特集 まちなかの文化の入り口

身体感覚に響く、ワインと音楽を。転がり落ちるようにはまった、ヴァン・ナチュールの世界。

ふらりと立ち寄ったバーでひと時の活況に混ざって、一夜限りのセッションを見たような気持ちになることがある。2016年に富山にオープンした「wine bar alpes(ワインバー アルプ)」も、そんな体験をした数少ない店のひとつだ。

その店にしばらく居たら、客と客の間を黒子のように動き回る人がいて、その人が一人で店を回していることに気づくと思う。まるで音楽にのって注文を聞き、ワインを注ぎ、レコードをかけるというパフォーマンスをしているようだ。

店主の池崎茂樹さんは富山に生まれ育ち、サラリーマン生活を経てワインと料理の世界へ転身。なかなか予約がとれないことで知られていたワインバー&ビストロ「uguisu(ウグイス)」(東京・三軒茶屋)と「organ(オルガン)」(東京・西荻窪)でフロントマンとして働いた後、フランスへ渡りヴァン・ナチュール(自然派ワイン)を製造するワイナリーでワインづくりを経験した。その後富山へ戻り、wine bar alpesを開く。池崎さんは自身の店でもヴァン・ナチュールを提供している。ヴァン・ナチュールはその成り立ちから味まで、池崎さんの身体や生き方に響くものだった。

今回は池崎さんに富山で店を営み、ヴァン・ナチュールを扱うわけまで聞かせて頂いた。

文:宮越裕生 写真:阿部 健

音楽から世界が開かれていった

wine bar alpesは富山城近くの、碁盤の目のように道路が敷かれた街の一角にひっそりとある。店内の半分近くを大きくカーブした木のカウンターが占め、どこかノスタルジックな、パリのバーのような雰囲気も漂っている。ところが、カウンターのなかに置かれたターンテーブルにレコードがかかると、ここがちょっとヒップな空間に変わるのだ。

池崎さんは富山の高校を卒業後、一度は故郷を出ようと札幌の大学へ進学した。札幌を選んだのは、当時好きだったヒップホップグループが札幌を拠点に活動していたというのが大きな理由だった。夜はバーでバイトしながらDJもしていたという。そして池崎さんは、帰省した時に立ち寄った富山のレコードショップで衝撃的な音楽体験を果たす。

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「富山にいきつけのレコードショップがあって、ある時店主がJBLのスピーカーでハウスやデトロイトテクノを聴かせてくれたんですよ。その音を聴いた時に、“なんなんだこれは”と心を打たれました。その時に身体で音の振動を感じたり、リズムをとったりする、音楽における“身体感覚”みたいなものがあるということに気づきました。以来、ダンスミュージックにはまりましたね」

音楽から食へと関心が移行していくきっかけになったのは、アンダーグラウンド・クラブの草分けとなった「Loft」の主催者であり、DJのデヴィッド・マンキューソのパーティに参加してからだという。

「音環境が素晴らしいことに加えて、パーティにフリーフードがあることで、誰もが『もてなされている』という実感を得ることができているんじゃないかと思ったんです。もちろんそれだけではないんでしょうが、食事という行為そのものが、ゲストをもてなす上でとても重要な役割を果たしていることを、そのパーティで知ったんです」

転がり落ちるようにヴァン・ナチュールにはまる

大学卒業後は上京し、出版取次会社へ就職。その頃によく通っていたのがワインバー「アヒルストア」(東京・富ヶ谷)だった。

「当時人気が出始めていたスペインバルやビストロのような店を知って、こんなおもしろい世界があるのかと。自分もいつか店をやりたいという夢が膨らみました」

その後、「uguisu(ウグイス)」(東京・三軒茶屋)という店を訪れ、洗練された空気とおいしいワインに衝撃を受けた池崎さんは会社を辞め、働き始めた。

「ところが僕、その店では使いものにならなかったんですよ。当時シェフを務めていた原川慎一郎さん(現「the Blind Donkey」オーナー)にはよく怒られました。原川さんには大切なことを沢山教わり、今でもすごく尊敬している方です」

その後uguisuの2号店であるorganへ移り、フロントマンとして4年間経験を積んだ池崎さん。そこで夢中になったのが、ヴァン・ナチュール(※1)という自然派ワインだった。

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「あるヴァン・ナチュールを飲んだ時に、ワインが喉を通りぬけて、まるで指先、そして全身へと染み渡っていくような体験をしたんですよ。その時の体験に衝撃を受けてから、転がり落ちるようにワインにはまっていきました」

そして、4年かけてヴァン・ナチュールと他のワインの違いを確信するようになる。

「ざっくりと言うと、ヴァン・ナチュールはブドウを育てる行程においても、ワインを醸造する行程においても、一切添加物を加えずブドウの皮についた天然酵母で発酵させるのですが、僕はもともと添加物を加えるか、加えないかというところはあまり気にしていませんでした。でも、飲み続けるうちに添加物を“極力足さない”と“まったく足さない”は全然違うということに気づいてしまったんです」

