特集 まちなかの文化の入り口

“知らない世界”の入り口をつくる。 学割のある、沖縄の小さな芸術書専門古書店。

沖縄県那覇市。公設市場の外れの松尾という静かな地域に、12年続く古書店「言事堂(ことことどう)」はある。始めた頃から、若い人たちにとってあらゆる世界の扉でありたいという思いを変わらず持ち続ける店主の宮城未来さん。戦前より、その気候風土の中で独自の美術・工藝文化を築いてきた沖縄の地を表すような本を中心に扱い、2階には学校帰りの子どもたちが集まる学童保育のようなスペースがある。計画もなく、ただ自分の感覚に忠実に歩んできた先にたどり着いた場所だった。

文:石田エリ 写真:阿部 健

ひっかかったら、確かめる。
はじめて知る沖縄の姿

私たちは、日々たくさんの情報や刺激に囲まれて生きている。街を歩いていて耳に飛び込んできた音楽、SNSで流れてきた行ったことのない土地の工芸品の写真。その数えきれない小さな出合いの中から、どれだけを自分の中に取り込むことできるだろうか。

 宮城未来さんの話を聞いていて、ふとそんなことが頭をよぎった。彼女のように、人生を大きく方向付けるような決断のきっかけを、そうした他愛のない小さな出合いがもたらすこともある。

自分の感性に響く小さな出合いを見過ごさず、なぜそれに惹かれるのかを一つひとつ確かめていくうちに道ができ、沖縄というゆかりのない土地で古書店「言事堂」を営む今がある。そう大きくはない店内、本棚に収まりきらずあちこちに積み上げられた本のラインナップを見ていると、彼女が沖縄に根を下ろすことになった理由がうっすらとわかるような気がした。

宮城さんは、香川県出身。地元の高校を卒業し、大学は岡山にある美術系大学の工芸科に進学した。専門は陶芸。大原美術館で学芸員の資格も取得した。沖縄にはじめて興味を持ったのは、高校生の頃に『ビューティ』という坂本龍一の8枚目のアルバムを聴いたのがきっかけだった。ブライアン・ウィルソンやアート・リンゼイなど、名だたるミュージシャンをゲストに迎え制作されたそのアルバムは、半分がカバー曲。その中に2曲収録されていた沖縄民謡に、なぜだかわからないけれど無性に惹かれた。

「その頃は、それ以外に沖縄という土地のことを何ひとつ知りませんでした。でも、ずっと気になっていたんです。沖縄へ行けば、この音楽に惹かれた理由がわかるかもしれない、もっと他にもこういう類の好きな音楽に出合えるかもしれない、と。それで、大学一年生になってようやく沖縄に来ることができました。一番行きたかったのが『沖縄ジァンジァン』という伝説のライブハウスだったんです。ここに行けば、何か手がかりが掴めるんじゃないかと思っていたんですけど、私が行く数年前に閉店してしまっていました」

結局、その旅で求めていた音楽と出合うことはできなかった。けれど、それとは別の新たな興味を膨らませることになった。そのひとつが、大学で学び始めていた工芸。沖縄といえば、民藝運動を主導する柳宗悦をも魅了した、伝統工芸の宝庫である。柳が蒐集したようなものは、戦争でほとんどが沖縄から姿を消してしまっていたが、それでも脈々と受け継がれてきたその手技には、いく先々で触れることができた。

「焼きものも紅型も、出合うのは自分の興味をどんどん押し広げてくれるようなものばかりでした。それだけではなくて、家族のありようも、おじいちゃんおばあちゃんはもちろん、叔父さん叔母さん、従姉妹に再従姉妹までみんなが近い距離で暮らしているような家ばかり。家族のスケールが全然違うんです。自分がまったく知らなかった世界で、もうどんどん知りたくなって、休みのたびに沖縄へ来るようになりました。その頃から、海外にも旅に出るようになりました。アイルランドや北欧などのヨーロッパを周遊したり、カナダやニューヨークにも行きましたけど、定期的に沖縄に行くというのは大学時代ずっと続けていました。何かに興味を抱いたら、まずそれがある場所に行ってみるんです。それは学生の頃から今もずっと変わっていない。私の旅の動機は、ほとんどが自分の中にひっかかったことを確かめに行くためでした」

