ある視点

暮らしの中にある確かな「生きる手触り」

すべすべ、ざらざら、ふさふさ。

普段はあまり文章を書くことがない
本屋さんが紡ぐ、まっしろで、
肌触りのある言葉たち。

小さなまちの本屋さんが選ぶ、
手触りのある3冊。

vol.16 暮らしの中にある確かな「生きる手触り」

小倉みゆきさん(「スロウな本屋」店主/岡山県)

岡山駅からほど近い住宅街に戦前から残る木造長屋で、2015年、小さな新刊書店をはじめました。靴を脱いで上がる店内には、「ゆっくりを愉しむ」をコンセプトに選んだ絵本と、衣食住からエネルギー、政治、哲学など「暮らしの“ぐるり”」を考える書籍を並べています。また、月替わりで小学生が1冊の岩波少年文庫を宣伝紹介するプロジェクトをおこなっており、時々、小さな「今月のふくてんちょー」が全力で本を売ってくれたりもします。

世の中のさまざまが、速くなりすぎてしまった今、私たちは本当に幸せでしょうか。「最短距離で効率よく」も時には大事ですが、それだけでは見落としてしまうもの、こぼれ落ちてしまうものがたくさんあるはずです。暮らしの中にある確かな「生きる手触り」を感じられる本を、3冊ご紹介します。

ひとつの場所で暮らすという、無限の旅

『ここで暮らす楽しみ』 山尾三省
野草社)2,300円(税別)

 

“場所(ここ)で暮らす、という時、その場所は地球上のどこであってもよいのだが、ぼくの場合はたまたまそれが鹿児島県の屋久島という土地であり、ここに住みついてもう二十年という時間があっというまに過ぎてしまった。旅や遊びには、むろんそれに特有の楽しみ、喜びがあるが、場所に暮らすことにもやはり特有の、暮らすことを通してしか味わえない楽しみ、喜びというものがある”

 

詩人・山尾三省は、家族と共に移住した屋久島で、「海で十日、山で十日、畑で十日」ということばに出逢う。このことばは、季節や天候に応じて、いつでもどこでも働けることが、人間の立って生きる条件であること。プロだけにまかせず、見よう見まねで技術を身につけるのが、島の生活であること。野趣あふれる島の日々は、手を動かす歓びに満ちていることを教えてくれる。

海で貝や甲殻類を獲り、巨岩に登って一服吸えば、島自体が誕生した1400万年という時間の上に、いま座っている自分を感じる。山で拾い集めた薪で風呂を焚き、静かに燃え立つ火を眺める。畑では猿や鹿に翻弄されつつ、両者が敬遠する里イモを栽培することで、野生動物たちとの共存の道を探る。正月の餅を搗く。島でも餅は買えるが、近所の十数家族と共に盛大にこしらえた餅は、すこぶる美味い。そんな山尾三省が綴る島の日々から見えてくるのは、暮らしを自分の手に引き寄せ、日常の一瞬に「人生これで肯し」とこころの底から肯定できる時を持つことの豊かさだ。

耕し、詩作し、祈る詩人は語る。「地球上のどのような場所であれ、人がひとつの場所を選びとり、そこに生死する覚悟を深めるならば、その場において無限の旅が始まる」と。

 

孤独とともに生きる喜び

『独り居の日記』 メイ・サートン(著)・武田尚子(訳)
みすず書房)3,400円(税別)

“何週間ぶりだろう、やっとひとりになれた。“ほんとうの生活”がまた始まる。” 

 

詩人・小説家、メイ・サートン(1912-1995)。作品への酷評、愛の終焉、家族の死。失意の底にあった彼女は、未知らぬ片田舎へ引っ越した。世間の思惑を忘れ、ひたすら自分の内部を見つめ、新たな出発をするために。「喪失はすべてを鋭敏にする」と綴る58歳のサートン。本書は、その1年間の日記である。

