特集 地域で暮らしを
つくる人の声を聞く時間
漫画家・五十嵐大介さんと語る、 「地方での暮らしと創作活動」 @岩手県奥州市

甘酒を発酵させてしぼってつくる自家製の米サワー、湿気対策のために薪ストーブで焼くパン……。大自然の中にある小さな集落にひとりで暮らす主人公の営みが、細部にわたりみずみずしく描かれた漫画『リトル・フォレスト』。
2004年に第一巻が発行され、その後2014年には橋本愛主演により映画化。言葉よりも感じることを信じる主人公の、生きている実感がある暮らしは、漫画好きだけでなく、自然との深い関わりやつながりを求める人や、自分の生き方を見つめ直す人たちの心に強く刺さり、今でも多くのファンがいる。2019年5月には韓国でも実写映画化され、国を超えてその和をひろげている。
この物語は、岩手県の衣川村(現・奥州市)で約3年間、自給自足に近い暮らしをした原作者である、漫画家・五十嵐大介さんの実体験から生まれた。奥州市は、南部鉄器の一大産地として栄えた土地で、北上川が流れる豊穣な大地では、りんごやお米などをはじめとする農業が盛ん。岩手が誇る前沢牛やいわて奥州牛の産地でもあります。
そんな奥州の暮らしの魅力を伝えるプロジェクト〈ぺっこの森〉(企画運営:スキヤキッド)が開催したイベント「ぺっこの森でひとやすみ」に、奥州にUターンしてアートディレクターとして活動しているCOKAGE STUDIO inc.の川島佳輔さんと、『リトル・フォレスト』に感化されて、地域おこし協力隊として奥州市に移住した田名部茜さん、そして五十嵐大介さんがゲストとして登壇。「地方での暮らしと創作活動」について考える。
写真:阿部 健 文:兵藤育子
「帰ってきた」気持ちになれる景色
先月、奥州生まれのアートディレクターの川島佳輔さんと、神奈川県から奥州市に移住した田名部茜さん、そして五十嵐大介さんが、東京都千代田区の「3331 Arts Chiyoda」に集まった。
それぞれが撮影した、「奥州市での暮らしのなかで出合った好きな景色」の写真を紹介する中で、五十嵐さんがあげたのは、かつて暮らしていた家の前から撮った景色だった。

移住イベント「〈ぺっこの森でひとやすみ〉漫画家 五十嵐大介氏と語る『リトル・フォレスト』のくらし~自然と共に暮らす岩手県奥州市での移住生活と創作活動~」の様子。写真左・五十嵐大介さん、右・田名部茜さん。

【撮影:五十嵐大介さん】
五十嵐さん:2、3年前に遊びに行ったときに撮影したのですが、この景色を見ると今でも衣川に帰ってきたんだという気持ちになれます。電信柱の向こう側に舗装されている道路があって、そこから未舗装の道を上ってくると僕の家があるのですが、冬は雪かきをしないと外に出ていけないし、ほかの人も来られなくなってしまうんです。だから毎日一生懸命雪かきをしていたのですが、つらいというより楽しい思い出ですね。
牛小屋を改造した住居に暮らしていた五十嵐さん。もともとその住居を造ったのは、先に衣川に移住していた一家で、五十嵐さんが移住したときは近所に移築した古い農家の一軒家に暮らしていたそう。その家の2階から見える風景のスケッチがこちら。
五十嵐さん:手前の真ん中にあるのはビニールハウスで、そこのお母さんが原木シイタケを栽培していたので、いつも煙がたなびいていました。ここから見える家々が、僕のご近所さん。
家に風呂がなかったので、山の上のほうにある温泉にときどき連れて行ってもらったり、食べ物をおすそ分けしてもらったりして、何かと助けてもらっていました。最初に衣川へ遊びに来たときも冬だったので、冬の景色は印象深くてとても好きなんです。
川島さんが紹介してくれたのは、りんご畑の写真。りんごというと青森のイメージが強いが、奥州も最高級品として名高い江刺りんごなどをはじめとする、一大産地。

2014年に奥州市にUターン。フリーランスデザイナーとして活動し、2016年にグラフィックデザインや編集を行うCOKAGE STUDIO inc.を設立。奥州市に小さな旅をつくるプロジェクト「Walk on Soil」のディレクターも務めている。

