ある視点

自分の手でつくる“おいしい”を届けたい。

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑

vol.28 自分の手でつくる“おいしい”を届けたい。

山田友美さん(〈Food Hub Project〉おやつ係)

「山ちゃんの野菜パン、すごくおいしいんだよ」と教えてもらったのは、去年の春のことでした。チーズが詰まった甘とうがらしを生地でぐるぐるに巻いたパン、そら豆を並べた平べったいパン、小さなにんじんをまるごと乗っけたパン。神山の野菜が胸を張っているようなパンはどこかユーモラスな表情で。「このパンをつくるのはどんな人なんだろう?」と思っていました。

あれから約1年、フードハブ・プロジェクト(以下、フードハブ)の山田友美さんにやっとインタビューがかないました。

この間に、山田さんは「野菜パン係」から「おやつ係」になり、今は「食堂かま屋」のデザートや「かまパン&ストア」のドーナッツやペストリーをつくっているそう。心地よい風の吹く「かま屋」のベンチに腰掛けて、ゆっくりお話を聞かせていただきました。

就活のなかで気づいた
自分の「喜び」のあり方

山田さんが生まれ育ったのは、香川・観音寺市の西端あたり。海にも山にも近いまちでした。もともとお菓子をつくるのが好きで、高校卒業時は調理関係の専門学校への進学も検討していたそうです。

しかし、担任の先生から「大学に行って広い視野を持ったほうがよいのでは?」とアドバイスを受け、龍谷大学社会学部コミュニティマネジメント学科に入学。「プレゼンのたびに、夜通しこたつで作業する」という、濃ゆいゼミの仲間たちと学生生活を送ることになりました。

「キャリアプランニングを専門にされている教授のもと、仕事の楽しみ方、その後のキャリアについて学ぶ・考えるゼミでした。教授は『卒業後の40年のために学ぶんだ』とよく言われていて。グループワークで議論をして自分自身と向き合ったり、劇やプレゼンで表現力を養って考えたことを発表したり。すごく自由に面白いことをやるゼミだったんです。

このゼミで3年間学びながら『自分のやりたいことはなんだろう』とずっと探していました。就活では『やっぱり食関係の仕事がしたい』と食品メーカーに絞って。外資系カフェチェーンの企業から内定をもらったんですけど、そこでどうしても違和感を持ってしまったんです。

自分の喜びは、自分でつくったケーキを友だちや家族に食べてもらって『すごくおいしい』と言ってもらえることだな、と思ったんですね。でも、『会社に決められたものをお店で提供する』という仕事では、『自分でつくって誰かに喜んでもらう』という喜びを、直接的に受け取ることはできません。

ゼミの先生に相談すると、『現場に入ると、今考えている理想とギャップがあると思うけど、覚悟はあるのか?』と何度も言われました。ちょっと迷ったんですけど、話し合いを重ねるなかで、自分の気持ちを曲げられないことがわかってきて、京都の洋菓子店に就職することにしました。

洋菓子店では3年間働きました。そのなかで削ぎ落とされていって、『おいしいものをつくって食べてもらいたい』という自分の軸が明確になっていった感じはあります」。

職人として
尊敬できる人を求めて

師とあおいでいたシェフが退職されたこともあり、ちょうど3年の区切りで山田さんは洋菓子店を退職。その頃、興味を持ち始めていたパンの世界に飛び込むことにしました。

「パンづくりは重労働だから、挑戦するなら若いうちがいい」「だったら、タイミングは今だな」と思った山田さん。いろんなお店のパンを食べ歩きながら、働いてみたいお店を見つけました。

「そこのパンは、野菜が主役みたいな。野菜をふんだんに使ったパンを売りにしているお店だったんです。『こういう風に野菜を表現できるんだ!』とびっくりするようなダイナミックなパンもありました。自分の感覚にはないパンが並んでいたからこそ、働いてみたくなったんだと思います。

ただ現場は、昔ながらの職人の世界みたいな感じだったし、葛藤しているヒマもないくらい忙しかったですね。シェフは楽しく接してくれる方したが厳しい一面もあったので、ついていけずに辞めていく人も多かったんですけど……。それでもシェフはすごい技術を持っていたから尊敬していました。厳しくしてもらったぶん身についたこともありますしね。

パン屋で働いた4年間のうち、後半の2年間は駅構内のお店に勤めました。厨房には窓もなくて、朝も夜もわからないような閉鎖的な空間で、ずっとシビアな雰囲気が続くからなんか疲れちゃって。『このままでいいのかな』と思うと、気持ちの糸が切れちゃったんですよね。

