ある視点

感じる、考える人のために。

すべすべ、ざらざら、ふさふさ。

普段はあまり文章を書くことがない
本屋さんが紡ぐ、まっしろで、
肌触りのある言葉たち。

小さなまちの本屋さんが選ぶ、
手触りのある3冊。

vol.14 感じる、考える人のために。

黒田杏子さん(「ON READING」)

名古屋でかれこれ14年、夫婦で本屋を営んできました。古いアパートの一室で、決してすっきりしているとは言えない店内に、新刊や古本、洋書や少部数限定の出版物が並んでいます。

 

お店を訪れた方が最初に目にする扉には、“感じる、考える人のための本屋”と書いていて、これが店のテーマでもあります。読めば答えが見つかる本はないけれど、豊かな問いが生まれるような本を置いています。おススメの本を選んでくださいと言われることも多く、それはありがたいことですが、本当は、あれこれ選ぶことを楽しんでほしいと思っています。

 

棚の前でぼんやりと本を眺め、目にとまった様々な本に触れることは、自分と対話できる大切な時間なのではないでしょうか。「いま自分はこういうことに興味があるのか」と、自身でも気づいていなかった一面に気づくこともあるかもしれません。自分で選ぶって、最高に刺激的で楽しいことだと思うのです。

 

さて、今回のテーマは『手触りのあるもの』とのこと。
もちろん私たちは毎日、何かに触れて、手触りを感じて生きています。朝起きて、目覚まし代わりのスマホに触れ、布団に触れ、枕元の猫に触れ、一日をスタートする。でも、思えば何かや誰かに、本当に触れる、ということはどういうことなのでしょう?そんなことは可能なんでしょうか。
またこのテーマは、現在のコロナ禍で以前よりも切実さを増しているように思います。私たちが実生活の中で、今や『手触り』を失いつつある、ということ。この春からずっと、自分の毎日がなんだか出来の悪いSFのようで、地に足がついている実感が得られない、そんな気持ちを持っている人も少なくないのではないでしょうか。

 

手触りを感じられるということは、ある意味で、その実態を信じられるかどうかということなのかもしれません。
そんなことを考えながら、選んだ3冊です。

“生きること”を、“本当に知る”ために問い続ける

庭とエスキース』 奥山 淳志
みすず書房)3,200円(税別)

写真家である著者は、北海道の丸太小屋で自給自足の暮らしをしている「弁造さん」と出会い、14年にわたって彼を撮影し続けた。弁造さんは画家になるという夢を持ちつつも、生前には1枚しか完成させることができなかった。

 

弁造さんが亡くなった後、遺されたたくさんのエスキース(下絵)を譲り受けた著者は、弁造さんにとって“生きること”とはなんだったのか、と考え続ける。著者は、弁造さんの言葉や写真、遺されたエスキースをもとに、彼の写真集を作り、本書を書きあげ、弁造さんのエスキース展を全国で開催してまわった。

 

それでもなお、“生きること”とか、一人の人を“本当に知る”ということは答えの出ない大きな問いで、輪郭が見えたと思ったらその瞬間から淡くにじんでいってしまう。それは描いても描いても完成することのないエスキースのようなものなのかもしれない。

 

だからこそ何度でも思い出し、対話を繰り返す。その手触りを確かめるように。

素手で、生のまま、触れる

家をせおって歩いた』 村上慧
夕書房)2,000円(税別)

きっと、手触りを一番実感できるのは、「素手で世界に触れることができた」と思えた時だろう。たとえば、植物を育てる、絵を描く、料理をする、そして自分の足で歩く……ということ。

 

本書は、美術家の村上彗が、発砲スチロールで作った小さな家を背負って、全国各地を移動し、生活しながら家の絵を描いた369日の日記だ。家を背負って歩き、人と会って話し、考える日々の記録から、現代社会の様々な有り様が浮かび上がる。家とは、土地とは、公共とは、経済とは――。

 

歩く速さでしか見えない景色がある。出会えない人がいる。そして日記をつけるということも、揺れ動き惑う自分の考えを、生のまま捕まえようとする行為なのだと思う。

 

すべての“問い直し”を余儀なくされている今、本書の中で著者が残したたくさんの「問い」は、よりまっすぐに私たちの日々に届くのではないだろうか。

 

すでによく知っている「世界」と、
再び出会いなおすために

世界をきちんとあじわうための本』 ホモ・サピエンスの道具研究会
ELVIS PRESS)1,700円(税別)

私たちは、普段どれくらい「世界」を見ているのだろうか?

 

これは、人類学者のリサーチ・グループによる、未知の世界ではなくすでによく知っている(はずの)世界に、再び出会うためのガイドブック。息を吸う、字を書く、準備をする、といった“日々の営み”そのものが、実際には何をしているということなのか、様々な道具は何をもたらしてくれているのか、私たちは驚くほど、何も見ていない。

 

著者が本書を“ガイドブック”と位置付けたのは、本そのものよりも世界そのものや、本を閉じた後の時間の方が重要だからだ。本書を片手に、すでにそこにある「世界」と再び出会い直すことができたなら、どこにも行かなくたってあじわうべきものはまだまだある。

 

すべてに“意味”が求められるこの世界で、それ以外の部分にこそ手触りがあるのだとしたら、世界の輪郭をとらえなおすために、私たちには今こそ、この視座が必要なのだと思う。

黒田杏子さん
1981年岐阜県出身。2006 年に書店『YEBISU ART LABO FOR BOOKS』を、名古屋・伏見にオープン。2011 年に名古屋・東山公園に移転し『ON READING』としてリニューアル。併設するギャラリーにて様々な作家の展覧会も開催。2009 年に、出版レーベル『 ELVIS PRESS』を立ち上げ、これまでにおよそ20タイトルをリリースしている。街と本屋をつなぐブックイベント『ブックマークナゴヤ』(2008年~2018年)の代表を務めた。愉快な猫2匹と暮らしています。

ON READING
愛知県名古屋市千種区東山通5-19 カメダビル2A & 2B
info@elvispress.jp
052-789-0855
http://onreading.jp/
(更新日:2020.10.15)

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