ある視点

たしかに在るのだ、という重み。

すべすべ、ざらざら、ふさふさ。

普段はあまり文章を書くことがない
本屋さんが紡ぐ、まっしろで、
肌触りのある言葉たち。

小さなまちの本屋さんが選ぶ、
手触りのある3冊。

vol.1 たしかに在るのだ、という重み。

河野理子さん(「縁側」店主/福岡県)

祖父の介護のため都市部から移住した豊前で、思いもよらず「縁側」という本屋兼ブックカフェを始めて1年が過ぎました。幸せと素直には言えないもがき苦しんでいた介護の日々に少しでも光を見出そうと、家の縁側を自分の部屋にし、たくさん本を並べ自分の居場所を作ったのが「縁側」の始まりでした。

 

その家の中みたいな外みたいな不思議で絶妙な距離感で存在している縁側という場所がわたしの中でむくむくと大きくなっていった頃、祖父の死と入れ替わるようにお店をすることになりました。
本や人との出会いを通して自分に還り、また日常に帰っていくような居場所。まずは豊前の人たちに楽しんでほしいと思っていたお店は、近所のおじいちゃんたちがコーヒーを毎日のように飲みに来てくれるそんな願っていた場所になっています。でもカフェ営業ができなくなった今、わたしに残ったのは本の魅力を伝えるというお仕事でした。今自分が必要としている本も、誰かに届けたい本も日に日に変わることを選書した本から感じると同時に、感じるものや考えが刻々と変化しているその揺らぎを肯定しようと改めて思えました。

 

これからも「わたしを通して」本や言葉を届けるということの意味を真剣に考えてゆきたい。わたしに囁く本の小さな声、そのささやかであろうとも手触りを感じたそのままを正直に伝える。それが他者と違っているかもしれないことを恐れずに。きっとそういう本がまだたくさん待っています。今回の事態になって、ふしぎとまだ読めない本へのロマンが日に日に膨れあがって来ています。少し前までは本や人との不たしかな約束、それに押しつぶされそうになることもあったけれど、世界が一変し、急に読めない本がきらめき出し、果たされない約束があることが喜びになりました。思いもよらない出来事の奥には、まだ知らないということの不安に隠れた喜びが無数にあるような気がしています。

 

生まれたら死ぬという前提が、
温度も持たずに広がっていく

ほとんど見えない』 マーク・ストランド 森郁夫(訳)
港の人/1,800円(税別)

日々これからどうするかという決断に迫られ、頭をフル回転させていた。
お店を休業するのか、企画していた思い入れの在るイベントを延期するのか。これから生活はどうなってしまうのか。日を追うごとにできないことが増えていくようだったし、様々な正解があって、立場が変れば正解も変わる。もはや正解などなく、自分の生き方や考え方はどうなのか、それが試されているような気持ちだった。
そんな時、この『ほとんど見えない』を手に取った。家の庭から祖母が摘んできてくれたチューリップが気がつけば枯れていて、手で触ると簡単にはらりと散ってしまった。それとほとんど同じタイミングだった。

 

そのタイトルをみただけで、そうだよなあと腑に落ちた。紙にそっと掬い上げた美しいチューリップの枯れたはなびらを横に本を開く。そこにはただただ生まれたら死ぬという決まりがあるのだという力強い前提が温度も持たずに広がり、その上にわたしの知っている言葉がばらまかれた美しい景色があった。その当たり前を目の当たりにし、ただただ感服し、あとはもう安心してページをめくった。「私たちの病気の隠れた美しさについて」は表題からして今の世界のように思われる。わたしたちはぼんやりと、その病気の気配を感じ、ある人は諦めたりある人はそんなこと知らずにキスをしたり、ある人は他の街へ思いをはせる。ただそれだけのことなのだ。

 

皮肉、不条理、虚無や怒りや悲しみ。そんなものたちをどこへぶつけてよいのか分からない今に、一番いい温度でそばにいてくれる本だと思う。

 

手触りを通り越して、
汗の匂いさえして来る行間

ブードゥーラウンジ』 鹿子裕文
ナナロク社)/1,800円(税別)

舞台は福岡のライブハウス、ブードゥーラウンジ
へろへろ』の著者であり、雑誌『ヨレヨレ』の編集者でもある鹿子さんの文体に誘われるように入ったその扉の奥では人間たちが音を奏でながら発光していた。生命を爆発させ、音楽と共に生きるその生き様に、行間からは手触りを通り越して汗の匂いさえして来る。

 

