ある視点

すべすべ、ざらざら、ふさふさ。
普段はあまり文章を書くことがない
本屋さんが紡ぐ、まっしろで、
肌触りのある言葉たち。
小さなまちの本屋さんが選ぶ、
手触りのある3冊。
vol.7 触れることで見えてくること
大阪府豊中市の服部緑地という大きな公園の側にある、新刊も扱う小さな古本屋です。今お店のレジカウンターでこれを書いていて、この記事が載る頃には6周年を迎え、7年目に入っています。
店の南側には小学校があって、小学生たちが登下校しているのを毎日眺めています。分散で登校が始まって少し活気が戻りました。子どもたちは時々店のガラス扉を開けて、「こんにちは」とだけ言って帰っていきます。店に入ると寄り道になり、上級生が注意するので店の中に入って来ることはありません。一度家にランドセルを置いてから来る子がたまにいます。
店の向かい、東側にはレンガ造りのマンションが建っていて、エントランスの花壇を管理人さんが毎日手入れしています。この前まで黄色いモッコウバラが満開に咲いていましたが、今はすっかり五月の日差しを浴びた緑の葉でいっぱいに。レジに座ってそれらの植物を眺めるのはささやかな楽しみです。更にそのマンションの向こう側は車が高速で行き来する新御堂筋という幹線道路があって、またその地下では大勢の人を乗せた電車が走っている…… 。
そんな風に数メートル先でたくさんの人が移動している中、店の前の往来を眺めながら、僕はずっと手を動かしています。こんな風にパソコンで文章を書いたり、あるいは本を眺めたり、拭いたり、ページを捲ったり、じっとにらめっこをしたり、本の写真を撮ったり。
僕は本屋なので本に触れるのが日常であり、生活であり、仕事です。本に触れなければその魅力は分からないですし、それを伝えることが出来ず、商売になりません。つまり、僕は本に触れないと生活して行く事が出来ないし、家族を養うことも出来ません。
今、これを書きながら、あらためてそうだったのかと驚いています。だから僕はお店に足を運んでくれるお客様に感謝するのはもちろんのこと、本にも感謝しなければいけません。そんなわけで、もっと本を撫でてあげなければいけないと思い、今、手元にある星野道夫の本を撫でています。とてもいい気持ちです。
手を握ると伝わる、その「ぬくみ」
『続・谷川俊太郎詩集』谷川俊太郎
(思潮社)1,165円(税別)
店を始めてから知り合った友人に子どもが出来て、彼は娘に「ぬくみ」という名前をつけた。谷川俊太郎の詩が由来だと聞いて、とても素敵な名前を付けるなと僕は感心し、少し嫉妬した。谷川俊太郎の恐らく最も有名であろうこの詩に、僕は確か20代の初め頃に出合い、とても励まされた。
「生きる」
“生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ”
僕にも娘がいて、眠っている彼女の手を握ると伝わるその「ぬくみ」に、この子はいま生きているのだと安堵する。そして 「いのち」を握っているというその尊さに僕は目眩をするほどの感動を覚え、時々涙する(40を過ぎると涙もろくなる)。
手を離せば消え入りそうな小さな灯火が、今では僕の生きる糧になっている。
嬉しい、楽しい、悲しい、声が聞こえてくる写真
『うれしい生活』植本一子
(河出書房新社)2,900円(税別)
写真家・植本一子は身近な人たち、自分の周りにいる人たちを一貫して撮り続けている。写真を始めた16歳の頃から変わらないらしい。それは友人や恋人であり、夫であり娘たちだ。手を伸ばせば触れられる人たちを(恐らく)ほとんど直感的に、刹那的に撮っている。
僕も店の前で撮ってもらったことがある。スマホで撮るみたいに彼女は鞄から小さなカメラを取り出して、さっと撮って、さっと行ってしまった。後日撮った写真を見せてもらったら、プロだから当たり前なのかもしれないけれど、すっかり植本一子の写真になっていて「わあ、凄いな」と声に出して驚いた。変な話、この写真集に僕が出てきても全然違和感がないと思う。
写真に写っている人々がどういう心境なのかは、写真を見ただけではもちろん分からない。ただ、手を伸ばせば触れられる距離にいる写真家に、彼ら彼女らはもう戻らない、その時過ごした時間を心置きなく預けているように見える。それはページをめくる僕の時間に繋がり、まるで写真家が友人や家族と共有している生活に僕も入り込んだかのように、その空気を吸って、僕もまた写真家の眼になって、手になっている。嬉しい、楽しい、悲しい、という声が聞こえてくる。
植本一子が撮る手触りのある写真を眺めていると、写真とは決して見ている「だけ」のものではなく、必ず心にも触れるものであるということを実感させられる。
手を触れずとも搔き乱す、その振る舞い
『珈琲とエクレアと詩人』橋口幸子
(港の人)1,200円(税別)
著者は詩人・北村太郎と不思議な縁で繋がり、彼が亡くなるまでの12年間を親しく付き合う。
このエッセイはその12年間の日々の中で印象に残っている出来事や記憶を綴ったもの。詩人の表情や複雑な男女関係から滲み出る孤独、死の予感、それを見つめる著者の心の機微がとても柔らかい文体で描かれている。
こんな場面があった。著者は詩人から、彼が亡くなるひと月半ほど前に「和風ロールキャベツを作ったから食べにおいで」と誘われる。
“赤ワインが一本用意されていた。
とてもおいしかったのはいうまでもないけれど、ふとワインを注ぐ手に気がついた。手がかすかに震えていたのだ。
はっとしたが、食べる前でもあったので、じっと観察するにとどめて何も言わないでいた。
人間って不思議だ。
こんなとき、よけいに何の心配もないような振りをして、楽しげに振る舞ってしまうのだ。”
人間の不思議をたった数行で描写している。
このような振る舞いを一体どこで人は覚えるのだろうか。10歳ほどの子どもでも同じようにするかもしれない。そう思うのは僕がそうした記憶があるから?あるいは僕の8歳の娘がこうした振る舞いをするであろうことが想像できるからなのか。
手を触れずとも、目の前にいる人の表情や手の動き、ほんの些細な振る舞いが心をどうしようもなく掻き乱す。胸が暖かくなったり、冷たくなったり、心の臓を鷲掴みにされたり、そっと指で撫でられているような感覚に「触れる」という意味の本質があるように思う。
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吉川祥一郎さん冒頭に書いたように、お店を開いて6年経ちました。僕個人の仕事に対する想いはひとまず置いておくとして、住んでいる地域に文化スポットが少ないので展示を開催したりして、文学や芸術に触れられる場所を作りたいと少なからず思ってやってきました。ただコロナの影響下で、人が本や言葉を求める切実な姿を目の当たりにして、もっと小さな範囲での街の本屋としての役割について深く考えるようになりました。
blackbird books
大阪府豊中市寺内2-12-1 緑地ハッピーハイツ1F
info@blackbirdbooks.jp
06-7173-9286
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それぞれのダイニングテーブル事情から浮かび上がってくる、今日の家族のかたち。
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一番知っているようで、一番知らない親のこと。 昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
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