ある視点

神山の高校で学んでほしい“場所を見る視力”って?

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑

vol.20 神山の高校で学んでほしい“場所を見る視力”って?

森山円香さん(「神山つなぐ公社」ひとづくり担当)

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神山つなぐ公社のひとづくり担当、「雨乞いの滝」が大好きな森山さんのインタビュー3回目です。

「今度こそ、滝でインタビューしましょう」と約束して半年。今回は、気候条件としてはバッチリなタイミングだったのですが、写真家の生津さん(この連載のパートナー)がまさかの負傷。またしても「滝と森山さんのインタビュー」は幻に……。こうなると、どうにかして滝でインタビューをしたくなってきました。

滝の話はさておき。

前回のインタビューで、森山さんは「引っ越してきた子も、通ってくる子も、神山で育つ子はみんな”まちの子ども”」と捉えていこうと、町に提案した話をしてくれました。

今回は、神山町にひとつだけある高校、徳島県立城西高校神山分校(以下、神山分校)で起きようとしていることを軸に、お話を聞かせていただきました。

神山の高校があたらしく
生まれ変わる

神山分校は、1948年に開校。農林業が主産業だった神山町の子どもたちが通う“まちの学校”としてはじまりました。定時制で、男子は農林科、女子は農村家庭課程で学んでいたそうです。

1963年には、全日制高校になり、農村家庭課程は「生活科」に改称。1974年には、農林科の募集を停止して、新たに造園土木科を設立しました。高度経済成長期のマイホームブームのなかで高まった、造園業へのニーズに応えるかたちで。

そして来年、神山分校はもう一度、生まれ変わろうとしています。
神山分校から「神山校」に。そして、神山の“今”に反映した学びの場に。

いったい、どんな高校になるのでしょう?

2017年6月から「神山分校の明日を考える会」が開かれ、先生方、保護者、卒業生、町役場、つなぐ公社の人たちが集い、共に考える場を持ちました(神山つなぐ公社提供)

2017年6月から「神山分校の明日を考える会」が開かれ、先生方、保護者、卒業生、町役場、つなぐ公社の人たちが集い、共に考える場を持ちました(神山つなぐ公社提供)

「神山は20年以上に渡って、 “創造的過疎”と呼ばれる出来事が続いてきていて。アーティスト、IT企業、食や農業に興味のある人たちが暮らしはじめ、地元の人と入り混じることで、新しい取り組みがどんどんと生まれています。

こうした背景を踏まえて、神山分校は地域で学び、地域とともに育つ学校をめざして再スタートを切ることになりました。具体的には、『地域創生類』という類のなかに、2つのコースをつくります。

造園土木科は、造園の知識・技術を習得しながら山村と河川流域のつながりや景観を学んでいく「環境デザインコース」に。生活科は、農産物の生産から加工・販売までの実践を通して環境保全型農業を学んでいく「食農プロデュースコース」になります。

ただ、中学3年生の時点で『自分はこの道に進むんだ』というのはなかなか決めづらいだろうと、1年次に実習をしたり仕事の様子を見たりと判断材料を増やしてから、2年生に進級するときにいずれかのコースを選んでもらうことにしました

同時に、全国募集も始めます。今までも、毎年県外から何人か「この高校に入れませんか?」と相談はあったらしいのですが、市内と違って神山には高校生のための住まいがないので対応できなかったんですね。今回、高校と町がタッグを組むことで、『高校生の住める環境をつくっていこう』というところまで機運が高まってきました」。

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2018年7月、東京・大阪で「いま、地方の高校で学ぶということー神山町と考える、これからの地域留学ー」を開催。イベント後も多くの人が会場に残り、森山さんたちと語り合う姿が見られました(神山つなぐ公社提供)

2018年7月、東京・大阪で「いま、地方の高校で学ぶということー神山町と考える、これからの地域留学ー」を開催。イベント後も多くの人が会場に残り、森山さんたちと語り合う姿が見られました(神山つなぐ公社提供)

いろんな働き方を間近に
体感する高校生活に

自分が生まれ育った地元と家族から離れて、神山の高校に入学する。

それは、中学3年生にとって大きな人生の選択だと思います。3年間という期間が決まっていて、長期休暇ごとに実家に帰るとしても、やっぱり移住であることには変わりはありません。

森山さんも「誰でもどうぞとは言えない」と話します。「ただ、神山に来て、空気や水をちゃんと感じながら、本人が『ここなら大丈夫』と思えるなら大丈夫」。

森山さんは、神山校を選んだ高校生たちに、どんな3年間を過ごしてほしいと思っているのでしょう?

