ある視点
すべすべ、ざらざら、ふさふさ。
普段はあまり文章を書くことがない
本屋さんが紡ぐ、まっしろで、
肌触りのある言葉たち。
小さなまちの本屋さんが選ぶ、
手触りのある3冊。
vol.10 残りのページ数を指先に感じながら読み進める。
卒園文集に書いた将来の夢が「ほんやさん」でした。
裸足で野山を駆け回っていたあの頃に、どうして本屋さんになりたいと思ったのか覚えていませんが、それから20年後、東京から群馬へ帰郷し、少し変わったかたちで本を扱う仕事を始めました。
suiranの実店舗はありません。各地の店舗や施設に向けて本(主に古本)を選書しています。いわゆる「ブック・ディレクター」や「ブック・コーディネーター」と呼ばれる仕事に近く、販売用、閲覧用と本の用途はお任せしています。一度ご依頼をいただくと長いお付き合いになることも多く、回数を重ねることでお店やそこで働く人、お客さまのことがわかってきて、選書の確度が高まり、本と空間が調和していきます。
「手触り」ってなんだろう?と考えてみました。
手触りには「手で感じるもの」と「心で感じるもの」の二種類があるように思います。いずれも、せかせかしているときには意識しにくい感覚です。
たとえば、仕事で遅刻をしそうなとき、手触りのいいハンカチを選んでいる余裕はありません。さらに、心地のいい手触りの言動を考えて、遅刻の理由を上司に伝えることは至難の業でしょう。
著者が綴った言葉から直接手触りを受け取ることができる本や、せかせかした気持ちを落ち着かせ「手触り」そのものに意識を向けられるように姿勢を整えてくれる本を選びました。
時代が移り変わっても変わらない真実
生前、一度だけ長田弘さんにお会いしたことがあります。
長田さんが登壇されるイベント会場で古本を販売していたところ、ふらっとsuiranの売り場に立ち寄ってくださいました。
にこやかにうなずきながら、本の背表紙をじっくりご覧になる長田さん。ひと通り見終えたところで棚から一冊の本を抜き出し、 僕に手渡しました。 『どうしてそんなに物語 上巻』。イギリス人作家ラドヤード・キプリングの作品です。値段をお伝えしようとしたところ、いやいや、とつぶやかれたのです。
「この本は貴重でおもしろい本だから、売らずに、あなたが持っていてください」
想像すらしなかった展開に、どんな表情で本を受け取ったのかも覚えていません。こうして僕はすっかり長田弘さんのファンになったわけです。
その数カ月後に出版されたのが『なつかしい時間』でした。
おこがましいのですが、僕の信条を代弁してくださっていると錯覚してしまうほど、再びあの時の長田さんの言動が心の芯に響きました。
『なつかしい時間』は、「大切な風景」「古い本も読もう」「なくてはならない場所」「対話から生まれるもの」「海を見にゆく」など、51篇の随想から成ります。風通しも、見晴らしもいい言葉の連なりに心がほどけて、時代が移り変わっても変わらない真実を確認できる一冊です。
今このときにも世界のどこかが始まりを迎えている
『よあけ』ユリー・シュルヴィッツ(作・画)・瀬田貞二(訳)
(福音館書店)1,200円(税抜き)
まるでパソコンの「最適化」やプリンタの「ヘッドクリーニング」のように、あちこちにためこんでしまっていたすすを取り払ってくれるのがこの絵本です。
“おともなく、しずまりかえって、さむく しめっている。
みずうみの きのしたに おじいさんとまごが もうふでねている。”
湖畔で過ごした一夜。朝のまだ暗い時間に二人は目を覚まします。湿気をたっぷりと含んだ空気。土と緑のにおい。小さな動物の気配が辺りに漂います。さっと身支度を整えると、二人はボートを漕ぎ出し、湖面で朝を迎えるのです…… 。
ページをめくり、太陽が世界を照らした瞬間の爽快さは忘れがたいものがあり、その描写に谷川俊太郎さんの詩『朝のリレー』が重なります。今このときにも世界のどこかがこの瞬間を迎えていると思うと、すーっと気持ちが洗われていくのです。
呼吸がしやすくなる言葉たち
『歩きながらはじまること』西尾勝彦
(七月堂)2,000円(税抜き)
西尾勝彦さんの言葉は酸素の含有量が高いような気がします。張り切りすぎて息切れしてしまいそうなときに触れれば呼吸が整い、夜に読めば寝つきがよくなる。そんな効能が期待できそうです。
“そぼく
いつからか
素朴に
暮らしていきたいと
思うようになりました
飾らず
あるがままを
大切にしたいと
思うようになりました
そうすると
雲を眺めるようになりました
猫がなつくようになりました
静けさを好むようになりました
鳥の声は森に響くことを知りました
けもの道が分かるようになりました
野草の名前を覚えるようになりました
朝の光は祝福であることを知りました
人から道を尋ねられるようになりました
月の満ち欠けを気にするようになりました
遅さの価値を知る人たちに出会いました
一日いちにちが違うことを知りました
ゆっくり生きていくようになりました
鹿の言葉が分かるようになりました
雨音が優しいことを知りました
損得では動かなくなりました
わたしはわたしになりました”
ありふれた日常の愛おしさに気がつき、大切な人の大切さを再認識する。この本に触れ、 目に見える尺度では測れない、気持ちのいい生活のあり方を見つけました。どうやら、手の届く範囲の存在を重んじることがその近道になりそうです。ひとまず、深呼吸。
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土屋裕一さんsuiranの活動を始めて10年が経ち、実店舗の計画を進めています。カメラマンの妻の仕事場を兼ね備えた「本屋写真館」です。古本屋があり、写真のスタジオがあり、そこに住まう。残りのページ数を指先に感じながら本を読み進めること。記念日に大切な人と撮った写真を額に入れて飾ること。当たり前の幸せを今もう一度、確かに味わえる場所にしていきたいです。
suiran
https://suiran-books.com/
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