ギャラリーの片隅につくった、
“知らない世界への入り口

そうして沖縄に通ううちに、沖縄の大学院を受験しいたいと思うようになり、まずは移住することにした。受験して合格してから移住ではなく、まずは移住。宮城さんらしい選択だ。

「休みのたびに沖縄に来ても、自分がこれだけ気持ちを動かされているものが何なのかがわからなかった。だったら、住むしかない。住んでみないとわからないと思いました。両親も特に何も言わなかったんですけど、一度だけ父に『就職はどうするんだ?』と聞かれたことがあったらしいんです。私はまったく覚えていなかったんですけど、そのとき『私は好きな事をして生きていく』と答えたらしくて(笑)」

 いざ移住をすると、すぐに仕事も見つかった。地域活性のために開かれた、美大の教授や学生、学芸員などが出入りするギャラリー「前島アートセンター」での仕事だった。沖縄県立博物館・美術館(2007年に開館)のオープン準備期間とあって、準備室の学芸員たちが、そのギャラリーで企画展を開くこともたびたびあった。宮城さんもここに客として通ううちに顔見知りになり、ちょうどギャラリーを管理する人が足りていないというのを聞いて、自ら手をあげて働かせてもらうことになった。

「ここで働きはじめて、美術関係の方たちと出会う機会が格段に増えました。若手のアーティストから、大学院の先生。それに県外から美術関係の方が来られたときに最初に立ち寄ってくれるような場所だったので、毎日のようにいろんな生の話が聞けて、すごく充実して楽しくて。それに、私はもともと工芸の勉強しかしてこなかったので、アートマネジメントの勉強にもなったし、ギャラリーとして地域と接点を生み出していくような活動も活発になってきていたときだったので、やりがいもありました。それで、『もう大学院には行かなくていいかな』と、受験をやめたんです」

沖縄県那覇市のパラソル通りにある、無料で利用できる街の本棚「みんなのほんだな」。欲しい本があるときは、自分の本を持ってきて交換する(1日3冊まで)。宮城さんのお店「言事堂」から徒歩2、3分。

県立博物館・美術館ができる前となると、沖縄でアートに触れる場がほとんどなかったような時代。おのずとこのギャラリーが、案内所であり、人と人とをつなぐハブのような役割を担っていく。そしてここでの経験は、のちに宮城さんが営むことになる書店『言事堂』の原形をも形作っていった。

「美大生もたくさん観にきてくれるギャラリーだったんです。なので、若い人たちがより興味を膨らませられるようにと思って、ギャラリーの中に本のスペースをつくって今話題になっている展覧会のカタログを取り寄せたり、県内の作家たちのポートフォリオが見られるコーナーをつくったり、美術関係のおもしろい記事をスクラップブックにして閲覧できるようにしたり、自分なりに工夫してやっていました。でも学生の子たちと接しているうちに、当時の沖縄には本に触れられるような場所が極端に少ないんだなということに気がついたんです。私自身、学生の頃から毎日ずっと本屋にいたいと思うほど、本屋が大好きでした。本棚の前に立つだけで、自分の知らない世界への入り口がこんなにもあるんだと感じられた。だから、芸大があるのに学生が美術書と出合える場所がないというのは、大変なことだなと。急に使命感が湧いてきたのと、自分自身もそろそろ新しい仕事が始めたいと思っていたタイミングだったので、ギャラリーをやめて書店を開くことに決めたんです」

 

