ある視点

立ち上がる、歩く、電車に乗る、
買い物する、引っ越しする、季節が変わる、
生活の中には、いろいろなサイズの「移動」がある。

 
もしかしたらほんのわずかな目の動きだって、
季節が変わるくらいの「移動」なのかもしれない。

 
風景と文章を追う“目の移動”が
オーバーラップすることばの世界へ。

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誰も雨もしばらくの間降っていないのか、乾くと軽い土が、そこらを吹いた風に飛ばされて植木鉢の中の土かさは減って、痩せた土のすき間から植木の根がのぞいていて白い。植木鉢の足元にこぼれた土は濡れているのか、吹き溜まっていて黒い。蛇腹式の門扉は開かれたまま、前庭を通って戸口までの道の両脇には大小さまざまな植木鉢が並んでいて、一番大きなプランターにはホウセンカが咲いていた、なぜなら、しゃがみ込めば顔の高さに生っている実を指でつまんでみると皮がめくれるようにはじけて種が飛び散る、これがよほど楽しかったのか、目に入る限りすべての熟した実に手を伸ばして種を飛び散らせては、まだ幼い声で笑っているのを見下ろしながら、そうだった、楽しかった、黄色くなった実をつまんでごらん、と教わったのはしゃがみ込んでいる丸まった背中、が振り返って尋ねる「プランターに咲いているこれは何「これはホウセンカ」ホウセンカの花は赤い。ホウセンカの花が赤く咲いていたのは別の季節に立ったままで通り過ぎて、今では目の高さには呼び鈴、は押さずに磨りガラスのはめ込まれた縦格子の引き戸は、内側から桟の重なった部分に先端がネジ状になった金属の棒を、それが鍵で、差し込んで回して戸締りをしていなかったとしたら、引手に軽く手をかけただけでもとてもすべりが良くカラカラと開いたらそこにあるだろう玄関の広がりに、引き戸の乾いた開閉音は反響して、土間に向きを揃えて置いてある焦げ茶色の突っ掛け、上がり框をあがると板張りの廊下、すぐ左手の物置にしている六畳間、右手の寝室に続くふすまは閉まっていて、正面に伸びる廊下は左側に一つ扉、洗面所と風呂とトイレ、右側には二つふすまがあって、手前が仏間、奥が居間。廊下の突き当たりは台所、入り口にかけられている珠暖簾をくぐれば連なった木製の玉同士がジャラジャラとぶつかりあって、しばらくの間揺れていて、それから止まって、それから止まっている暖簾はそれから


止まっている、止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、

止まっている、止まっている、止まっている、


カラカラと引き戸の開く音が玄関で鳴ったならば、おや誰だろうか、と、誰は、だいたい居間か台所にいることが多くて、居間の入り口と対角線の角にはテレビが斜めに置かれて中央には横長のコタツがある。コタツの周りのどこかに座ればテレビの画面は正面から見ることも斜めからのぞき込むような姿勢になることもある。テレビ画面は台所からは見えない、見えていなくとも、台所と居間は隣り合っていて二つをつなげている引き戸はいつも開けられていて、閉まっているところを見たことがなくて、おそらくは格子のガラス戸で、台所側についている戸袋の前には大きな食器棚が置かれていて食器棚から取り出された皿に乗せる料理を作っている間、居間から聞こえてくるニュース番組のキャスターの声が、大人数集まっている時にはかき消されて笑っているような声や、声や声が混じり合っている合間から、耳にすんなりと届く単語は「ビール」(ないのってことかしら)「冷蔵庫」(にありますよってことかしら)と聞こえたのかしら。「冷蔵庫にはまだありますよ」と居間に届くように声を張って返事をしたのだったかしら、思っていたら向こうのほうで誰かが立ち上がって台所まで取りに来る足音は畳敷の居間から板張りの台所の床への一歩目が踏む床板は良く踏まれる床板でギイと鳴った後に冷蔵庫の開いて閉まる音を、居間に座って聞いているうちに運ばれてくる夕飯には大皿には半月状に切られたトマトが周辺に添えられた中央には山盛りのカキフライに箸を伸ばして取り皿に乗せながら、たくさん人が集まるとコタツだけでは足りないので、仏間においてあるローテーブルもくっつけて広くなった食卓の上のどこにソースがあるか探して、あぐらから立ち膝になって伸ばした手、でも届かないのを、それに気がついたソースが近くに座っていた誰、も、ソースの容器を掴んで渡すために立ち膝になる。それらすべての動作も音を出していたが、居間全体が夕飯でざわざわと鳴っていたのでそれぞれの音を聞き分けられないまま、だんだんと食べ終わって、まだお酒を飲んでいる人だけになる頃には少し静かで、空になったお皿を重ねる音がはっきりと聞こえる。食べ終わった人は順番にお風呂に入ってしまいなさいと、これは声がしてからしばらくの後、給湯器がブーンと音を立てているのは台所の勝手口からと戸外に出てそこから玄関先に回る家と家との間の小道を通る時、外壁に取り付けられていて、隣家との境界線のフェンスからのぞく向こうの庭に犬小屋から頭と前足を出して眠るのは、風呂場の窓から漏れるオレンジ色の明かりでうっすら輪郭の分かる、それは昼間に同じ小道を通ればこちらを見つけてよく吠える黒い犬。は、今も元気でワンワン、いるのか。もうすっかりいなくても、黒い耳は聞いた、風呂桶から洗面器にすくったお湯が身体にかけられてから床に散らばる音。

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目の泳ぎ
関川航平

1990年、宮城県生まれ。美術作家。パフォーマンスやインスタレーション、イラストレーションなどさまざまな手法で作品における意味の伝達について考察する。近年の主な個展に2017年「figure/out」(ガーディアンガーデン、東京)など。グループ展に2018年「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(国立国際美術館、大阪)「漂白する私性 漂泊する詩性」(横浜市民ギャラリー、神奈川)ほか。
http://ksekigawa0528.wixsite.com/sekigawa-works

(更新日:2019.10.01)

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