ある視点
すべすべ、ざらざら、ふさふさ。
普段はあまり文章を書くことがない
本屋さんが紡ぐ、まっしろで、
肌触りのある言葉たち。
小さなまちの本屋さんが選ぶ、
手触りのある3冊。
vol.3 遅くて、遠くて、不便へ。
和歌山県の東南端、那智大社や那智の滝にほど近い山あいで、小さな喫茶室と本屋を営んでいます。「地に足のついた生活を自分たちの手で作れたら」そんな思いで、2018年に場を開きました。「そもそも地に足のついた生活とはなんだ?」そんなある意味根元的な問いはつねに抱えつつ、猫の額ほどの田や畑を耕し、もともとのなりわいである編集業に勤しみ、気持ちのいい空間に欠かせない珈琲と本を提供する。そんな日々を送っています。
いわゆる町の本屋さんのような品揃えはむずかしく、ベストセラーやランキングに入る本もほとんどありません。あるのは、まさに手触りを感じられるような、長く読み継げるスルメのような本たち。小さな出版社さんとできるだけ直接やりとりしながら、「人を耕すような本を手渡すように売る」。そんな気持ちで、小さく小さく商いを続けていく所存です。
いま、ものすごいスピードで世の中が移り変わっているように思います。そして、その変化にともなって、「早くて・近くて・便利」から、「遅くて・遠くて・不便」へ、半ば強制的にではありますが、少しずつ人々の感覚が移行している。今回の選書は、そんなイメージを背景に、内容はもちろんのこと、物としての佇まい、ページや装丁の手触り、紙を繰る感触の良さを基準に選びました。どの点をとっても素晴らしい三冊です。
補助線として、
必要としている人へ。
そしてそれが続いていく
『小さな泊まれる出版社』 川口 瞬
(真鶴出版)/2,200円(税別)
“これからどうやって生きていくか悩んでいる人に寄り添い、いっしょに伴走するものになれば幸いです”
神奈川県真鶴町で泊まれる出版社を営む川口さん夫妻。お二人と多くの仲間たちが真鶴出版を作るまで、そして2号店が形を成すまでの過程が、具体的な工程や数字とともに、みっしりと詰まっています。
それでいて、ただの事例紹介ではないところがまず本書の素晴らしいところ。当時の心情を丁寧に振り返る誠実さ、おだやかだけれど芯の強さを感じる文章にお二人の人柄が感じられ、すっと言葉が入ってきます。宿泊がきっかけで真鶴や川口さん夫婦に惚れ込み、移り住んだ方が多いという話も納得です。
絵の挿入のされ方、文字組のレイアウトも細やかに配慮が行き届いた印象で、心地よい読書感が得られます。
大きな流通には乗せず顔の見える範囲に限定した販売方法も、大いに共感するところで、私たちの店にも遠方からの注文がしばしば舞い込みます。必要とする人へ確実に届いている印象があり、これからもそれが続く予感のある一冊です。
ゆっくりと、噛み締めるように
『埴原一亟 古本小説集』 山本善行編
(夏葉社)/2,200円(税別)
“今人間の生命に一刻だって保証なんてある筈がないが、食料と住居の点だけでは確かに二日間は保証されている。これは、大きな安心と勇気を喚び起した”
戦前戦後の混乱のなか、人々がどんな生活を送っていたのか。著者の実体験をもとにした細やかな描写や生き生きとした掛け合いは質感に満ち、行間からは匂いすら立ちのぼってくるようです。
少しとっつきにくい印象があり、最初は少し読み進めづらいかもしれません。ですが、ゆっくりゆっくりと噛み締めるように読んでいただけたら。噛むほどに味が出て、文学の力、厚み。そんな手ごたえを感じてもらえると思います。働くとは何か、仕事とは何か、生活とは何か?確かな実像が、この本のなかにはあります。
目には見えない、人の手の温度と重み
『本を贈る』 若松英輔ほか
(三輪舎)/1,800円(税別)
“大切な人が
困っているとき
金銭を送る
だが 私たちは
言葉を贈ることも
できる”(若松英輔)
一冊の本ができるまで。そこには、想像を超えた多くの人の手がかかっています。目には見えないけれど、確かに贈られてきたバトン。この本を手にとると、その温度や重みがひしと感じられるようです。
油断していると、毎日浴びるように降りかかってくる情報。巷にあふれるヘイト本やハウツー本。責任を持たない政治家の発言。文字や言葉の明らかな軽視を感じる今、改めて本や言葉の持つ意味や役割を考えずにはいられません。
今の気持ちに寄り添う一冊、具体的な誰かを思い浮かべて選んだ一冊、昔読んでまったくわからなかったけれど、1年後自分でもびっくりするほど腑に落ちた一冊。買うという行為をともなって手に入れた本は、(もちろんそれがオンラインショップでも)、それまでの過程、その時の思い、出合い直すまでの時間の経過、そうしたものも含めて、きっとひとつの贈り物です。
願わくば、自分に、大切な誰かに、言葉という贈り物が頻繁に飛び交うような温かい世界であって欲しいなと思います。
番外編
「ひとりにしてほしい」が叶ってしまった今こそ
『何か大切なものをなくしてそして立ち上がった頃の人へ』安達茉莉子
(MARIOBOOKS)/1,200円(税別)
“「誰かがそばにいてほしい」そう思うようになったのは、「とにかくひとりにしてほしい」その願いが完全に叶ってしまった後だった。”
自由に外に出られなくなる。まさか、こんな日がくるとは思っていませんでした。いつだって失うときは突然で、以前に戻ることはできない。そう痛感する日々です。だからこそ、改めて自分の生活や大切な人・時間を見つめ直せている方も多いのではないかと思います。番外編として、そんな方の心にきっと寄り添う、悲しくも暖かな言葉たちがやさしく包まれた本書を紹介して終わります。
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千葉智史さん東京で生活協同組合のカタログ編集に携わる。そこで出合った、人・生協の考え方・取材を通じて触れ合った農家の生き方に影響を受け、気づくと地方への疎開を志すように。縁が重なり、30歳になる2015年に那智勝浦町旧色川村へ引っ越し。これまた縁が重なり、地域商店・色川よろず屋の運営に夫婦で参画。地域に開かれた場として、よろず屋さんの一角で週3日喫茶室と本屋を運営している。正しいことも確かなことも何一つないこの世界。だからこそ確かな実感を求めて山里に身を置き、編集業に、農作業に、場づくりにいそしむ。自分たちを、そして周りの人たちを耕すような生活を送れたらと、気持ちだけは大きいことを考えながら、日々を暮らしている。
らくだ舎喫茶室
和歌山県那智勝浦町口色川742-2
rakudasha.c@gmail.com
www.rakudasha-shop.com
外観撮影:丸山由起
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