ある視点
立ち上がる、歩く、電車に乗る、
買い物する、引っ越しする、季節が変わる、
生活の中には、いろいろなサイズの「移動」がある。
もしかしたらほんのわずかな目の動きだって、
季節が変わるくらいの「移動」なのかもしれない。
風景と文章を追う“目の移動”が
オーバーラップすることばの世界へ。
18
近くに燃えうつるものがない。
はじめてのことに火は、気詰まりになってあたりを見渡すと台所の流しの上には備え付けの、重ねた皿をそこに収納していることを知っている、食器棚の、戸板の色はアイボリーだ、に夜に、窓を開けっぱなしにしていた窓から入ってきた色は黒の、コウモリが入ってきちゃったから取ってほしい、取れる?と連絡を受けた火は、自転車を漕いで到着したアパートの階段を登って玄関で靴を脱いで通された台所ではじめて見たその食器棚の色はアイボリー、の右端に黒い、ほらあれ!取れる?取れるだろうか、あれはコウモリなんだろうか、そっと近づいて伸ばした手でつかんだ柔らかい、カエルを触ったことがあったので、手の中身をのぞくと、しおれた肉厚な花を握っているような、くしゃくしゃの黒い花を、開いたままになっている台所の窓から、振りかぶり気味に投げる姿勢をとった時、手の中にはボールにしては軽い、カエルだったら目の前の車道に落ちて、花だったら花弁が分かれて散らばったが、それは羽を広げて飛んでいったのでコウモリだった。コウモリが飛んでゆくフラフラと不規則な軌道は、窓から漏れる台所の明かりに照らされてしばらくは目で追うことができたが、すぐに夜の暗さに紛れて見えなくなった、そのことを思い出していると、ダイニングテーブルの向こう側から様子を見ていた人がおそるおそる近づいてきたんだった。すると火は、半歩ばかり場所をゆずって、二人は横並びになって窓から外をのぞいたんだった。「いなくなったよ」とか「飛んでいったよ」とかそのようなことを口にしたんだっけ、その後どんなやりとりをしたんだっけ、横に立つ人の肩を掴んで、揺さぶって、確かめたいが、近くに肩がない。つかむことができない肩の、人の、目は窓の外に向けられているので、火も窓から外に出る。明るい時間帯にもこのアパートの近くを自転車で何度か通ったことがあったから、窓から出てすぐ目の前にある側道から住宅地を抜けて、さらに太い通りに出て左を向くイメージがある、向いた方向に進めるようだ、しばらく進むと道沿いにログハウス風の外観のパン屋があることを知っている。徐々に見えてきた看板は背が高く、道路を走る車の運転手からも目にとまりやすいように立てられている。一文字目、二文字目、三文字目、四文字目、五文字目、六文字目、思い出された看板の文字を一文字ずつ読んだ火は、このパン屋のイートインコーナーでよく昼ご飯を食べた。レジ横の奥まった縦長のスペースに、丸テーブルと背付きの椅子が五組くらい並んでいて、突き当たりの壁際に設置された折りたたみ式のテーブルの上には大きな魔法瓶にホットコーヒーが入っていてこれが飲み放題なんだ、とここに書けば、そうだったねと笑顔でうなずくだろう顔ぶれを想像して、火もにっこりと笑う。今は営業中だろうか、店内を少しうろついてみると思わず声が出る、ああ!見てくれ、この、平べったくて上にザラメがびっしりまぶしてあるパン、噛めたら上の歯にジャリっとザラメの食感、中にはこしあんが詰まっていて、甘かった。このパン食べたことある?
南天の木を、見たことがある、が燃える。
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関川航平
1990年、宮城県生まれ。美術作家。パフォーマンスやインスタレーション、イラストレーションなどさまざまな手法で作品における意味の伝達について考察する。近年の主な個展に2017年「figure/out」(ガーディアンガーデン、東京)など。グループ展に2018年「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(国立国際美術館、大阪)「漂白する私性 漂泊する詩性」(横浜市民ギャラリー、神奈川)ほか。
http://ksekigawa0528.wixsite.com/sekigawa-works