本当はみんな音楽だけで生きていきたいんじゃないかと思ったことがある。
とっくにそれに気づいている人はもうギターの弦をつまびいていたり、音に乗って身体を動かしている。音楽は聴く専だと、静かに本を開くあの人だって本当は音楽がしたいんじゃないか? 意識を取っ払ったその向こう側。そこにはたしかに音に似た魂の震えがあるはずなのだ。

 

わたしも福岡市内の都心に数年住んでいて、そこから豊前という田舎へ移住してきた。移住してきて1番恋しかったのは、そびえ立つファッションビルでもなく、最先端のタピオカ屋でもない。今にも踏み倒されそうな、でも癖の強い面白い人が集まる溜まり場のようなお店や場所ばかりだった。この本にはそのような人があつまりエネルギーを発散し、それを共有する一種の奇跡のような場面が描かれている。そうして人間の人生が。人間は、きっとなんども立ち上がり、どこでだってやり直せる。

 

この先、経済が破綻したら? 今の常識が通じない世界になったら? と最近よく想像する。コンクリートみたいに人間味が感じられない冷たい場所やモノへの思慕は少しずつなくなっていく。生き残っているのはブードゥラウンジのような場所や、文体から生命力や魂を感じる書物や、発光した人間たち。毎日音を奏で歌い、食べ物をこしらえ、どうにか生きていけるさと命を燃やす、それがわたしの空想のビューティフルワールドである。

 

今はまだじかに触れられない生身の人間の肌触りをこの本から感じたくて、またページを開いてしまう。

果たせない約束が、
わたしを活かす

野生の思考』 クロード・レヴィ=ストロース、大橋保夫(訳)
みすず書房)/4,800円(税別)

本屋としたことが、心の中にあるのにぐずぐずして注文する勇気がない時、お客さんからその本の話題が出ると本に「今だ」と囁かれた気持ちで仕入れる時がある。
『野生の思考』もそうだった。絶対読むべき本だと確信はあったけれど、内容を理解することが果たして自分にできるのか。全く読めていないものを勧めることはいいものか。などとしばし考えていた。そんな時お客さんの口から出て来たそれを、よし、と縁側に並べることにした。そうして『野生の思考』は本棚の守神になった。その重みと立派な佇まい。表紙の絵からも伺い知れる深遠さ。幾人のお客様が、ぱらぱらとめくり棚へ戻すのを幾度もわたしは見てきた。

 

コロナによりお店を閉めなければならなくなった時、「まだ読んでいない本があることは良いことだ」という言葉をよく目にするようになった。きっとそれは今は果たしたくとも果たし得ない断絶された約束ばかりが、積読本のように頭にあるからだろう。何かそのことに対しての救いを無意識に探していたのだろうか。若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房)にも、クラフト・エヴィング商會の『おかしな本棚』(朝日新聞出版)にも読めない本へのロマンや温かな肯定が書かれていた。みんな誰しも読めない本があるのだ。 「今こそ読むべきと思って『野生の思考』買ったよ!」と東京の友人から連絡があった。縁側にもありがたいことにまだいらっしゃる。内容はまだ掴めないけれどたしかに在る。

 

一人でこつこつと見えない誰かに向かって本の紹介をしたり発送をしたりしていると時折ふと心細くなり、本棚の『野生の思考』を手に持たせてみる。たしかに在るのだというその重みに安心して、よし、今こそ読んでみせるよ。と宣言する。遠くの友人の本棚にも、同じく立派な『野生の思考』があるのだなあ。その重みは縁側のそれと同じであることを気づけば願っていた。

 

果たせない約束が、わたしを生かしているように読めない本もまたわたしを、そして誰かを生かしている。みんなの本棚にまだ読めない守神がいると心強い。そんなささやかでずっしりとしたロマンになびいてこの本を紹介していることをどうか許してほしい。

河野理子さん
福岡の夜間保育園で保育士として働く。福岡市でRethink Booksという期間限定の本屋でアルバイトをしたのち、祖父の介護のために一人豊前市へ移住。予想以上に大変な介護の中、zineを作ることと家の縁側で本を読んだり、祖父母とブックカフェごっこをすることが救いだった。周りの人の後押しのおかげで、思いがけずお店としての縁側が始まる。本に出会える陽だまりのようで吹き溜まりのようなお店。これからも形を変えながら柔軟に進化してゆきたい。

本と、喫茶と、ギャラリー 縁側
福岡県豊前市荒堀145−5
engawabooks.etc@gmail.com
engawabooks.amebaownd.com
(更新日:2020.05.19)

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