ある視点

立ち上がる、歩く、電車に乗る、
買い物する、引っ越しする、季節が変わる、
生活の中には、いろいろなサイズの「移動」がある。
もしかしたらほんのわずかな目の動きだって、
季節が変わるくらいの「移動」なのかもしれない。
風景と文章を追う“目の移動”が
オーバーラップすることばの世界へ。

07
駐車スペースに車は停まる。助手席から一人、運転席から一人、後部座席の助手席側から一人が外に出る、それぞれの足が地面に触れて、それまでの車中で話していた話題がなんだったか忘れた。三人はそれぞれが座ってきた座席に大きな荷物は置いて、二人は手ぶらで、一人は肩からカメラを下げて歩き出す。ここは、まず何から言えば、とても広くて、歩き始めて間もなく先頭を歩いていたカメラを持った男が振り返って撮った写真には、一番奥になだらかな稜線の山、その手前に広がった平らな地面には建物はほとんど見当たらないが、真新しいアスファルトが敷かれていて黒黒としている、いや一部は太陽の光が路面に照り返して白飛びしている。その上をまぶしそうに片手を目の上でひさしのようにかざした背の高い男と、同じようにまぶしそうな顔をした女が歩いている姿が写っているが、これはまぶしいのではなく砂ぼこりが目に入りそうだったことを覚えている。写真に写っていない右や左や後ろの広がりには、まだアスファルトが敷かれていない土や砂利をならしただけの地面があって、砂ぼこりはそこから来た。
このとても広くて真っ平らな地面は端から端まで工事中だが、場所によって工期のバラつきがあり、駐車スペースのあたりはもうほとんど道路は完成していたけれど、今歩いている付近はまだ完成していないように見えると思ったら信号機がまだ設置されていない。遠くに小さく見える黄色いショベルカーは、近くまで行けば大きい、アームの部分に触ってみれば冷たい、舐めれば表面に張り付いて乾いた泥が口の中に入って濡れる。「ここらへん一体は、元の地面の高さよりも十メートル嵩上げされてるんだよ。」とカメラを持った男の話す声を聞きながら、手ぶらの男は左右の手をファスナーが開いたままのダウンジャケットのポケットにつっこんで体の前で裾を重ね、首をすくめて辺りを見渡している男の視界に入っている山がある。「だから、向こうに見える山はもっと高く見えてたんだよ。」とカメラを持った男が続ける。ダウンジャケットの男はポケットの奥に差し込んだ右手の爪の先に小さく当たるものがあり、つまんで取り出してみると、それは個包装の飴玉の袋をちぎって開けた時のプラスチック片で、三十度・六十度・九十度の三角定規のような形をしていて、六十度と九十度を結ぶ一番短い辺には、元の袋の状態の時に両側についているギザギザの部分が、山・谷・山・谷・山、の山三つ分残っていて、つまり端から三番目の谷で袋をちぎって開けた。今、親指と人差し指でつまんでいるのは三十度の一番鋭角な頂点で、反対側のギザギザが残っている部分には、ポケットの中にあった繊維質で灰色の綿ぼこりがくっついていて、その重みもあってか、目の高さまでつまみ上げるとくたりと折れ曲がる。いつ食べた、何味の飴玉だろう、指で端っこをつまんだまま口をすぼめて息を吹きかければひっかかっていた綿ぼこりがふっと離れて、空中でくるりと縦に一回転したかと思えばすぐに見えなくなる。親指と人差し指を開くと、三角形のプラスチック片は人差し指の腹に張り付いたままで、また息を吹きかけてみたがピラピラと身をよじるだけで飛んでいかない。もう一度、今度はもっと短く鋭い息で
「フッ」
と音のする方に顔を向けると、斜め前を歩く男の指先から吹き飛ばされた。あれは何だろう、小さくて、落ちてゆく最中に一度だけ短く光ったように見えた。手ぶらの女は飴の袋の破片が地面に落ちるところまでは見届けずに、顔を上げて向こうに見える山を見た。三人は、車を停めたのは嵩上げされた台地のほとんど真ん中で、そこから台地の縁に向かって歩いてきた。縁には簡易なビニール製のネットが腰ぐらいの高さで等間隔に打ち込まれた木杭に結わえて張られていて、その奥は急斜面になり、ネットぎりぎりまで近づいて見下ろせば、斜面の先には元々の地面の高さの平野が広がっている。「平野」という単語がすぐに頭に浮かんだのは、その見下ろした、広がっている地面の上にはほとんど建物がなく、整地されただけの平らな土の表面が、ここから歩いていったら遠いのだろうか、向こうに見える山の裾野まで見通すことができる。
手ぶらの女は、向こうに見える山を、今見下ろしている地面の高さから見上げたことがあって、その時は目の前に、そこまで高い建物はなかったけれど、せいぜい二階建てのアパートや、切妻屋根の一軒家、郵便局、コインランドリー、パチンコ屋、新しく出来た低層階のマンション、小学校の時に通っていた皮膚科の病院、その駐車場に生えていた棕櫚の木、暖かい土地じゃないと冬はツラいんじゃないかなといつも思っていた、南国みたいな木、それらが向こうに見える山の手前にあったから、山全体を見渡すことができなかったけれど、普段暮らしていてわざわざ「山を見よう」と思ったことはなかった。
手ぶらの男は、向こうに見える山の片側の斜面がごっそり削り取られているのに気づいて、カメラを持った男が道中の車内で「山削って、土持ってきて、地面高くして。理屈はわかるけどナンセンスだよ。」と喋っていた「山」っていうのはこれのことか、と思った。
カメラを持った男は、向こうに見える山が削られる前の姿を見たことがない、工事が始まったころはまだ神戸に住んでいた。
三人は、向こうに見える山が削り取られているこの数年の間で、少し痩せたりまた太ったりした。

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関川航平
1990年、宮城県生まれ。美術作家。パフォーマンスやインスタレーション、イラストレーションなどさまざまな手法で作品における意味の伝達について考察する。近年の主な個展に2017年「figure/out」(ガーディアンガーデン、東京)など。グループ展に2018年「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(国立国際美術館、大阪)「漂白する私性 漂泊する詩性」(横浜市民ギャラリー、神奈川)ほか。
http://ksekigawa0528.wixsite.com/sekigawa-works
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