自費出版が多い沖縄の地で。
固有の文化を伝え継ぐ

ギャラリーで働いていた5年間の間に、同ギャラリーの創設者のひとりだった人と結婚。すでに第一子も生まれていた。はじめての子育てに日々奮闘しながらも、本屋への気持ちは走り始めている。以前、本屋で少しだけアルバイトをしたことはあったけれど、仕入れの方法も何もわからず、調べながら準備を進めていた矢先に、友人が店舗付き住宅に空きが出たと教えてくれた。現在の店舗とは違う、若狭という地域。夫の職場とも近く、すぐに家ごと引越しをして店を始めた。

「いつも気持ちが先に走って、やりはじめてからどうしようか考えるんです。子育てと店をどう両立するか、というようなことも具体的には考えていなかった。でも、今振り返れば、店舗付き住宅でほんとうによかったと思います。働くお母さんたちは、みんな放課後保育をどうするかというのがネックになるということも後から知ったことで……。そういう部分でも、店をしながらずっと子どもと一緒にいられて、お友だちも遊びに連れてこられる。いい環境で店が始められたんです」

こうして開店した『言事堂』。はじめは自分の蔵書と、知り合いから買わせてもらった本棚2つ分からのスタートだった。学生のためにと思っていたので、自分で値段を安く設定できる古書を中心に扱うことにした。古書の組合があることを知って組合に入り、競り市に参加するようになると、一気に扱う本が増えていく。そうして仕入れをしながらわかってきたこともあった。

「競り市に参加するようになって、沖縄には自費出版の本がすごく多いんだということに気がつきました。いわゆるAmazonでは手に入らないようなISBNのない本。沖縄固有の文化を伝えるようなものから自叙伝、美術工芸にまつわるものまで、ありとあらゆる自費出版本がでてくるんです。今でこそZINEを作る人も増えていますけど、そんな文化のない時代のものばかり。辛い歴史があるからこそ、沖縄独自の文化を残し伝えていきたいという意識の表れでもあるのかもしれません。そうした本に触れると、沖縄の人たちの土地への思いが伝わってきて、沖縄にまつわる本が増えていきました。

 

沖縄の“書店のはじまり
から見えてきたもの

 そうして、あっという間に8年の月日が流れた。蔵書や在庫が増えてきたために倉庫を探し始めたところ、雑貨店さんをやっていた友人から、「お店を引っ越すことになったから、この場所を使わないか」と声をかけられた。それならと、家のほうを倉庫にし、店舗を松尾へ移転することにした。松尾は、那覇の中心地。そして、書店を始めたころよりも時代は移り変わり、宮城さんの意識も変わってきた。

「今は、放っておいても本が売れる時代ではないですよね。だからこそ、今の時代の若い人たちに本という世界の入り口があることを伝え続けたいと思うようになりました。それで、沖縄の『ボーダーインク』という出版社で編集をしている友人と沖縄の本屋の歴史を調べる活動を始めたんです。彼女は本を出版するといろんな書店に納品にまわるんですけど、近年、ものすごい勢いで書店がなくなっていると危機感を持っていて。それで、書店のことを2人で調査するようになりました。具体的には、本島と離島の書店をめぐってインタビューするんですが、家族経営の書店が多いので、だいたいがファミリーヒストリーの話になりますね。

でも、沖縄の書店のはじまりの話には、みなさん共通するものがありました。戦後、米軍統治のもとで教科書供給がうまくいかず、本土から来る本も輸入品扱いだったので、学校は再開できても教科書がないという状況がずっと何年も続いていました。そこで学校の先生だった人たちが会社を立ち上げて教科書販売に乗り出したのが、戦後の書店の始まりだったと。その頃の書店の人たちが、検閲を緩和してもらうように熱心に働きかけたことで状況が変わっていったんだそうです。書店は、まさに子どもたちのための場所としてスタートしたんです」

宮城さん自身、書店という空間だけでなく外にも活動の場を持つことで、また違う角度から書店というものを眺めることができた。『言事堂』も、ただ本を仕入れて売るだけではない場所にもなってきているようだ。