池崎さんにとってのヴァン・ナチュールとは、おいしいことに加え、さらに何か得られるものがあるワインだという。

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「そういうワインには滅多に出会えないのですが、飲み疲れることなく、ただ心地よい酔いがあり、楽しい気持ちになり、飲めば飲むほど頭が冴えるのではないかと錯覚してしまうようなワインがあるんです。何を基準に選ぶかは人それぞれだと思いますが、僕の根底にはおいしい、楽しいという基準がありますね」

※1 ヴァン・ナチュール:100%葡萄果汁の産物。添加物を一切加えず、天然酵母で発酵させたワイン。農薬を使うと自然発酵しないため、農薬も使用しない。一方オーガニックワインは、培養酵母を使用することもある。

 

ヴァン・ナチュールの聖地、フランスへ

organで働いた後、池崎さんはフランス・オーヴェルニュ地方にあるワイナリー「ドメーヌ・ラ・ボエム」を営むパトリック・ブージュのもとへ飛び、住み込みで1年間働いた。もちろん、おいしいヴァン・ナチュールで知られるワイナリーだ。だが池崎さんは盲目的にヴァン・ナチュールを礼賛しているわけではないという。

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「ヴァン・ナチュールをつくる人たちだけが努力しているというストーリーには、少し違和感を感じてしまいます。僕は“極力足さない”ことを選んだ生産者の方々にも敬意を払いたいと思っているんです。というのも、極端なことをいえば、農薬をまくのも滅茶苦茶大変なんですよね。あるワイナリーでは、朝4時に起きて農薬をまきにいっていました。かたや、僕が働いていたワイナリーは朝7時に起きてエスプレッソを飲んでじゃあいこうか、という世界。

ただいろんなワインを飲み、結果的に僕にとってちょうどよかったのがブドウ100%のワインだったというだけの話であって。そうでないものを否定しようとは全く思っていません。そもそもヴァンナチュール文化の根底には自由を愛する精神があるとすら思っています。自分とは異なるスタンスを別の場所からあれやこれやと批判したりするような話題は、酸化防止剤より頭が痛くなるものなんじゃないかな(笑)」

 

ブドウの成長と発酵に任せ、人間は人間の体内時計に従って暮らす——そんなワインづくりの在り方も、池崎さんの感覚に合ったのかもしれない。ワーキングホリデーを終えた池崎さんは、2016年夏に帰国。富山へ戻り、すぐに自分の店を開く準備を始めた。

富山で店を開く。ワイン1本からどんな風景が生まれるか

店を開くと決めた池崎さんだったが、何もかも初めてのことばかり。そんな時に、友人が強力な助っ人を紹介してくれた。

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「最初は全て自分たちでやるつもりだったんです。ところが、友人が“富山に店を開くんだったら荒井洋平さんに内装をやってもらえ。最高の人だ”といっていると聞き、お願いすることにしました。もともと、東京にいたときに自分が大好きなビストロやワインバーの常連だった荒井さんなら、“ワイン1本からどんな風景が生まれるか”ということを共有できると思ったんです。大切なのは、お客さんの楽しみ方ですね。荒井さんは、店という箱があってそこにワインがあって、どういう風にお客さんが楽しんで….ということを共有でき、さらに導いてくれる方だと思いました」

物件探しから荒井さんと一緒に始め、最終的に決めたのは、スナックだった居抜き物件。

「一緒に店づくりを始めると、荒井さんのアイデアに驚かされることもたくさんあり、想定を超える店に仕上げてくださいました」

内装は池崎さんの地元の友人にも手伝ってもらい、ほぼDIYで改装。レトロな深紅の木枠をアンティーク調のダークブラウンに塗り替え、カウンターは立ち飲みできる高さに上げ、仕上げに荒井さんのアイデアで壁紙を剥がした。写真は改装中にフランスから訪ねてきたサヴォワ地方の生産者フランソワ・グリナン氏が壁に書いたサイン。ここだけ壁紙が残されている。

内装は池崎さんの地元の友人にも手伝ってもらい、ほぼDIYで改装。レトロな深紅の木枠をアンティーク調のダークブラウンに塗り替え、カウンターは立ち飲みできる高さに上げ、仕上げに荒井さんのアイデアで壁紙を剥がした。写真は改装中にフランスから訪ねてきたサヴォワ地方の生産者フランソワ・グリナン氏が壁に書いたサイン。ここだけ壁紙が残されている。

また、音楽と出会う

大きなカウンターの中にはターンテーブルを置いた。音楽好きなら、わくわくしてしまう空間だ。

「僕の人生のいろんなことが音楽から始まった。外の世界が開かれるきっかけになったのが、音楽だったんです。じつは、駆け出しの頃は修行の身だからと、あえて音楽を遠ざけていた時期もあったんですよ。ところがある時、訪れたビストロで、音楽と再会するような象徴的な出来事があったんです」

