ある視点
vol.09 鮎が川に帰るには? あたらしい集合住宅づくりの話
「神山で暮らしたい人に紹介できる家がたりない」。
ここ数年、「神山町移住交流支援センター(神山町役場から委託されNPO法人グリーンバレーが運営)」は、こんな葛藤を抱えるようになりました。
そこで、神山町では創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト(つなぷろ)」の一環として、あたらしい住まいづくりに着手。町内の使われなくなった民家を改修して活用していくプロジェクトや、神山中学校の元寄宿舎「青雲寮」跡地を利用した集合住宅づくりを進めています。
これらのプロジェクトを、役場の担当者や各分野のプロと協力しあいながらマネジメントしているのが、「神山つなぐ公社(以下、つなぐ公社)」のすまいづくり担当・赤尾苑香さんです。「かみやまの娘たち」に赤尾さんが登場するのは2回目。お互いに、ちょっとドキドキしながらインタビューをはじめました。
いま、神山にはどんな家が必要だろう?
冒頭でも触れたように、神山町の移住窓口は、グリーンバレーが運営する「神山町移住交流支援センター」。グリーンバレーの理事さんたちのネットワークのなかで、空き家の手配を行ってきたのですが、もはやそのルートでは空き家はほとんど見つからなくなってきました。
そこで、神山町では町全体の空き家調査を実施すると同時に、新しいすまいづくりがはじまりました。今回のインタビューでは、神山中学校の元寄宿舎「青雲寮」敷地を利用した子育て世代を中心として暮らす集合住宅プロジェクトについて、赤尾さんに詳しくお話をうかがいましょう。
「『つなぷろ』では、ただ住む人を増やすためではなく、まちとして何を大切にして家をつくっていくのかを考えました。若い世代の家族同士が近所にいることで、親同士が助け合い、子ども同士が育ち合える環境をつくれるんじゃないか、と。
私が小さかった頃はもっと子どもが多かったから、近所にはいっぱい歳の近い子たちがいて一緒に遊べました。でも、人口がどんどん減って小学校は7校から2校に。学校にはみんないるけれど、町域が広くそれぞれの家は離れているから、帰ると兄弟で遊ぶか、ひとりでゲームをして遊んでいるという状況があるんです。
そういう背景から、最初は戸建ての「若者定住促進住宅」を掲げていたのですが、二戸、三戸が連なった長屋型にして戸数を増やし、若い世代が順繰りに住んで循環していくような集合住宅づくりをしていくことに。今は町内外のいろんな年齢層の子育て世代の家族に住んでもらうことを想定しています。
テーマは『人々が集まって住むことで、より嬉しいことや、活動が生まれやすい拠点づくり』。設計は、パーマカルチャーや環境共生型の住宅設計に明るい建築家の山田貴宏さん(ビオフォルム環境デザイン室)と、『アクロス福岡』などを手がけてきたランドスケープデザイナーの田瀬理夫さん(プランタゴ)たちがチームを組んだ『神山町のあす環境デザイン共同企業体』にお願いすることになりました」
“鮎”から考えていく。
集合住宅づくりが目指すもの
集合住宅プロジェクトの基本計画が始まったのは2015年度のこと。昨春からは基本設計が始まり、夏には設計チームによる調査も行われました。
“調査”と聞いたとき、建物をつくる敷地の地盤や、その周辺の陽当たりや風向きを調べるのかな?と思ったのですが、赤尾さんによると「もっともっと大きいスケールで土地を見る」作業だったそう。いったいどんな調査をして、何がわかってきたのでしょう?