プロジェクターのりんご畑の写真が川島佳輔さんが撮影したもの。
川島さん:近所のりんご畑を、家族と散歩していたときに撮った写真です。岩手はりんごがたくさん採れるので、いたるところにりんごの木があります。奥州で生まれ育った僕らからすると、たくさんありすぎてそれほどわくわくする風景ではないのですが、こういう何気ない風景が奥州らしいのかなと思って選びました。
小学生の頃、友だちと学校から帰るときはりんご畑を通って近道して、りんごをこっそりもいで食べながら帰ったこともありました(笑)。
ささやかだけど、
大事にしているものがある
続いてのテーマは、「奥州市での暮らしのなかで出合った好きな人」。2018年に神奈川から奥州市に移住してきた田名部茜さんは、同じく神奈川からの先輩移住者であるご夫婦の写真をあげてくれました。

田名部茜さん。2018年5月、奥州市の地域おこし協力隊として移住し、「Walk on Soil」の立ち上げメンバーに。活動1年目は奥州を知るために、農業、食、郷土文化などに携わる人々に会いに奥州市を駆け回り、現在は地元団体とのイベントづくりにも精力的に取り組んでいる。

【撮影:田名部茜さん】
田名部さん:山の奥に暮らして農業をしているご夫婦なのですが、60歳を過ぎて神奈川から移住されたそうです。生き方や暮らし方をもう一度見つめ直したたいというのが移住の理由だそう。
自分たちの食べるものや家に飾るリースなど、ひとつひとつ時間をかけて丁寧に作っていて、ささやかだけれど大事にしているものがきちんとある。そしてそれを暮らしのなかで実践されているんです。よく遊びに行くのですが、会うたびにいろんなことを教えてくれます。
川島さんは、まちの画材屋さんだった建物をリノベーションして、2017年にオープンさせたカフェを併設する託児所「Café&Living Uchida」での一コマを。そこには、田名部さんの姿もある。

【撮影:川島さん】
川島さん:奥州で一緒に働いている仲間たちです。京都や東京、神奈川など出身地もさまざまで、僕と同じようにUターンしてきた人たちとも関わり合いながら働いています。ただ、最初からこんなふうだったわけではなく、僕が5年前にUターンして、フリーランスでグラフィックデザインの仕事を始めたときは、地域に知り合いがほとんどいない状態でした。
だけどこのお店を作るタイミングで、いろんな人が集まってくれて。地元出身者は「奥州には何もない」って言いがちですけど、移住してきた人たちは、奥州のいいところをたくさんあげてくれるんです。それによって僕たちも気付かされるし、すごく自信になりますね。
暮らしだけでなく、
ここでは仕事も創作する
最後のテーマは、「地方での暮らしと創作活動」について。衣川での暮らしがやがて『リトル・フォレスト』に昇華された五十嵐さん。衣川に移住した経緯を話してくれたが、そもそもきっかけは衣川から遠く離れた沖縄の西表島を旅したことだったという。

