ある視点

立ち上がる、歩く、電車に乗る、
買い物する、引っ越しする、季節が変わる、
生活の中には、いろいろなサイズの「移動」がある。

 
もしかしたらほんのわずかな目の動きだって、
季節が変わるくらいの「移動」なのかもしれない。

 
風景と文章を追う“目の移動”が
オーバーラップすることばの世界へ。

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このごろは梅雨と呼ばれ、それにしてはめずらしいはっきりとした晴れ間に河川敷は明るく広がっていて、遠目には銀色の川面と一面の緑、ところどころに落ちている眩しさは降りやんだ雨がまだ乾ききっていない。ハトだろうか、いやもう一回り身体の小さな、それはムクドリが、オレンジ色の嘴で背の低い草むらの間をかきわけて雨上がりに地面から這い出てくる虫をついばもうとして、何羽もいる、何羽もいるムクドリたちは皆同じように、繰り返し嘴を草の根元に差し入れて虫を探して頭を上下させているため、その一帯はムクドリたちによって静かではない。


ふいに誰かが近づけば、それは自転車に乗った男だったが、数羽のムクドリは気配に気がついたのか飛び立ったのは三羽、さらにそのうちの一羽を見ることに決めれば、地面を離れようとわずかに前かがみになった姿勢で羽を地面に叩きつけるように素早く動かす時に羽音はバタバタと、足が地面を離れてからもしばらくは上昇するために気忙しく動かされている羽、ある程度の高度からかつて自分も含まれていたムクドリの群れを見下ろして着地点として目星をつけたのは群れの円から少しはみ出たくらいの場所で、そこへ向かおうとする身体はほとんど水平で羽ばたき一回一回のストロークは長くなり、ほとんど羽は広げたままになってすべるように滑空している姿を見ながら、もしも同じように脇の下に吹き抜ける風があれば脇毛がなびくだろう、少しずつ高度は落ちてゆき、いよいよ地面が近くなってきたら水平だった胸をぐっと起こしながら、いま再び素早く羽ばたき、進行方向と逆向きに風を送るようにして減速する。そして足から着地した、ムクドリが一羽。少し早かったか遅かったか、ピントのぼやけた、あれも着地するムクドリが二羽、思い出すみたいにして合計三羽がほとんど同時に着地したように思っている。


ふいに、ムクドリの群れの真ん中に立ってみることにすれば、足元は裸足ならばびしゃっとするのはまだ濡れているシロツメクサを、革のブーツで踏めば、靴底の厚みの向こう側で折れ曲がるだろう白い花と茎は見下ろしても見えない、見えるのは焦茶色のブーツの周りに生えているシロツメクサが踏まれていない。顔を上げると、通っていた小学校の校庭よりもずっと広い、遊具は見当たらない河川敷にはシロツメクサの一面の広がり、を歩き出せば、その音で飛び去ってしまうかもしれないムクドリの群れの中央からまずは半歩踏み出すと、また靴底に新しく踏まれることになるシロツメクサはやはり濡れていて、しかし直接濡れたわけではない足の裏は、実際に見えていたり、一本一本のシロツメクサに付着した一滴一滴の露で濡れているだろうと知っていたりすることとは全く別に、濡れているように感じるのは地面、シロツメクサの下にある土が昨晩までの雨を含んでぬかるみ、着地する足の裏に対してほんの一瞬滑りやすく、とまどうかのような足首の角度、すぐに次の足を出すならば一回一回の着地を完璧に決めすぎる必要はない、右足、左足、の繰り返しの動作の中で転んでいないということは及第点の接地(ぬかるみ)、接地(ぬかるみ)、接地(ぬかるみ)そして蹴り上げて、また次のシロツメクサを踏む足)が運んでいる視界)の後方へと過ぎ去っていく足元)には一面の緑色の、ところどころにぽつぽつと白い、小さな、丸みを帯びた、シロツメクサは花も葉も濡れて、もしも立ち止まって数秒間見つめていればそれらが風によってかすかに揺れていることにも気が付けるけれど、歩くことを続けていると揺れているのは視界で、後方へと過ぎ去っていく、決して繰り返しではない足元には一面の緑色の、ところどろこにぽつぽつと白い、小さな、丸みを帯びた、シロツメクサ(は白い花(は咲いている(は見えるそして名前を呼べる花なのでついつい呼んでしまうシロツメクサ(シロツメクサの上を歩いて過ぎる速度で視野後方へ消えていったシロツメクサの花ひとつひとつを呼んではいない、過ぎ去ったシロツメクサの咲いていた一帯に咲いていたシロツメクサは過ぎ去って、その途中途中でもしも目が留まった一個の白い花の特徴から判断するに「ああ、これはシロツメクサだ」とわからせる特徴としては、小さな花が寄り集まって球状になっているその様子を絵に描こうとすると花弁の重なりが難しい、一つの花弁を描こうとすれば別の花弁が重なってくるのでそちらの輪郭も描き始めるとまた別の花弁が重なっているので次々と花弁の輪郭を追いかけるうちに、最初に描き始めたところはどこだったか分からなくなり花弁から目が離れると、白い、一輪のシロツメクサ、一輪のシロツメクサから目が離れると、河川敷で、描いている間には気がつかなかった鼻息にあわせて肺が膨らんだりしぼんだりしている。

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目の泳ぎ
関川航平

1990年、宮城県生まれ。美術作家。パフォーマンスやインスタレーション、イラストレーションなどさまざまな手法で作品における意味の伝達について考察する。近年の主な個展に2017年「figure/out」(ガーディアンガーデン、東京)など。グループ展に2018年「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(国立国際美術館、大阪)「漂白する私性 漂泊する詩性」(横浜市民ギャラリー、神奈川)ほか。
http://ksekigawa0528.wixsite.com/sekigawa-works

(更新日:2019.07.04)

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