ニューハンプシャー州ネルソンの自然の中で紡がれる、日々の暮らし。大切な友人たちとの交流、詩作、読書、庭仕事……。若くもなく、家族も社会的地位も持たない女性が、独りで居ること。そして老いていくこと。「六〇近くにもなって、人は自分を大きく変えることができるだろうか」と、サートンは、正直に自分を見つめ続けた。

 

“午後晩く二時間ほど外に出て、一〇〇本のチューリップを植えた。それだけなら大した仕事ではないだろうが、到るところで私はチューリップのために場所をつくってやり、雑草を抜き、多年草を植え分け、菫(すみれ)のおかげで息も絶えだえになったアヤメを救出しなくてはならない。私が草取りできるのは春と秋しかないので、今はジャングルで草を分けて働いているようなものだ。でもこうして働くことで私は熱烈に幸福と平安を感じた。曇り日の午後の暮れる頃、光は悲しげで、寒気が身にしみる。けれど若い土の香りは力を与えてくれる。”

 

この土地の自然が、サートンを救った。家と庭に、彼女の手で魂が込められていく。孤独を抱えるサートンの心身は、次第に日々を生きる喜びに満ちていく。その精神のたたずまいは、時代を越え、読む者のこころを打つ。

 

“今日はここ何週間かぶりの“ネルソン日”である。私が家にこもり、机に向かって穏やかに仕事ができ、約束が立ちはだかってもいない日。仕事のあとは休息をし、午後には庭仕事のできる日。いま一度、家と私は独りになった。”

失われた暮らしの営みから見えてくるもの

セント・キルダの子』 ベス・ウォーターズ(作)・原田勝(訳)
岩波書店)2,300円(税別)

どこからも遠く離れているため、「世界のはての島々」とよばれるセント・キルダ諸島。スコットランド西岸から160キロ、かつては島へ渡るのに帆船や蒸気船で数日かかった。海が荒れることが多く、1年の半分はイギリス本土との行き来ができなかった。この小さな島で、ノーマン・ジョン少年は生まれた。この美しい絵本は、彼の眼を通して描かれる島の歴史であり、生きものの図鑑であり、暮らしの記録だ。

島には通りが一本だけ。車も店もなく、電気も通っていない。島の人口が180人を超えたことはないが、少なくとも4000年前からこの島にはひとが暮らしていた。島民たちは互いのことをよく知っていて、島の生活は楽ではないけれど、人々はみなよく働き、ものおしみせず、親切で、まずまず幸せに暮らしていた。お金を持つ必要はなく、誰もが助け合い、とれたものを均等に分け合うなど、必要なものが全員に行き渡る知恵と配慮があり、独自の文化があった。

しかし、1900年代、新型の蒸気船で観光客が島を訪れるようになり、様子が変わりはじめる。楽な暮らしを求め、多くの若者たちが島を離れ、残された島民の暮らしは次第に厳しくなっていった。島の人口がついに36人になった時、その大半は老人と子どもだった。島民全員がセント・キルダを離れざるを得ない時が来た。ノーマン・ジョン、5歳の時だった。

厳しくも美しい自然と、失われてしまった人々の暮らし。ページを繰りながら、かつて世界はこんな風に成り立っていたことを想う。お金で何でも買える便利な暮らしに慣れきった私たちは、何か大切なものを見失ってしまったのではなかろうか。美しい絵本が、そう問いかけてくる。現在、セント・キルダ群島は世界遺産になっている。

小倉みゆきさん
岡山県出身。大阪の大学でスペイン語を専攻した後、洋書専門店、クレヨンハウス東京店、紀伊國屋書店クレド岡山店などでの勤務を経て、2015年「スロウな本屋」を岡山市に開業。店内では読書会やワークショップ、トークイベントなども開催する(2020年現在、イベントはオンラインにて開催中)。毎月一冊絵本を届けるブッククラブ「絵本便」が好評。クラフトフェア「フィールドオブクラフト倉敷」では8年間(2012~2019)、書籍ブース「FOC文庫」を担当した。

スロウな本屋
岡山県岡山市北区南方2-9-7
info@slowbooks.jp
086-207-2182
http://slowbooks.jp/
(更新日:2020.12.04)

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