会場では『リトル・フォレスト』の原画も展示。自分で育てた野菜を収穫し、工夫しながら食べる様子が、生き生きと描かれていました。
五十嵐さん:僕は埼玉の浦和で育ったのですが、必要なものは買って手に入れるし、困ったことがあったら業者さんなどを呼んで直してもらうのが、当たり前の生活でした。だけど西表島では、生活に使うものや着るものを自分たちで作り、食べ物も山や海へ行って自分たちで採ってくる。生活にまつわることを自分たちで賄っているような人たちに初めて触れてびっくりして、自分はそのスキルがゼロに近いと痛感したんです。しかもその生活自体がすごく楽しそうで、初めてかっこいい大人に会ったと感じるくらい印象的でした。
だけど僕は面倒くさがりだし、出不精だったりもするので、憧れはしたけれども、そういうことをしなければ生きていけない場所に自分を追い込まないと、実現は無理だなとも思っていました。
その後、盛岡で暮らし始めるのですが、西表島で知り合った友人の親戚が衣川に住んでいて、たまに遊びに行っていたんです。大森に残っていた分校で、月に1度開催していた自然塾に通うようになり、いろんな分野のエキスパートの講義だけでなく、一緒に聞いている衣川の人たちも面白い方が多くて、この土地に惹かれていきました。それで先ほど話した、牛小屋を改造した家が空いている話を聞いて。
僕自身、仕事や人間関係に行き詰まって、爆発寸前の時期でもあったんです。半分ヤケっぱちだったのですが、そういう生活をしちゃおう! と引っ越したのです。
五十嵐さんにとって衣川で暮らす一番の目的は、生活を見つめ直すことだったため、漫画を描くことからは当初距離を置いていた。結果的には途中から『リトル・フォレスト』を描き始めることになるが、生活に集中する時間があったからこそ、あのリアルな表現は生まれたのかもしれない。そして川島さんも、暮らしや人生を見つめ直すきっかけは旅だった。
川島さん:21歳のとき、いろんな国のいろんな仕事を自分の目で見てみたくなって、バックパッカーで40カ国くらい1年間旅をしました。それまで「仕事をする=会社員になる」というイメージしかなかったんですけど、世界には本当にいろんな仕事をして生きている人がいて、自分のなかで働くということの許容値がすごく広がって。
地元に戻ろうと思ったのは、「帰る」と表現できる場所は、やっぱり生まれ育った奥州しかないのだと、旅をしながら感じたから。だけどもし40歳とか50歳になってから地元に戻って、楽しくなかったら嫌だから、早いタイミングで地元に戻り、暮らしていくなかであったらいいなと思う要素や環境を、長い目で見ながら自分たちで作っていこうと思ったんです。
グラフィックデザインの仕事を始めたのは、写真を撮りながら旅をして、表現することの楽しさを感じたのが大きかったという川島さん。今は、地方ならではの生かし方や広がり方が可能な仕事だと感じている。
川島さん:岩手には盛岡という大きなまちがありますが、奥州くらいの規模になると、盛岡と比べてデザイナーの数が極端に減るんですね。
だけどお店や企業はそれなりにある。だから僕がUターンして間もないときに感じたのは、名刺やパンフレットを作りたくても、誰に相談したらいいのかわからないことが、お店や企業にとってハードルになっているということでした。僕がそういった要望に応じると、「紙のデザインができるんだったら、ウェブはどう?」みたいに芋づる式に仕事が生まれるのが、地方の面白いところかもしれません。
そして昨年から奥州で暮らし始めた田名部さんも、『奥州zine』という冊子を制作して、移住者ならではの視点で奥州の魅力を発信している。

奥州市の特産品プチマルシェ。川島さんと田名部さんがその日の朝に衣川で採ってきたウドやミズ、タラの芽などの山菜や、お米、卵など大好評だった。

田名部さんが制作した『奥州zine』。奥州の日常のなかにある魅力を田名部さん自身がイラストと文章で綴った奥州愛あふれる一冊。
田名部さん:奥州の面白いところを絵と文章に落とし込んで、みなさんに広めたいという思いで作りました。観光パンフレットのようにアクセス方法などが載っているわけではなく、奥州の景色とそれにまつわる物語を紹介しています。
たとえば焼石連峰という山があるのですが、春になると山に降った雪が溶けてきて、「ハル」という文字が浮かび上がるんです。その文字が見えると田植えを始めるのが、この地域の言い伝えだそう。
私としては観光地を巡るより、地元の人からこういう話を聞くほうが楽しくて、いろんな話を集めて冊子にまとめてみました。「ほんにょ」という刈り取った稲の干し方についても触れているのですが、奥州でも少なくなりつつあるそういった風景を、地域の文化として残していきたい思いもあるんです。
かつて暮らした人、Uターンした人、暮らし始めた人、それぞれの目線と経験から語ってくれた、奥州の暮らし。自然のなかで生きることのリアリティや、仕事の理想的なあり方、地域の人とのつながり方など、さまざまなヒントがあった。
岩手銘醸の杜氏と飲みながら教わる!
奥州市のおいしいお米とこだわりの日本酒作り
イベント「ぺっこの森の人と米と酒」
岩手県・奥州市前沢で、地域密着の酒作りを行う伝統ある造り酒屋「岩手銘醸」の若手杜氏をゲストに迎え、選りすぐりの日本酒を味わいながら、奥州市のおいしい米とこだわりの酒作りを味わえるイベント。日本酒と合わせて、奥州市在住の若手料理人が地元食材を使ったぺっこの森オリジナル酒の肴も楽しめます。
【概要】
日時:2019年6月22日(土)15:30~17:00
会場:3×3 Lab Future(大手町)フューチャーキッチン
(東京都千代田区大手町1-1-2 大手門タワー・JXビル1階)
参加費:4,000円(税込)
イベントHP:pecco-no-mori02.peatix.com
《ゲストプロフィール》
〇 三浦 健太郎さん(「岩手銘醸」 杜氏)

《料理》
〇 植山 美里さん

ぺっこの森とは?

毎日があっという間に感じられる東京でのくらしの中で、少し立ち止まって“くらしを見直す”、“くらしについて考える”時間を皆さんと共有していきたいと思っています。
〈ぺっこの森〉公式 facebookページ: www.facebook.com/pecconomori

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