「神山の風土や自然環境、景観と、この風土のなかでつくられてきた神山の家の特長を知るための調査もしました。そのうえで、『青雲寮の敷地にはどういう向きで風が吹くのか』『どこに窓を抜いたらどんな景色が見えるか』など、細かいところを設計に落としこんでいきました。同時進行で、どんな使い方、どんな人の動きがあるといいだろうということも総合的に考えていくというか。
すごく勉強になったのは、ランドスケープデザインの視点での調査を経験できたこと。建築家の調査は、家の敷地を中心にして周辺に視野を広げていきます。でも、ランドスケープデザイナーは、広いところから敷地のほうに舞い降りるように視点を持ってくるんです。敷地から視野を広げていくやり方では見えてないくらいの広い視野。宇宙から見るくらい、とにかくすごい広いところから見ていく。
田瀬さんはよく、神山町の特長を「鮎喰川はまちの背骨になっていて、すべてが鮎喰川からはじまっている。川をどう扱っていくかが大切だ」と言ってくれます。だから、川にも降りて川の生物まで見ました。どんな魚が泳ぎ、どんな虫がいるのか、と。
鮎喰川は「鮎を喰う川」と名づいているので、昔は鮎がたくさん上ってきていたんですね。でも、今は下流に堰ができたりして、鮎が上がって来られなくなった
『もう一度、鮎が川を上って帰ってくるにはどうしたらいいんだ?』と。集合住宅をつくっているのに、みんなで鮎のことも考えるんです。まちの人も鮎喰川のこと、鮎のことを考えられるような集合住宅にするにはどうしたらいいだろう、って」
もう一度、鮎喰川に光をあてるには?
「鮎」と「住宅」。一見すると遠く離れた言葉のようですが、少し説明してもらうと「ああ、なるほど!」とそのつながりが見えてきます。
かつて、神山へのモノや人、情報は鮎喰川から出入りしました。ところが、国道が通ることによって「大事な資源だったこの川が人々の生活の裏手になって、目が向けられなくなっている」と赤尾さんは言います。
「神山で生まれ育った人には、今もすごく鮎喰川を大事に思っています。
私もまた、山や鮎喰川で泳いだり遊んだりしながら、自然のすばらしさも恐さも教えてもらいました。外の世界を知らない子供時代は、本当に山や川は自分の世界のすべてで、日々それらが当たり前に存在していて。山も川も、家と同じように自分の帰る場所だったり、『守られているなぁ』と感じるひとつの要因だったのかなぁ、と。
集合住宅づくりのプロセスのなかで、地元出身の町役場の人と住民が集まって意見交換をする機会があったのですが、鮎喰川の話になったとたん、みんな一気に白熱して。そのとき、やっぱりみんな鮎喰川のこと好きなんやなぁって共感しました。
同時に、川の水量が昔より減ってしまっていることもまちの人は気にしています。
川の水が減る原因は山にあります。植林して人工林になっているけれど間伐などの手入れがされずに生い茂っていると、雨が降っても地面まで水が届きにくい。届いたとしても日が当たらず下草が生えていない地面は硬く、水がしみ込まないので地下水を涵養できず、川に水が流れなくなっていくんですね。
山が手入れされないのは、安価な輸入木材が入ってきて国産材が売れなくなり、林業する人が減ってしまったからです。昔は、目の前の山から木を伐って家を建て、薪にして燃料にもしていたので、山と人の暮らしは近かったけれど、今はすっかり遠くなってしまった。
山と木の課題解決に一歩踏み出すためにも、集合住宅は100%神山の木材でつくります。集合住宅に使う木材の量は、神山町の山林面積からすると微々たるものです。でも、まずは始めてみようと、林業活性化協議会さんや森林組合さんに協力してもらい、町産材の認証制度を立ち上げたんです。
間伐して光を入れて、下草を生やしてあげたら、川の水も戻ってきます。水量が増えたら鮎も帰ってくるかもしれません。神山の山や川の状況を考えてつくられた集合住宅を見て、まちの人も“神山の木で家をつくろう”と思うかもしれない。毎日見ている山や川とつながりなおすことも、ひとつ大きなところなんです」
同じまちで働く人の関係も
結びなおす
集合住宅プロジェクトでは、できるかぎり地域の材料を使ってつくるだけでなく、「まちの人の手でつくる」ことも大切にしています。大工さん、製材屋さん、土建屋さん。地元に仕事を発注することで経済を循環させ、
「昔は、神山にも林業家の方たちや製材屋さんももっとあったみたいなんですけど、今はずいぶん減ってしまいました。でも、林業に関わる人や大工さんは町に必要な存在です。
神山の木材を神山の人が挽いて、神山の大工さんの手で家を建てる。地域のものを使いまちの人でつくる。目の前にある山や川とのつながりを回復し、同じ町で仕事をする人たちとの関係をも結びなおしていくと、町のなかの経済循環の活性化も期待できるというか。
