね。

「ひとづくり担当」に決まったのは、職員となるメンバーの顔合わせを兼ねてそれぞれどんなことをやってきたかやどんなことに取り組みたいかを話し合ったときに「私は子ども・若者の社会参画のお手伝いをやりたい」という話をしてから。私がこの組織で貢献できるとしたら、やっぱり今までやってきた教育の領域かなぁ、と思いました。

ただ、リージョンワークスでの仕事から引き継いだので、最初は法人登記や理事会資料の作成など事務局の仕事もしていて。実は、1年目は経理もやっていたんですよ。

会計知識がなくても使いやすいと言われている会計ソフトを使っていたんですけど、専門用語が出て来るとお手上げだし、貸方・借方みたいな基礎もわからないので、去年の10月にめっちゃ勉強して簿記の資格を取りました(笑)。

今は、目の前にあることに必死で。

あまり自分を引いて見ることはできていないんですけど、いろんなプロジェクトをかたちにするたびに、コンセプトや内容をつくって、いろんな人にプレゼンをしてフィードバックを受けて修正をして、みんなの腑に落ちるポイントを探して……を繰り返しています。それが、すごくいい経験にはなっているんだろうなと思いますね」。

プロジェクトを膨らませる、
「なんかやってくれそう!」な雰囲気。

「アイデアをかたちにする力がほしい」と神山に来てから1年半。森山さんは、文字通り「アイデアをかたちに」してきた……と思うのですが、本人はまるで自分ではない力でかたちになったかのような表現をします。

「うれしいことに、いろんなプロジェクトが膨らんでかたちになっていって」。

たしかに、話を聞いていると、本人からあれこれ提案したというよりも「こんなことできない?」と声をかけられて、「それ、すごくいいですね!やりましょう!」と応えるパターンが多い。しかも、「なにかやってくれそう」というみなさんの期待に応えすぎて「ギリギリを走り切った」1年間でもあったようです。

一緒に「ひとづくり」を担当している、同僚の中沢聖史さんに「おそばを持ちすぎていて配達しきれずこけそう」と言われた、2017年のハイライトについて聞かせてもらいました。

まずは、城西高校・神山分校での「神山創造学」の話から。

moriyama02-sozogaku02

森山さんにとって生徒たちは「いとこくらい」の関係。「先生」ではなく「森山さん」と呼ばれています。

森山さんにとって生徒たちは「いとこくらい」の関係。「先生」ではなく「森山さん」と呼ばれています。

「城西高校・神山分校は、造園土木科と生活科というユニークな学科のある高校。『つなプロ』が動きはじめてからは、庭木の手入れが難しくなったひとり暮らしのお年寄りの家に伺って、庭木の手入れをする『孫の手プロジェクト』など、町が高校生を必要とする場面が増えています。

こういったプロジェクトは、高校としてはすごくウェルカム。『どんどんやっていきましょう!』という感じで、教頭先生から『学校独自の授業を行うことができる学校設定科目をつくって、社会人講師として地域を学ぶ授業をやりませんか?』というお話をもらったんです。

高校側にとっての『学ぶための生きた教材としての地域』と、地域側の『授業として継続的に関わることができる高校生たち』というニーズのバランスをとるカリキュラムがあるとやりやすくなります。すごくいいかたちで生まれてきました。

住宅の緑地づくりなど専門性の高いプロジェクトには2、3年生が参加する。森山さんたちは、1年生には地域に出るベースとなる知識や経験を身につける機会を用意。より滑らかなステップをつくろうとした

住宅の緑地づくりなど専門性の高いプロジェクトには2、3年生が参加する。森山さんたちは、1年生には地域に出るベースとなる知識や経験を身につける機会を用意。より滑らかなステップをつくろうとした

『神山創造学』では、1年生のときに実際に足を運んで地域の人と話したり、自然環境や景観を目で見て肌で感じたりして、神山という環境やそこで起きている取り組みとその背景を学びます。1学期は「地域を知ろう」。事前学習をしてから地域に出るということを、3回繰り返しました。