その店の名は「祥瑞(ションズイ)」(東京・六本木)。ギャルソンの坪田泰弘さん(現「Le cabaret(ル・キャバレ)」)とシェフの茂野眞さん(現「Le 14e(ル・キャトーズイエム)」オーナーシェフ)が世界観をつくりあげた、ヴァン・ナチュールの聖地といわれている店だった。カーテンに仕切られた入り口をくぐると、その向こうには赤い壁に囲まれた薄暗い部屋がひろがっていて、爆音で音楽がかかっていた。

ターンテーブルは高校生のときに買ったもの、スピーカーはダンスミュージックを聴かせてくれた富山のレコードショップにあったのと同じJBLの「4312 mkⅡ」。池崎さんは、接客しながら一枚一枚レコードをかけている。

ターンテーブルは高校生のときに買ったもの、スピーカーはダンスミュージックを聴かせてくれた富山のレコードショップにあったのと同じJBLの「4312 mkⅡ」。池崎さんは、接客しながら一枚一枚レコードをかけている。

「僕はすっかり気圧され、周りが見えなくなるほど萎縮していたのですが、徐々に意識を取り戻すうちに、爆音でかかっている音楽が昔よく聴いていたCalm(カーム)さんの曲だということに気づいたんですよ」

まさかヴァン・ナチュールの聖地でハウス音楽を聞くとは。池崎さんは坪田さんに「これ、Calmさんの曲ですよね」と話しかけた。すると坪田さんは「そう。ところで、今君の後ろに座っているのがCalmさんだよ」と教えてくれた。

「そこから後のことは、ショックと興奮のあまりもう覚えていないですね。ただそれまではワインを極めるなら音楽やファッションは諦めなくてはいけないと思っていたのですが、その時はっきりと“好きなことを追いかけていいんだ”と思ったんです」

富山のレコードショップで身体感覚にうったえる音楽と出会った時から10年ほど経ち、切り離されていた音楽とワインがつながり、また新たな可能性が生まれ始めた。今池崎さんは、10年の間に積み上げてきたこと、考えてきたことを自分の店で実現している。

「周りの人から、よく一人で料理をつくってワインを出して接客して、レコードをかけるなんてことができるねといわれるんですよ。でも僕としては音楽に助けられている部分もあると感じていて、楽しいんです。フランスにいた時、ワイナリーでサロン(※2)が開かれていたのですが、畑の真ん中で音楽をかけ、皆が自由に音楽やワインや料理を楽しんでいました。自分もいつかそんな場をつくってみたいと思いましたね」

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最後に池崎さんに、これから富山でどんなことしていきたいか聞いてみた。

「抽象的ないい方ですが、今の富山は、街のアイデンティティが揺らいだ結果、その揺り戻しとして必要以上に“その街らしさ”を伴ったアクションが求められている気がしています。
もちろんある側面においてとても価値のあることだと思ってるんですが、僕はあくまで『誰もが認めるその街にしかないもの』ではなく、『誰も分からないかもしれないけど個人的におもしろかったこと』を出発点としたいと思っています。仮に最初は誰かの真似だとしても、その気持ちに偽りがなければ、好きなことの積み重ねがいつか自然とオリジナリティを編み出していくというか」

そうした上で、池崎さんは普遍的に伝わる“何か”を追いかけていきたいという。

「極端な話ですが、自分の商売は地球人を相手にしていると思っているんです。例えば、心がこもった感じのいい挨拶って、国は違ってもされて悪い気はしないと思うんです。そういう根源的な気持ちよさのようなもの——、僕が札幌や東京やフランスで誰かにしてもらって楽しかったこと、かけてもらって嬉しかった言葉、感動したことを、ここで実践していきたい。一見、富山とは関係のないパーソナルな体験を伝えていくことで、かえって、“この街らしさ”の一端に貢献できたら最高だなと思っています」

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※2 サロン:ここでは見本市や大きな試飲会の意味。

wine bar alpes
住所:富山県富山市総曲輪4-7-18
電話:076-493-6171
営業時間:19:00~25:00(平成30年4月1日より変更)
定休日:木曜日・第2水曜日
FACEBOOK:www.facebook.com/winebar.alpes

身体感覚に響く、ワインと音楽を。転がり落ちるようにはまった、ヴァン・ナチュールの世界。
身体感覚に響く、ワインと音楽を。転がり落ちるようにはまった、ヴァン・ナチュールの世界。
池崎茂樹 富山県生まれ、北海道の大学を卒業後に上京。出版取次会社を経て、ワインバー&ビストロ「uguisu(ウグイス)」(東京・三軒茶屋)で3ヶ月経験を積んだ後、「organ(オルガン)」(東京・西荻窪)へ。フロントマンとして4年間経験を積む。その後渡仏し、ワイナリー「ドメーヌ・ラ・ボエム」を営むパトリック・ブージュのもとでワインづくりを経験した後、帰国。2016年10月、富山にて自身の店「wine bar alpes(ワインバー アルプ)」を開く。
(更新日:2018.04.03)
特集 ー まちなかの文化の入り口

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まちなかの文化の入り口
どのまちにもささやかに存在する「文化の入り口」。様々な人が集う場を生み出した人を訪ね、内と外をゆるやかにつなぐ店づくりや活動について話を聞いた。
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