いったん、地元に帰ろうと思いました」。

地元でモヤモヤしていたときに
出会ってしまったフードハブ

パン屋で働いている4年間、山田さんは地元に帰るたびに「おいしいパン屋さんがない」ことが気になっていました。スーパーなどに並んでいる、「冷凍生地からつくる“焼きたてパン”」はあるけれど、粉からつくっているパン屋さんがないのです。また、地元の保育園では「子どもたちが安心して食べられる素材をつかったパン」を、遠くのお店から取り寄せているという話も耳にしました。

「だったら、私が安心して食べてもらえるパンをつくれたらいいのかも」と思った山田さんは、地元でお店を開くことを念頭に置いて、10年ぶりにひとまず観音寺市に帰ったのでした。

「帰ってすぐは休憩したい気持ちもありましたし、いろいろ考えながら地元のカフェで一年半くらいアルバイトをしていたんです。お店を出すとなると初期投資も必要だし、やっていけるのかな?となかなか踏み出せずにモヤモヤしていて。

で、そんなときに出会ったのがフードハブです。

実は、以前から、フードハブ支配人の真鍋太一さんの活動『nomadic kitchen』に興味があり、真鍋さんのInstagramをフォローしていて。だから、『かまパン&ストア』立ち上げのときも、『パン屋をやるのか。製造責任者募集かぁ』って求人情報はチェックしました。

ただそのときは、自分のお店をやりたい気持ちの方が大きかったから、見送ったんですよ。

応募はしなかったけど、フードハブの活動はずっとチェックしていました。『小さいものと小さいものをつなぐ』というところに共感していましたし。そしたら、次の募集がかかったんですよ。今度は『短期雇用も可』って書いてあったから、ちょっとお試しで行ってみるかな?って、軽い気持ちで応募してみたんです。

ところが、エントリーシートに、自分が地元で感じた違和感や、フードハブの活動に感じている魅力を書いていると熱くなってしまって。『私、けっこうこの会社好きだな』って気がつきました(笑)」。

畑のすぐそばでパンを焼ける
恵まれた環境に気がついて

フードハブの面接のために、初めて神山を訪れたのは2017年4月末。「気持ち的にはスーツくらい」で臨んだ山田さんに、「まだ時間があるから温泉に行ってきたら?」と提案するフードハブのメンバーたち。「えっ、そんな感じなの?」と戸惑いながら、ついていく山田さん……。

湯あがりすっぴん状態で「では、これから面接しましょう」と、始まったのは「ごはん会」だったそうです。

「フードハブでは、ごはんを一緒に食べることが“面接”なんです。もう、全部ひっくるめて面白いなって感じました。一泊して、翌朝は東京から来ていた料理人の方が市場に魚を仕入れに行くのに同行。その流れで山菜を採りに行くという、すごく濃い2日間を過ごして。『半年の契約でいったん始めてみる?』『わかりました』というところから働きだしました。

神山のよもぎ。ペースト状にしてお菓子やパンに使われます。

フードハブでは、神山で採れる野菜でパンをつくってみたかったので、最初は『やさいパン係』をやらせてもらいました。やっぱり、社内に農業チームがあるのはすごい魅力で。毎日、朝採れの野菜を厨房に持ってきてくれるような環境は、やっぱり都会にはないですから。

大阪のパン屋さんで働いていたときは、契約農家さんとお会いしたことは一度もなかったけど、フードハブでは生産者との距離が限りなくゼロに近い。最高に新鮮な野菜を使って焼いたパンを、お客さんに食べてもらえるんですね。

毎日その喜びを感じているうちに、あっという間に1ヶ月が過ぎて。お試しで終わらせるのはめちゃくちゃもったいないと思ったから、今もまだここにいるんだと思います。なんやかんやで、今もう3年目ですね(笑)」。

おやつ部門を立ち上げ、
アメリカ研修へ

2018年10月、山田さんは新たにフードハブのデザートをつくる「おやつ部門」を立ち上げて、「やさいパン係」から「おやつ係」になりました。フードハブで働くなかで、「もう一度、お菓子をやってみたい」という気持ちが芽生えてきたからです。

今は、ドーナッツやマフィンなどのペストリー部門、『かま屋』のランチとカフェのデザート、あとは『カミヤマメイト』の開発を担当。お菓子づくりの経験も豊富な、フードハブの料理長・細井恵子さんのアドバイスを受けながら、「今の自分にできるお菓子づくり」に取り組むようになりました。

そして今年2月、研修先のアメリカで山田さんは大きな転機を経験します。

「約1ヶ月間のアメリカ研修は、すごく重い経験になりました。

最初の1週間は、真鍋さんと細井さんも一緒で。全部通訳してもらって、あちこち連れていってもらって、わぁーって浮かれていたんですけど。一人になったらコーヒーひとつ買えない、みたいな。真鍋さんたちと別れた後、『残りの3週間、一人でどうしよう……?』って、ちょっとくよくよしたんですね。