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「今ってどうしても『13歳のハローワーク』みたいな、すでにある仕事や一般化された職業イメージから『これになりたい』と将来を選んでいきがちと思うんです。でも神山で過ごす3年間で、魅力的な仕事をしている大人に出会ったり関係性のなかで仕事が生まれることを体感できたら、彼らの姿勢が変わるだろうなという気持ちはすごくあります。

神山には、農業や林業をしている人もいれば、映像やプログラミングのプロたちもいます。『神山アーティスト・イン・レジデンス』では、毎年いろんなアーティストが世界中からやってきます。彼らから刺激を受けながら、自分の関心のあることを見つけられたら、それに没頭できる環境になると思うんですね。

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あとは、放課後や休日も思いっきり自由に過ごしてほしいという思いがあります。もちろん、学校の外に出て川で遊んでもいいし、山に入ってもいい。神山メイカースペースでデジタル工作にハマってもいい。神山との相性がいい人に来てもらえたらと思っています」。

高校があるかどうかで、
町の未来も変わっていく

学校は、まちをつくる礎のひとつ。まちの仕事や暮らしと関わりながら、そのあり方も変化していきます。そして、学校が変わると、今度はその変化がまちの方にフィードバックされることになります。

今回の神山校へのリニューアルもまた、学校内の変化に留まることなく、まち全体にも影響していくはず。そのあたり、森山さんはどう見ているんですか?

8月11、12日には「世界につながった山のまちで過ごす3年間 城西高校神山校・体験入学2days」も開催。県内外から引越を伴う入学を検討している中学生と保護者が参加しました。(神山つなぐ公社提供)

8月11、12日には「世界につながった山のまちで過ごす3年間 城西高校神山校・体験入学2days」も開催。県内外から引越を伴う入学を検討している中学生と保護者が参加しました。(神山つなぐ公社提供)

2daysでは、体験授業をしたり、卒業生と話したり、町の取り組みを見て回ったり。森山さんは「自然も堪能しなきゃ!」と川にも案内しました! (神山つなぐ公社提供)

2daysでは、体験授業をしたり、卒業生と話したり、町の取り組みを見て回ったり。森山さんは「自然も堪能しなきゃ!」と川にも案内しました! (神山つなぐ公社提供)

「町にとっても、高校生がまちの風景のなかにいるのはすごい価値なんです。
もし、高校がなくなったら、子どものいる家族は『高校進学時に、子どもを下宿させるか、家族で引っ越すか』という選択肢を取らざるを得なくなります。保育所から高校まで、地続きの教育環境を整えられるかどうかは、今まちに暮らす人にも、移住してくる人にとってもすごい大事なことなんですよね。

神山分校の在校生にも、『自然が好きで来た』『黙々と、植物や野菜と向き合っていられることが落ち着く』と言う子がいます。『都会で生まれ育ったけれども、自然豊かな場所で高校生活を送りたい』という子たちにとって神山校は『行きたい高校』なんです。

これから『この学校に来たくて神山校を選んだ』という子が増えていくと、高校のようすは大きく変わるだろうなという確信があります。今は町内の中学校からの進学割合が少ないのですが、町内で育った子たちも『意外といいね』『家から近いし』と、神山校への進学を考えるようになっていくんじゃないかな。

そうなったら、地域の人たちにも“まちの学校”として再認識されていくんじゃないかと思います」。

高校生たちを地域につなぐ
案内人みたいな存在でありたい

昨年はじまった「神山創造学」という授業も、神山校のリニューアルを後押ししました。地域の大人の話を聞いたり、やってみたい仕事の職場体験をしたり。高校生たちが神山というまちと関わりながら、自分が探究したいテーマを見つけていく授業です。

「神山創造学」が始まってから、神山分校にはいろんな大人が出入りするようになりました。そして、授業が行われる教室には、いつも森山さんの姿がありました。

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「1年生には、まず『神山って“山”じゃん』というイメージを覆して、『このまちで新しいことが起きているんだな』と感じてほしかったので、若手の移住者の話を聞いたり、自分の興味のある仕事の職場体験をする授業をしてきました。「神山のことをもっと知りたい」という声が生徒たちから多くあったので、3学期はぐっと年齢が上の人と出会う時間にしたいと思って『聞き書き』をやりました。

1、2学期の間は、私が中心で授業を進めて、先生方は見守りつつ必要に応じて入ってくれる感じだったんですけど。3学期は小グループに分かれて聞き書きに取り組んだので、各グループに先生がついてくれたんです。結果的に、それがすごくよかった。

先生たちとのチームワークが上がったというか。各グループの進捗を確認するため密に情報共有するようになりました。文字起こしするためのパソコンが足りなくて神山創造学以外の先生に借りたり、生徒たちが文字起こしした怪文書(笑)を読み解いてもらったり。予想した以上に、文字起こしに時間がかかってしまったときは、授業時間を組み替えてもらったりもしました。

