ある視点

すべすべ、ざらざら、ふさふさ。
普段はあまり文章を書くことがない
本屋さんが紡ぐ、まっしろで、
肌触りのある言葉たち。
小さなまちの本屋さんが選ぶ、
手触りのある3冊。
vol.15 埃、汗、苦味。思い出すことの快感。
福井の駅前にありながら、来る人を拒むかのように分かりにくい場所の上、突然のお休みもよくある不定期な本屋がこのHOSHIDOです。それでも、営業カレンダーを見て(カレンダーが間違っていたり急に休んだりするのにも関わらず)、何度も足を運んでくれる方が何人もいることに、自分の店ながら不思議な思いを禁じ得ません。
置いてあるものは、古本、新刊、CD、レコードと、同人誌が少し。それらをゆっくり見に来る人もいれば、ずっとお話している人もいます。そう、うちの店では、みんなお話するんです。ふだん、おしゃべりが苦手な人も。コロナのことを考えたら、すぐにでも3密になってしまうぐらい店内が狭いので、長時間お話したい方には予約をして来てもらっていますが、その場に居合わせたお客さん同士の掛け合いがミラクルで、私はそれをいつも楽しませてもらっています。
うちは小さな出版社でもあるので、自然と表現活動をしているお客さんが集まってくるのも特徴かもしれません。小説、絵本、写真、音楽、彫刻、絵画、料理などなど。そういえば常連さんはみんな何かを表現している人ばかりだな、と改めて実感しています。
そこで起きた連鎖反応は、このHOSHIDOを飛び出し、街の中へと放たれていきます。私はこうした街の変化を眺めながら、それを再びHOSHIDOに持ち帰り、自分がつくる本の誌面に反映していくことが何よりも楽しい。だからこそ、店を開け続けているのだと思います。
さて、今回ご紹介する本は、ある嫌われ者の物体、現象、味覚が登場する物語です。それらはしかし、私たちの生活になくてはならないものであり、物語を通じてそれぞれの存在を思い起こすことで、強烈な感覚を伴って、快感に変わるものたちです。
正しさとは別のところにある、
かけがえのない街の「埃」
『鉄コン筋クリート』 松本大洋
(小学館)/600円(税別)
“ここは、俺の街だ。”
「鉄コン」の愛称で親しまれている松本大洋の代表作。ヤクザが闊歩する治安の悪い街で、空を飛ぶことができるホームレスの子どもたち「シロ」と「クロ」が暮らしている。ある日、「子供の城」という名の遊園地による街の開発を巡って、反対派の地元ヤクザである「ネズミ」と開発派の殺し屋「蛇」の一派とが対立することになる。
ちょうど、福井駅前も再開発工事によってありとあらゆるビルが壊され、毎日大きな重機の音が聞こえています。私の店もいつかはその再開発の流れで別の場所に移ることになるでしょう。「鉄コン」の街も、揺れ動きます。何が正しいのかはわからないけれど、善も悪も入り混じった街の怪しい「埃」。
クリーンな世界はもちろん素晴らしい。だけど、物足りなさもある。もしかしたら、咳き込むようなこの埃っぽさは今しか体感できないのかもしれない。だって、それらは作ろうと思っても作れないものだから。
忘れられない、においと感触
『2.43 清陰高校男子バレー部』 壁井ユカコ
(集英社)/520円(税別)
“制汗スプレーとかの人工的な匂いが混じっていない、剥き出しの汗の臭い”
福井の田舎にある中学の弱小男子バレー部。幽霊部員となっていた黒羽祐仁(くろば・ゆに)の前に、東京で強豪バレー部に所属していた幼なじみの灰島公誓(はいじま・きみちか)が、とある理由で福井に戻ってきた。たった一人でコートに立ち、バレーの練習を始める灰島。そこに黒羽が加わり、トラブルを起こしながらも、少しずつチームを築きながら共に高校バレーの全国大会、通称「春高」を目指す青春物語だ。
私は中学、高校とバスケットボール部でした。スラムダンクを読んで、軽い気持ちで参加した部活だったけれど、鬼のような顧問にみっちりしごかれ、誰からも見向きもされない一回戦敗退の弱小だった田舎のチームが、最後の県大会ではベスト8に入っていました。
この物語を読むと、作中に登場する部室の描写が引き金となって、ムワッとする酸っぱい汗の臭いや試合前の体育館のピリピリした時間、シュートを決めた時の突き上げるような喜び、びしょびしょになったユニフォームの感触を今でも強烈に思い出すのです。
生きるために、食べる。
『ダンジョン飯』 久井諒子
(エンターブレイン)/620円(税別)
“栄養不足は魔物より恐ろしい”
「狂乱の魔術師」によって支配される地下の「黄金の国」を目指すべく、あらゆるパーティーが、魔物が蔓延る地下ダンジョンの攻略に挑戦する。途中、妹をドラゴンに飲み込まれたトールマン(作中の人間種族の通称)である主人公のライオスは、妹奪還を図るために再度ダンジョンに挑戦するが、戦いの最中に空腹に襲われて敵に敗れてしまう。金銭的にも余裕がないライオスは、倒した魔物を食すことで自給自足を提案するが……。
「腹が減っては戦はできぬ」をモットーに、ありとあらゆる魔物を調理して食べてみようとするライオスたちの試みは、すでに様々な食材を食べ尽くしてきた現代人にとって、生死をかけたサバイバルそのもの。Eat or Dieという原始の心を見せてくれるような物語です。
実際、全く未知の味ではなく、限りなく実在に近い食材をヒントに考えられた魔物たちは、時々、「オエーーーっ」と言いたくなるものもあって、それが逆にリアル(鎧に住みつく軟体を食べるシーンはゾッとした)。美味しいだけではなく苦味やまずさが迫ることで、向こう側の世界がずっと近いものに感じる。それがこの物語による新しい感覚となって、読み手に蓄積されていきます。
私がもつ五感は、誰のものでもなく私だけのものです。
だけど、物語を読むことで、自分の体を簡単に飛び越え、「共感」を生み出していく。
実際、地球上に存在し得ないものまでも手触りを持っているかのように。
本によって、物語によって、自分自身の感覚のそのたくましさに気づいて欲しいのです。想像力は、自己と世界を行き来する「蜘蛛の糸」みたいなものかもしれません。
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佐藤実紀代さん1981年生まれ。福井市出身。金沢大学卒業後、印刷会社、書店、デザイン事務所の勤務を経て、双子の出産を機に独立。現在、福井駅前で小さな出版社兼本屋「HOSHIDO」を営む。2019年に第1冊目となる、若狭塗箸職人の生涯をまとめた書籍『はしはうたう』を出版。企画編集、取材執筆、脚本、イラスト作成など、活字と作画に関わることを中心に福井県を拠点に活動中。
HOSHIDO
福井県福井市中央1丁目22-7 ニシワキビル1階
info@hoshido.me
http://hoshido.me/
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