最初の一歩を踏み出すのは大変でした。

だけど、1ヶ月も休んでいる間、みんなにカバーしてもらっているから、ちゃんとリサーチをした結果を持ち帰らなきゃいけないと反省して。すぐにネガティブになる自分と向き合って気持ちを切り替えて、腹を括って単語でもなんでもいいからしゃべって、ビクビクしながらでも自分から動くようになっていきました」。

ひとりではなく
仲間と一歩踏み出したい

山田さんが研修に入ったのは、サンフランシスコの『NEGHIBOR BAKE HOUSE』とバークリーの『Ches Panisse』。研修の合間に、現地で知り合った人に勧めてもらったお店のリサーチにも出かけました。

特に、『NEGHIBOR BAKE HOUSE』のチェルシーさんは、朝4時から午後2時までの勤務時間の後、毎日おすすめのお店を2軒ずつ案内してくれたそう。出会う人たちの熱意に引き上げられるように、山田さんの気持ちも変化していきます。

「研修先では、『店の理念に共感して働きに来てくれた』ことに対して敬意を払って受け入れてくれるのを身にしみて感じました。『Chez Panisse』では、素材にとことん向き合う姿勢を学んで、もっと神山の素材を勉強して、おいしさを引き出せるように扱わなければと思いました。研修先ではいろんなおいしいものを食べたけれど、あらためて神山の野菜のおいしさも実感して。いかに私たちがそのポテンシャルを活かせるか、だと思ったんです。

『Chez Panisse』ではオレンジの皮のえぐみを取るために10回以上茹でこぼすそうです。(写真:山田友美)

「クリームがちょっとはみ出しているほうがおいしく見える」というところまで考えつくされているペストリー。(写真:山田友美)

あとはやっぱり、人との出会いが大きかったです。

『NEGHIBOR BAKE HOUSE』のチェルシーは、仕事でどんなに疲れていても、自分がいいと思うお店に毎日案内してくれて。『インターンに入りたいお店があったらいくらでも紹介するよ』とまで言ってくれました。なかなか、そこまでできないと思うんですよ。

短期間の研修で、尊敬できる人に出会えることすらすごいのに、行くところすべてで尊敬する人に出会えて。『自分に置き換えたら、外から来た人に対してこんな風に接することができるだろうか』と考えさせられもしました。気の持ちようが違うのを感じたし、本当に見習わなきゃいけないなと思います。

フードハブの全体会議で、アメリカ研修の報告をする山田さん。

研修前は、消極的ですぐに人に頼ってしまって、自信が持てなくて一歩を踏み出せない自分のことを、『しょうがない』とあきらめていた部分もありました。でも、アメリカで一人になってもがいているうちに、しょうがない部分を自分でちゃんと認めたうえで、進んでいかなきゃいけないことを自覚したというか。

今もまだもがいている感じはあるし、わかっていても進められない部分もたくさんあるんですけど。

でも、そのことをメンバーにこぼしたら『一人で抱えるんじゃなくて、メンバーを巻き込んで一緒にやっていったらいいんじゃない?』って言われて、『そっか』と思いました。たしかに、一緒にやる仲間がいたら今と違う気持ちで向かえるかもしれない。きっと、そのためにも、この会社があるんですよね。

気がつけば、ひとりで抱えていっちゃう性格は、今も課題ではあります。だけど、『一人で抱えこまなくていい』と言ってもらえる環境があるから、今後はそれをうまく使っていけばいい。やっと、気持ちが一歩先に進んだかな、と。

あと、アメリカ研修から帰ってから、フードハブの活動をいろんな人に知ってもらいたいという思いがより強くなりました。自分なりのかたちで、受け取ったことを返していきたいと思います」。

 

 

インタビューのなかで、山田さんは何度も「一歩踏み出さなきゃ」というフレーズを口にしていました。その言葉だけを拾うと、山田さんは動かずじっとしているみたいですが、そうでもないように思えてしかたありません。

企業からの内定を辞退して洋菓子店を選んだこと、尊敬する職人の元で働くことを望んで選んだパン屋さんでの仕事、自分のお店を持とうと地元に帰ったこと、フードハブに来たこともアメリカ研修に行ったことも、どれも勇気ある一歩だったんじゃないかと思ったりするのです。

くわえて、山田さんが進もうとする方向から、たくさんの手が伸びてくるような感じもします。これから、フードハブの仲間を巻き込みながら、山田さんは次はどんな「一歩」を踏み出していくのでしょうか。これから、山田さんに会うたびに、そっと尋ねてみたいと思います。

かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

(更新日:2019.07.26)

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