ある視点

立ち上がる、歩く、電車に乗る、
買い物する、引っ越しする、季節が変わる、
生活の中には、いろいろなサイズの「移動」がある。

 
もしかしたらほんのわずかな目の動きだって、
季節が変わるくらいの「移動」なのかもしれない。

 
風景と文章を追う“目の移動”が
オーバーラップすることばの世界へ。

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ヒロくん、「ヒロくん、ヒロくん。」ヒロくんは呼び止められて、鳴ったのはキュッと、靴で、白い運動靴で、買った時は赤い箱に入っていて梱包材それはクシャクシャにした薄手の半透明な紙に包まれていた、取り出して履いてみて気に入っていたヒロくんが履いていた白い靴は廊下を歩いていると、ゴムの靴底と廊下の床材が、これはリノリウム、という名前の素材であることをもっと後になって知ってから思い出す〝リノリウムの床〟は艶々と光を反射していてその上に立っている人のシルエットを映しそうになる。いや、でもそんな鏡みたいには映り込みがないかな、実際はもっとくぐもった感じになっているような、病院の床とかも同じ素材なのかどうかを考えてみているヒロくんは「俺は、お前と高校からの同級生だ。」ということでヒロくんが通っていた校舎と、同じ校舎に通っていたことのあるお前は、〝リノリウムの床〟と聞いて思い出す床、というか廊下は、「俺が覚えているのと一緒かなぁ。」と、いかにも俺が言い出しそうな質問を思いついたお前は、国道沿いのガストの駐車場で携帯灰皿をショルダーバッグから取り出そうとしているのは、少し先に店を出て階段を降りたところでキョロキョロと辺りを見回して探しているのは銀色で円筒状の、よくコンビニの前とかにあるような設置型の灰皿で、見つからない、さっきまで禁煙ブースで夕食を食べていたのは、お前とお前の奥さんと子供の、名前は紺碧の〝碧〟と書いて〝アオちゃん〟で、アオちゃんが生まれてからアオの前では吸わないでねタバコって言われてるし、言われなくてもそうしようと思っていたのに、ていうかそうしてるのに度々注意してくる時の語気が強い、一回でもアオの前で吸ったことがあったかと反論したことはないので、反論されたことはないお前の奥さんは今、レジの前に立って会計を済ませている。左手に持っている口の開いている薄ピンク色の長財布はお前が買ってあげたものなんだろうか。「俺が買ったんじゃない。そして薄ピンクじゃなくて〝桜色〟ね。俺と知り合う前から使っているもので、どこで買ったかは知らないけど、えらく気に入っていて。もう桜色は販売してないんだと。だからよく見るとボロくて、新しいのに買い換えたらって言っても、完璧に壊れるまではこれ使うって言ってて。」ヒロくんは〝完璧に壊れる〟って何だよ、と思うと思う。穴開くとかチャック閉まらなくなるとかじゃない知らない。

ほとんど日の落ちた夕方でも、アオの着ている黄色のダウンは遠目からも見つけやすい。おそらく同じ考えの親が多いのだろう、公園とか、子供がたくさん集まるような場所に行くと黄色のダウンを着ている子供は多い。

アオちゃんは何か手に持っているのか、階段を降りきってもまだ、うなだれるように首を曲げて、自分の手元を見ながらお前に近づいてゆく、そのすぐ後ろを歩きながらまだ遠く見えるはずのお前に向かって「アオがハイチュウに爪ギューッてしちゃったのよぉ。」と喋りかける声のボリュームは、周囲には他に誰もいないことを分かっていて、さらには、二階が店舗で一階部分は柱だけで壁のない、ピロティ構造になっている駐車スペース特有の音の抜けも加味して出されたもので、それに返事をするには同じくらい声を張らなければいけないが、同じくらい声を張ったらその時点から話の落ち着く先が決まってしまいそうなので、アオのとぼとぼしたペースに合わせてゆっくりと歩いてくる妻が、普段の声量で話せる距離に近づくまで曖昧な表情を浮かべたまま待っていた。目の前に二人が揃うと、お前は、うなだれているアオちゃんの目線の先には、なぜか両手で捧げ持つようにして運ばれてきたハイチュウはグレープ味で、「お会計終わって出ようとしたらアオいなくて、中に戻ったらレジの近くでお菓子持ってるから、おうちに帰ったらお菓子あるからこれはナイナイねーって言っても全然だめだったの、ギューッて。最後は爪たてちゃって。」

 

「アオちゃんはグレープ味が好きなんだね。」

 

「アオはグレープ味が好きなんだね。」と的外れなことを言ったとしたら、冷ややかな目を向けられるのかもしれないが、お前は、今にも泣き出してしまいそうにも見えるし反対にとても興奮しているようにも見えるうつむいたアオちゃんを見下ろして、艶々としたおかっぱ頭の真ん中にあるつむじに向かって「ハイチュウ買ってもらって良かったなぁ。」と気休めのような言葉をかけていたので、その視線に気付かない。気付かないこともできる。

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目の泳ぎ
関川航平

1990年、宮城県生まれ。美術作家。パフォーマンスやインスタレーション、イラストレーションなどさまざまな手法で作品における意味の伝達について考察する。近年の主な個展に2017年「figure/out」(ガーディアンガーデン、東京)など。グループ展に2018年「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(国立国際美術館、大阪)「漂白する私性 漂泊する詩性」(横浜市民ギャラリー、神奈川)ほか。
http://ksekigawa0528.wixsite.com/sekigawa-works

(更新日:2019.04.01)

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