たとえば、地域に出て見たり感じたりしたことを、他の人に伝えるにはどういう視点で写真を撮ればいいかを、生津さん(※かみやまの娘たちの写真を撮ってくれている写真家)に教えてもらうのが事前学習。次に、地域に出て写真を撮って帰ってきて、授業で写真を見せ合いながら体験を共有する……という感じです。

生徒たちも、体を動かして、自分の五感を使いながら学んでいくのは楽しいみたいで。授業後の感想欄に「早く地域に出たい」とか「楽しい」とか書いてくれていました。先生たちも「生徒たちの表情がいつもと違う」と言ってくださって。

大粟山、雨乞いの滝、カフェに出かけて撮った写真を、授業でお互いに見せ合いながら「何をしてきたのか」を話しあいました。(神山つなぐ公社提供)

『国際交流プロジェクト』は、町長に『まちの子どもたちを海外に連れていきたい』という思いがずっとあったみたいで。ただ、学校も教育委員会もそのための余力がない。『ちょっと考えてくれんか』みたいなことを言われて。

『わ、それは面白そうだなあ!』と、私もそこに飛び乗りました」。


“まちの子ども”の概念を広げた
「国際交流プロジェクト」

町長さんが何年ごしかで温めていた思いに、「飛び乗った」と言う森山さん。でも、町長さんにとって、森山さんはずっと温めていた思いを旅立たせてくれる船だったのかもしれません。ともあれ、「国際交流プロジェクト」は実現に向けて急ピッチで動き始めました。

初めての「国際交流プロジェクト」の訪問先になったのは、「神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)」によって、アーティストをはじめとする来訪者が多く、神山との縁が培われていた国・オランダ。現地とのコーディネートは、オランダで約10年暮らし、KAIRをきっかけに約1年半前に神山に住みはじめた、あべさやかさんが手伝ってくれました。

「ただ『子どもたちが海外に行きました』っていうプログラムにはしたくなかった」という森山さん。「国際交流プロジェクト」が、まちとまちの子どもたちの関係の紡ぎ直しの“とっかかり”になるようにと心を砕きました。

(神山つなぐ公社提供)

(神山つなぐ公社提供)

「『国際交流プロジェクト』は、神山中学校との連携を深めたり、まちの子どもたちと地域の関係をつなぎなおしたりと、多義的なものにしたいと思いながらつくっていきました。

神山に暮らす子たちは、9割が町外の高校に通っています。朝早く出て行って、夜は部活や塾を終えて遅くなるし、土日も部活に行く。町とのつながりが育まれないまま、そのまま大学に進学して就職をして、神山には帰ってこないというループがずっとあります。

高校も大学も、自分の行きたいところに行けばいいと思うんです。ただ、「このまちにもたくさんの可能性があるよ」ということを感じられる機会があるといいなと思っていたんですね。

今回の『国際交流プロジェクト』の対象は『まちの将来世代である子どもたち』。町外から城西高校・神山分校に通っている子もひっくるめて『まちの子ども』と捉えましょう、と町へ提案しました。住民票の有無によって参加費にはちょっと傾斜をつけたけれど、町外から分校に通う子の参加も受け入れることができるようになりました。『まちの子ども』の概念を拡張できたのは、我ながらナイスな提案だったと思います(笑)。

これ、もう少し話していいですか?

