vol.4
団地環境、もっとくわしく話しておこう!
vol.03はスピンオフ的なバレンタイン話でしたけど、今回はちゃんと団地の話にもどしますね~!
さて。vol.01で僕が育った団地がどんなだったのかある程度は説明しましたが、もしかしたら団地出身者ではない人には、いまいちイメージしづらいものだったのかもしれません。本当は写真でも見せられたらなあと思うんですが、そうだ!偶然!ものすごいいい素材あります。僕のやっているバンド・シャムキャッツが『TAKE CARE』というミニアルバムを出しました。その中の「GIRL AT THE BUS STOP」という曲のビデオ、がっつりコラムの舞台、ハイタウン塩浜で撮影しております!ではまずその動画をどうぞ~。
はい。
これでちょっとわかってもらえたかと思うんですけど、僕の住んでた団地は整然とマンションが立ち並ぶ団地とはちがっていて、14階建ての大きいマンション、2階建ての一戸建てタイプの家、3階建くらいのアパートっぽい建物、などなどいろんなタイプの住居が結構自由な配置で置かれていて、その間を曲がりくねった道が通り、公園いっぱい、緑もいっぱい、広場とか、商店街もある。幼稚園と保育園も団地内にあるし、それだけでひとつの町みたいな団地だったんです。
ちなみに小学校と中学校も、団地の中ではないけれど、すぐ横にありました。ビデオでいうと、最後ぼくが消えて行った先を、右に曲がってちょっと歩くとすぐ小学校です。ハイタウン塩浜(いままで説明した団地)、市営団地、小学校中学校がひとかたまりの街になってました。
棟は52号棟までありました。すさまじいでしょう。
そんな団地ですから、僕らの通っていた小学校は、この団地の子と、市営団地の子しか通わない小学校でした。ようは、学区がこの二つの団地のみってことです。
「何号棟のだれだれ」っていうイメージがみんなそれぞれにくっついていて、友達の顔と練番号は大体リンクされてましたね。背番号みたいな感じです。団地内の引っ越しは珍しくなくて、僕んちも小学生の時に、49号棟の9階から27号棟の2階に引越しました。49号棟のナツメから、27号棟のナツメになったんです。背番号変わりました。
引っ越して、簡単に言うと広くなりました、間取りが。そう、小学生くらいになると友達んちにもよく遊びに行くので、「何号棟がどれくらいの広さだ」とか「何号棟の友達の方が金持ちそうだ」というようなことが、だんだんわかってきます。
もっと直接的に言うと、親たちの所得についてのイメージがやんわり分かってくる。かといってそれで遊ぶ友達が変わるかって言ったら全然違います。そういうことをやんわり感じながら、ざっくり混ざり合っていました。
中学生になると少し学区が広がって、半分くらいの生徒が団地外の子になりますが、その団地外の子の半分くらいはかつて幼稚園で一緒だった子だったりして(団地内の幼稚園には色んなところから園児が通っていたから)、まあ、狭い世界でしたねえ。
親同士のネットワークが強烈に強くて、例えば小学生の頃だと、「誰がどこでこんな悪いことをした」とか、中学に上がると、「誰と誰は付き合っているらしい」とか、そういう話を自分より早く母親が知っていたりする。それもそのはず、夕方スーパーに出れば団地中からお母さんたちが買い物に出てきていて、そこらじゅうで世間話。そんなに近いと軋轢も生まれそうですよねえ。少年の頃は全然考えてもみなかったですけど、おそらくそういうこともあったんでしょう。「あのお母さんには会いたくないなあ」とか、きっとあっただろうなと想像できます。
これは推測ですけど、団地に暮らす大人たちは「子供たちをみんなで育てる」って感覚があったんじゃないかなあと思います。よく、知らない大人に怒られていました。もちろん知ってる友達のお母さんにも怒られてた。怒られてただけじゃなくて、仲がよかった気がするんですよね、大人と子供が。いまだに、友達の親ともけっこう仲いいですもん僕。僕の親も、僕の友達に会うと「おー大人になったなあ~」って、なんか親近感ある感じで接しているし。
住居環境が密で、どこに誰が住んでるか、誰が誰のお母さんか知っていて。あそこのじじいは大声で遊んでるとキレてくるのも分かっている——ってのは、もしかしてなかなかない環境だったのかなあ。
ビデオの撮影で久しぶりに団地に行ったら、商店街の60パーセントくらいがシャッター閉まってました。僕が小学生の時は、スーパーの他に八百屋、魚屋、肉屋、電気屋、床屋、パン屋、ビデオ屋、塾、酒屋、喫茶店、内科、弁当屋がありました。特に記憶に残っているのはミートショップ塩浜という名前の肉屋さん。中学生まで、ハムカツとか焼き鳥とか手頃な惣菜をおやつに買いによく行ってました。
団地の中にいればとくに不自由しない。古風な、というか、すごく健全な商店街っすよね。これも今になって感じることですけど。結局スーパーばっかり使うから、どんどん潰れて行きましたけどね。
団地が広いので、自治体は3つに分けられてました。たとえば夏祭りは、一つの団地の中で3回あるんです。3回それぞれ違う場所で、自治体ごとに日にちも違ったりして。もちろん自治体によって少しずつ体質が違っていて、懸賞の賞品のレベルとか屋台のバラエティにも違いがある。チームのムードの違いがでるんすよね。ぼくはさっきも書いたように団地内で引っ越して、団地内の自治体を二つ経験してますから、わかるんです。
自治体ごとに象徴となる公園がそれぞれあって、祭りはそこで行われます。もしくは「プレイウォール」という、壁打ちテニス用のコンクリートの塊が団地の中にいくつも設置されているんですが、そういう場所が祭りの場所、みんなが集まる場所として使われてました。あ、あと「集会所」と呼ばれる団地にすむ人たちのために作られたコミュニティースペースもあった。
27号棟に住んでいた時は「アンパン公園」と呼ばれる「白いコンクリートのかたまりがこんもりあるだけの公園」が自治体のシンボルでした。アンパン公園でポケモンやったし、アンパン公園のよこのプレイウォールで6虫って遊びをよくしましたねえ……
6虫、知らないすか?
んじゃあそれは次回!
だらだら書いてしまいましたけど、ざっと、僕の団地はこんなんでしたってのはわかってもらえたかと。それではまた。
つづく
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夏目知幸
夏目知幸/1985年生まれ、千葉県・市川市出身。ロックバンド、シャムキャッツのボーカルとギターを担当。好きな芸人はとんねるずなどなど。好きな食べ物はあんかけ焼きそばとピザ。茶目っ気たっぷり団地メン。
http://siamesecats.jp/
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(更新日:2015.03.12)