『やってみないとわからないだろうな』とは、先生たちも思ってくれているんだろうな、きっと。私が必死で『わああああ!助けてくださーい!』みたいな感じでやっているから、『しょうがないな、もう!』って、一緒にわあわあやってくれる。ほんとにありがたいですね。

学校という空間は、基本的に生徒と先生で構成されるじゃないですか。

今どきの中高生は、その多感な時期に接する大人が、学校の先生と親、塾や習い事の先生だけっていうパターン、けっこう多いと思うんです。だから、学校のなかに先生じゃない大人が日常的にいるという状況は、生徒にとっても先生にとっても、面白いんじゃないかなと思っています。

自分自身のことは、高校生たちを地域につないでいく案内人みたいな存在だと思っていて。生徒たちにも、最初の授業で『私のことは先生って呼ばずに、森山さんと呼んでほしい』と伝えています」。

神山はすごく見えやすい場所
教えてくれる人もたくさんいる

神山、徳島県下のまち、そして全国各地のまち。これから、この高校にはいろんな地域で生まれ育った生徒が集まってきます。県外からの高校生が入学するのは初めてのこと。神山校にとっても、神山町にとっても、また新しい経験が始まることになります。

森山さんは、神山で学ぶことによって得られるものを、「場所を見る視力」という言葉で説明します。

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「『神山創造学』を始めるときに、『地域の担い手を育てます』とカリキュラムの目標に書いていたら、ある先生から『地域というのは神山のことですか?』という問いかけがあったんですね。神山以外の地域から通っている子も多い現状に対しての疑問だったのだと思います。

町としては、もちろん『神山を担ってくれる人を育てて欲しい』という思いがあるでしょうが、神山の担い手だけを育てるというのも変な感じがして。そのときは明確に答えられなかったんですけど。今は、神山で学ぶことで得られるのは『場所を見る視力』なんじゃないかというのが、自分のなかでしっくりきていて。

『場所を見る視力』という言葉は、『日本仕事百貨』でひとづくり担当の募集記事を出したときに、西村佳哲さんが言った言葉です。

神山って、すごく見えやすいと思うんです。人のつながりも、土地の成り立ちや特徴も、モノや自然の循環も、比較的コンパクトにまとまっていて、それについて教えてくれる人もいる。自分が今いる場所とその影響を考えやすい。

神山を通して場を見る視力を身につけたら、今後彼らがどの地域で生きるにしても、自分がいる場所を見て、そのなかで自分ができることを考えられるようになる、といいなあと思うんです。そういう可能性まで見えるとすごく素敵だなあと思います。

私自身も、場所を見る力は上がっているというか。
周囲の人たちに上げさせられているというか。

町長や町の人と話していると『その規模感、時間軸でものごとを見るのか』と思うこともありますし、自然環境のことになるとわからないことがたくさんあって、自分は勉強不足だなあといつも思うんですけど。うん、鍛えられていますね。

見えるようになったとは全然言えないけど、今まで自分が見えていなかったものがある、このへんにあるっていうのは見えて来たというか、そんな感じですね」。

春から、ひとづくりチームには2名の新しい仲間を迎えました。「どんな人ですか?」と聞いたら、「うーん、一緒に闘える人?」。やっぱり闘っているんですね、森山さんは。(杉本撮影)。

春から、ひとづくりチームには2名の新しい仲間を迎えました。「どんな人ですか?」と聞いたら、「うーん、一緒に闘える人?」。やっぱり闘っているんですね、森山さんは。(杉本撮影)。

「今年で3年目だけど、同じことをやっている感覚がまったくないです」と言う森山さん。そりゃそうだよなぁ、と思います。「神山創造学」で高校に関わりはじめて2年も経たないうちに、神山校へのリニューアルまでコトが動いたのです。その事実ひとつをとっても、現場のスピード感の凄まじさが想像されます。

6月には、森山さんは神山つなぐ公社の理事にも就任しました。

これからは、教育プロジェクトだけでなく、神山つなぐ公社の取り組み全体についても考えていく立場になります。「どうなることやら」と言いながらも、やっぱり森山さんはワクワクしているように見えました。

次にお話を聞くときは、森山さんはどこまで行ってるんだろう? なんだか、背中を見送るような気持ちで終えたインタビューの続きは、また半年後です。

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森山さんのこれまで

▼第一回目(2017.03.15)
「なんだろう? このまちの、前しか見ていないエネルギーは」

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▼第二回目(2017.12.11)
「引っ越してきた子も通ってくる子も。神山で育つ子はみな“まちの子ども”です」

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かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

(更新日:2018.09.25)

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