町もすごい懐が深いな、と思うんです。他の自治体が実施する国際交流の取り組みもヒアリングしましたが、やっぱり町に居住していることが参加条件になります。町の予算を使うので住民じゃないと、議会や住民の理解が得づらいんですね。そうなると町外からの生徒も通っている学校としては全員に勧められないので広報しづらく、なかなか参加者が増えない、という話がありました。

神山町は、分校の生徒たちが町の動きに参加していることを認識しているので、「町として分校の子たちもサポートしよう」と前向きに受けとめてくれました。結果的に、今回は、参加した7人のうち1人が町外から分校に通う子でした。学校がバラバラだと集まれる時間が限られるので準備は大変でしたけど、すごく良かった。

「国際交流プロジェクト」報告会にて。

「国際交流プロジェクト」報告会にて。

オランダ訪問の9日間はハプニングの連続でしたよ。

2日目の夜なんて、大人がミーティングしていると、「タオルが変わっていない」「電源プラグが抜けません」「鍵が開きません!」って、子どもたちからLINEが飛んで来て。「もう、自分たちで何とかしなよー!」と言ったら、みんなそれぞれレセプションに行って「スペアキー・プリーズ!」とか、がんばっていましたけど(笑)」。

この規模感のまちにいると、
「社会は手づくり」だと実感できる。

この1年半、森山さんは周りがハラハラするほどに、たくさんのプロジェクトを実現させてきました。「森山さんならやってくれそう」という雰囲気と、何かを持ちかけたらすぐに「いいですね!やりましょう!」と本当に言っちゃうパワーが、可能性を膨らませるのだと思います。

「私、たぶんブルドーザータイプなんです。
『もう、やりましょう!』ガー!みたいな」。

たしかに。未経験だった経理の仕事も、わからないなら「もう無理です!」と言ってもいいはずなのに、猛勉強で簿記の資格を取ってしまうような人です。「やる!」と決めたらどんどん進んで、「道ができました!」と汗を拭うような、さわやかさが森山さんにはあります。

th_IMG_3220_small

「今やっていることの延長で『これができたらいいな』というのはたくさんある」という森山さん。当初、公社から提示された「3年間」で区切りをつけられない気持ちにもなっているようです。

「たとえば『神山創造学』や『国際交流プロジェクト』が、2年後、3年後、あるいは10年後にどういう状態になっていたらいいのか。いろいろ描いていくと、とても3年じゃ終らないというか、区切りがつかない。それは、教育の仕事の大きな特徴でもあると思うんですけど。

今は、まず目の前にあることをかたちにするところまでしか、考えられないんですよね。

「いつまでいるの?」「今後はどうしようと思っているの?」とか、よく聞かれるんですけど、明確には答えられない自分がいて。神山を出て行こうとも、出て行かないとも思っていなくて、いるべきときまでいるという感じです。

え? 10年後のイメージ、ですか。

うーん……。総論を言うと、純粋に、ここで暮らす人たちが健やかに行きていける環境があればいいと思います。それは、何かが実現すれば完成というものではなく、やっぱりずっと続いていくものなので、終らないなあという感じなんですけど。

海士町でも感じたことだったんですけど、このくらいの規模感のまちにいると、もののつながりが見えやすくなるし、当たり前だと思ってたことを裏で支えている人がいることを知ったりして、社会って手づくりなんだなぁという実感を持てます。そのなかで、周りと関わり合いながら、自分の居場所を見つけていける子どもたちが増えるといいなとは、すごく思いますね」。

moriyama02-last

前回のインタビューで、初めて神山に来て「つなぷろ」策定のためのワーキンググループを見たときに「なんだろう、この前しか向いていないエネルギーは!」とすごく感動したと、森山さんは話してくれました。

神山との出会いから約2年。本人は「そうだったらいいんですけど」と謙遜するけれど、今の森山さんはまぎれもなく神山の「前しか向いていないエネルギー」を押し上げる熱源のひとつだろうと思います。

そして今は、「自分がやるべきことをやっている」という感覚に満ちているのではないでしょうか。かつて、海士町で子どもを教えていたときや、「Teach For Japan」の支部を立ち上げて奔走していたときのように?

「うんうん、ありますね、そういう感覚!」。

半年後は、どんなプロジェクトが始まっているのでしょう。

続きの話を聞くのがすでにもう楽しみです。

かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

(更新日:2017.12.11)

バックナンバー

ある視点

特集

最新の記事