「全国的にそうかもしれませんが、ここ沖縄も私が子どもを産んだ頃と比べて、共働きの家庭がずいぶん増えました。だから、町に“鍵っ子”がすごく多いんです。松尾に移転してきて、近所の子どもたちと挨拶を交わすうちに、子どもたちもだんだん慣れてきて店に遊びに来てくれるようになりました。『トイレを貸して』とか、『喉が乾いたからお水ちょうだい』とか。
そうこうしているうちに、社会福祉協議会の方から、試験的に子どもの居場所作りに取り組んでいるので参加しませんか?とお話をいただいて、店の2階の一部を子どもたちが遊べるスペースにしました。子どもたちだけで遊んでいると、何かあったときに駆け込める場所が必要で、このあたりは知っている大人がいるから大丈夫と安心して遊ばせてあげたい。

これは初めて沖縄に来たときから感じていたことですけど、沖縄の人たちは、人との関わり方がとても上手なんです。血のつながりなど関係なく、みんなにおせっかいで、いつも気にはかけているけど介入はしない。状況を受け入れる懐の深さがあって、町のみんなで子育てするんです。それに、これは子どもたちだけのためではない。私自身、お店があったからこそ地域の人たちと関わり、子どもたちと関わることができたんだと思います」

学校から帰ってきた子どもの居場所として解放している、2階のスペース。

今、『言事堂』の2階で遊んでいる子どもたちも、やがては若者になっていく。そうして、この先10年、20年と、若い人たちにとっての世界への入り口であり続けるのだろう。

「お店を始めた当初から、“学割”を続けているんです。学生の子たちには、『買わなくていいから、立ち読みしにおいで』って言うようにもしています。本を読んで内省する時間をつくってほしい、自分で自分のことを考える時間をつくれるようになってほしいと思うから。そして、できるだけいろんな本に触れ、この世界にはこんなに多様な生き方、考え方があるんだということを知ってほしい。そういう役割を担っていける書店でありつづけたいと思っています」

言事堂(ことことどう)
美術書、工芸関連書、展覧会カタログ、建築書、写真集などの芸術書専門の古書店。古書以外に新刊書、同人誌、自費出版本など、芸術全般の書籍を取り扱っている。絵画作品や紙もの文房具、アンティーク雑貨なども販売。

住所:沖縄県 那覇市壺屋1-4-4 1F左
TEL/FAX:098-864-0315
メール : info@books-cotocoto.com
HP:www.books-cotocoto.com
営業時間:11:00〜19:00
定休日:毎週水曜日・第2・4木曜日
※展覧会会期中は臨時営業、休業日あり。
※お電話・FAXでのお問い合わせは営業時間内にお願い致します。

取材時の店舗は那覇市松尾でしたが、現在は那覇市壺屋に移転し、営業されています。

“知らない世界”の入り口をつくる。 学割のある、沖縄の小さな芸術書専門古書店。
“知らない世界”の入り口をつくる。 学割のある、沖縄の小さな芸術書専門古書店。
宮城未来さん 香川県高松市生まれ。2001年から5年間、沖縄の文化・芸術活動拠点NPO「前島アートセンター」にて事務局やギャラリー、企画を担当。その後、美術館学芸員補助やマングローブ植林NGO事務局にて勤務後、2007年に美術書専門の古書店を那覇市若狭に開店。
2015年5月に那覇市松尾へ、2020年7月に那覇市壺屋へ引っ越した。書店を営む傍ら、沖縄の書店の歴史調査や、子どもための居場所づくりなどを行う。
(更新日:2020.01.20)
特集 ー まちなかの文化の入り口

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まちなかの文化の入り口
どのまちにもささやかに存在する「文化の入り口」。様々な人が集う場を生み出した人を訪ね、内と外をゆるやかにつなぐ店づくりや活動について話を聞いた。
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