ある視点

立ち上がる、歩く、電車に乗る、
買い物する、引っ越しする、季節が変わる、
生活の中には、いろいろなサイズの「移動」がある。
もしかしたらほんのわずかな目の動きだって、
季節が変わるくらいの「移動」なのかもしれない。
風景と文章を追う“目の移動”が
オーバーラップすることばの世界へ。

13
ボコン、という音が鳴って音の聞こえた方に顔を向けるとペットボトルが机の上にある、それは飲みかけの炭酸水が入った、帰り道のセブンイレブンで買ってきた、家にはウイスキーが残っているはずだった、炭酸水と氷だけ買ってきて作った一杯目のハイボールをその次に作って飲んだ二杯目よりも早いペースで飲んでいた間は、ペットボトルの蓋は開けたままで、ボトルの表面は細かな水滴に覆われているのはまだ全然冷たかった炭酸水も、二杯目を作ろうとする時に手に持って思うのは、これは三杯目を作る頃にはすっかり冷たくなくなっているのはまだ良いとしても、というのも結局氷を入れてしばらく待っていれば氷は溶けて、もう冷たくなっただろうかと思う頃に飲んでみると冷たいだろうし、せめて炭酸だけは抜けてしまわないようにしないと、と思って二杯目を注いだ後のペットボトルをぐっと潰して中の空気を押し出して蓋を閉める、この方法はずっと昔に、誰か忘れた誰かに教えてもらって、覚えていて、こうすると炭酸が抜けづらくなるんだよ。」本当かどうかは分からないけどほとんどおまじないのような、空気を抜いておくと炭酸が抜けづらくなる理屈は分かっていないけれど「なるほど」という気持ちで時々思い出して、さっきも教えに従ってそうした時に、蓋の閉め具合が緩かったのだろうか、おそらくは蓋とペットボトルのスクリュー部分の隙間を通って空気がゆっくりと入っていくのは、凹んだペットボトルがその弾性によって元々の形状に戻ろうとするから外の空気が流入してくるんだと考えた、考えたのだが、空気の方から勝手に入り込んだからペットボトルが膨らんだようにも思えるのは、きっと、かつて潰れて凹んだままになった空のペットボトルの飲み口に口を当てて風船ではないけれど思い切り息を吹き込み形を元に戻したことがあって、「空気を入れる、だから膨らむ」という順番に慣れているからなのか、「ペットボトルが元の形状に戻ろうとする、だから空気が入る」という順番をイメージするのにワンテンポ遅れがある。
「空気の方から入っていったのではなく、ペットボトルの方が空気を引き入れたんだよ。」「いや、炭酸水の中に溶けていた二酸化炭素が気化して空気が膨張しペットボトルは内側から押し戻されたんだよ、蓋はちゃんと閉まっていたよ」いずれにせよ
ボコン、と鳴った机の上のペットボトルを一瞥してからもう数日が経っているんだけど、今も忘れていないので、例えば、翌日の朝に起きて見下ろした机の上には食べかけのチーズや飲みさしのグラスが散乱している、手近にあったコンビニ袋に可燃ゴミを集めて片手に持ち、もう片方の手で半端に中身の残ったペットボトルを持って台所に向かい、先にペットボトルを流し台に置いて空いた両手でコンビニ袋の口をしばってゴミ箱に入れ、ペットボトルの中身を流しの中に重ねられているまだ洗われていない皿の上に捨てる時、牛乳やジュースの残りを捨てる時には白やオレンジの色が付いているのでどこまでそれが広がっていったのか分かるのと違って炭酸水だから無色の液体が広がって、いつもなら色が消えるように蛇口をひねって水を流すけど、まぁ良いかと思いながら、手持ち無沙汰になっていたペットボトルを逆さにして持つ手と反対の手はすでに蛇口をひねって水を流していたり、翌々日に訪ねてきた友達が今週末に両親と二泊三日で北海道へ旅行に行くんだ、はじめてバスツアーってやつに参加するんだけど俺、ヘルニアだからさぁ腰が痛くならないか今から心配だという話を聞けば、なるほど、連日バスでの移動を続けた場合の体調の変化を想像してみたり、その夜に車道の端を自転車で走っていると後ろから追い抜いてきた黒いタクシーが目の前の十字路で左折していく時、減速した赤いテールランプがとろりとろりと視界の右端から左端に消えてゆくのを見送ったり、その前に入っていた銭湯では、脱衣所にある大きな鏡の前に裸で立っている短い間なんとなく陰毛を撫でてみたり、週末には不在者投票のために必要な封筒をトートバッグに入れて、エアコンの電源を切って玄関へ、玄関は熱がこもって暑いな、しゃがみこんでサンダルのマジックテープをバリバリと剥がしたり、それと平行してずっとまだ覚えていられるのは「ボコン」と鳴ったペットボトルの音のことを、
「うん、覚えている。魚のやつ、尻尾でものすごくあばれまわってさ、舟の横木を折っちゃったろう。魚を棍棒でぶんなぐる音を覚えているよ。お爺さん、ぼくをへさきにつきとばしたじゃないか。そこんとこにぬれた巻網があったっけ。舟がぐらぐらゆれていたね。お爺さんはまるで木樵が鉈で樹を切るみたいに魚をぶんなぐっていた。棍棒の音がきこえるようだ。血の匂いがいっぱいだったね」
「そりゃあ、お前、ほんとに覚えているのかな。おれの話を覚えているんじゃないかね?」
「ぼく、みんな覚えているよ、はじめのときからずっと」
(ヘミングウェイ、福田恆存訳『老人と海』新潮文庫、1966年、8頁)

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関川航平
1990年、宮城県生まれ。美術作家。パフォーマンスやインスタレーション、イラストレーションなどさまざまな手法で作品における意味の伝達について考察する。近年の主な個展に2017年「figure/out」(ガーディアンガーデン、東京)など。グループ展に2018年「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(国立国際美術館、大阪)「漂白する私性 漂泊する詩性」(横浜市民ギャラリー、神奈川)ほか。
http://ksekigawa0528.wixsite.com/sekigawa-works
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