私も、この町で生まれ育ってきて、同じ町で同じ建築業界でやっている人たちと一緒にするお仕事がどんどん始まっていくことがうれしいです。私、ものをつくる人たちはすごいカッコいいと思っていて。職人さんたちと現場でやりとりするのもすごく楽しくて好きなんです。
神山には代々伝わってきた家の作り方ややり方があり、今回の集合住宅ではこれまでにないあたらしいことにも挑戦しています。
ひとつのものをつくるときには、みんなが同じ熱量で思いを共有することが大事だと思います。なので、地元の職人さんたちには、工事が始まる前の段階から相談会を行ってこつこつ伝えています。なかには、田瀬さんや山田さんをゲストに招く一般の方向けの勉強会の案内を送ると、聞きにきてくれる人もいて。
集合住宅プロジェクトの目指すことを理解して、いい方法を考えて提案していただくこともありました。たとえば、『青雲寮』を解体したときに出るガラを再生クラッシャーにしてくれた解体屋さんもそうです」
家が建ち上がるまでのことも
見てほしい
「青雲寮」の解体ガラとは、冒頭の赤尾さんの写真の背景につみあがっているものです。赤尾さんは、このガラにまつわる物語を、すごくうれしそうに話してくれたのでご紹介しましょう。ほんと、赤尾さんのお話を聞いていると、ひとつの住宅が建ち上がるプロセスには無数の物語が編み込まれているんだなぁ、と実感せずにはいられません。
「ガラって、敷地から一歩外に出すと産業廃棄物(ゴミ)になるけど、きちんと敷地の中で再生処理して、工事に必要な排水トレンチや路盤の裏込材、外構の仕上げ材として有効に再利用していくことができます。解体ガラを0〜4cm、4〜20cmの粒径に小割りしてもらい、9種類の用途に使い分けることになりました。
そうするには、内部の解体をていねいにして、躯体を壊しながら鉄筋を抜かなければいけません。しかも、あのガラの山の配置にもちゃんと意味があるんですよ。解体屋さんは設計チームと一緒にミーティングを重ねて、造成工事の進め方や電気、水道、ガスなどの配管の通し方を共有したうえで、それならもっとこうした方がいいんじゃないかと、解体工事の次の工事のことも一緒にいろいろ考えてくれました。
このプロジェクトでは、本当にいろんな人との出会いが貴重で、ありがたいというか。
田瀬さんや山田さんはもちろん、
建物って、建ち上がってしまうとその“もの”しか見えない。周りで見ていたら「あそこに家が建ったなあ」と思うだけですよね。発注した人、設計者、つくり手たちの思いが積み重なって、ひとつの建物ができていくプロセスには、なかなか目がいかないと思うんです。
これまで私は設計する側にいたけれど、今は発注者である町をサポートする立場でプロジェクトを進めています。今までと違う立場で建築に関わることで、見えることもいっぱいあるので。関わっているそれぞれの人たちに光をあてて、集合住宅ができる過程で起きていることも伝えていきたいと思います」
デスクに向かう赤尾さんの周りには、文字通り山のように書類が積まれていました。きっと、すごく忙しいだろうし、はじめて経験することに遭遇し続ける日々なのだろうな……と思います。でも、「戸惑ったり、つまずいたりすることもあります」と言うときでさえ、赤尾さんの目はきらきらしていて。
「この1年間はあっと言う間でした。でも、すごく楽しかった!」という赤尾さん。次のインタビューでは、赤尾さんが「光を当てたい」と思っている、一緒に仕事をする人のことをもっと詳しく聞けるといいなと思っています。
赤尾さんのお話の続きはまた、半年後に。
▼赤尾さん第一回目の記事
「家は、住む人たちと共に生きて、ふるさとの風景になる」
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杉本恭子
すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、
京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。 人の話をありのままに聴くことから、 そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。 本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。 神山でのパートナー、フォトグラファー・ 生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。
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