COLUMN
かみやまの娘たち

 

ここ徳島県・神山町は、多様な人が
すまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆 文・杉本恭子 イラスト・山口洋佑
 

vol.36 まちに住む人の顔を思い浮かべて家をつくりたい。〈徳島県・神山町〉

INTERVIEW 神山町のあす環境デザイン共同企業体 建築士/池辺友香子さん

2018年8月に第1期の住宅が竣工した、神山町の「大埜地(おのじ)の集合住宅」。子育て・働きざかり世代を中心に、まちの人、Uターンで帰ってくる人、移り住んでくる人たちに町が賃貸する「大埜地の住宅(全20戸)」と、広場や文化施設がある交流拠点「鮎喰川コモン」で構成されています。

 

今回、インタビューをしたのは、大埜地の集合住宅の設計・監理を担当している、建築士の池辺友香子さん。2017年7月の着工と同時に神山町に移り住んできました。神山で働くなかで感じている、建築という仕事への変わらない思い、そして住む場所に対する気持ちを聞かせていただきました。

 

自分の考えを模型にした瞬間、
「うわ!」みたいな感覚が。

大埜地の集合住宅の一角にあるプレハブ事務所。いかにも”現場のおっちゃん”が現れそうなドア(失礼!)を開けると、池辺さんと同僚の吉田涼子さん(次回登場予定)がひょっこり顔を出しました。彼女たちのデスクスペースは、それぞれのワールドに育っていてとてもいい感じ。

 

はじめは、ガランとしていたはずのこの空間は、ふたりが手と体を動かすたびに、少しずつ満ちてきたのだろうと思います。ご挨拶をしてから事務所の二階へ。大埜地の集合住宅が見渡せる窓辺に、池辺さんと向かい合って腰をおろしました。

「店舗デザインの仕事がしたくて、大学ではインテリアデザインを学びました。建築の先生もいらっしゃったので、授業をとってみたんですね。

 

大学2回生のときかな。はじめての設計課題で、自分で考えたものを模型にしたときに「うわ!」みたいな。いまだに言葉にできないんですけど、感動でもないし……。ものが立ち上がった瞬間の、自分のなかでかきたてられるような、ふしぎな感覚を味わったんです。

 

建築に興味が湧いた、本当に最初のきっかけはそのときの感覚です。

 

卒業後は、学生時代からアルバイトしていた、大阪の設計事務所に3年半くらいお世話になりました。所長がお施主さんと会話したり、現場の人たちとやりとりしながら建築をつくる姿を見ながら、こういう働き方がしたいなと思ったんです」

 

「あ、やりたいことに近いかも!」
大埜地の集合住宅の設計・監理の仕事

池辺さんがはじめて神山を知ったのは、「SDレビュー(鹿島出版会主催)」という、建築・環境・インテリアのドローイングと模型の入選展でした。なんと、同じ年に、当時勤めていた設計事務所の作品と、神山の「えんがわオフィス」が入選していたそうです。

 

ただ、神山町のことは「えんがわオフィス」の建物があるまちの名前として知ったというだけで、特に興味を持ったわけではなく。ましてや近い将来に自らが移り住むなんて想像すらしていませんでした。

「前の建築事務所は、いわゆるアトリエ系の設計事務所。もちろん、現場で職人さんとやりとりしながら仕事を進めるのですが、現場を経験するうちに、設計だけでなく施工側の世界にも近づいてみたいと思うようになって。退職して、設計施工というやり方で仕事をしている事務所を探そうと思いました。

 

あと、働いてからは大阪に住むようになり、都会の暮らしを楽しんでいたんですけど。たまたま、仕事で地元の奈良に帰って山が見えたときに、なんとなく安心する感じがあったんですね。『あ、気づかないうちに都会に疲れてたのかな?』と思いました。

 

それで、次は都心ではなく、地方で設計施工をしている事務所を探そうと思っていたときに、この仕事の募集を西村佳哲さんのtwitterで見つけました。『大工さんと一緒につくる』と募集要項に書いてあったから、『あ!これはやりたいことに近いかも。面白そう!』と思って。

 

神山町に常駐することになるし、『とんでもなく山奥だったらどうしよう』と思って、応募前に一泊二日で神山に行ってみたんです。何も調べず、神山温泉ホテルの予約だけをして行ったら、ちょうどいろんなお店が定休日で全然開いてない。自転車を借りてふらっとまちを回ってみて、なんの根拠もないんですけど、ほんとにいい雰囲気というか。

 

『あ、いけそう!住める、住める』と思って応募して、参画することになって。本当にこんなことになるとは全然思っていませんでした」

 

仕事仲間というより
ひとりの人間として

「こんなことになるとは」って! 池辺さんはその後、どんなことになってしまったのでしょう? さらに、順を追って聞いてみたいと思います。まずは、池辺さんがこの2年半にしてきた仕事の話から。

 

大埜地の集合住宅は、建築家の山田貴宏さん(ビオフォルム環境デザイン室)、ランドスケープデザイナーの田瀬理夫さん(プランタゴ)を中心とする7名のチーム「神山町のあす環境デザイン共同企業体」が設計を行いました。

 

2016年7月、池辺さんもこのチームに参加。1年間、東京で設計に携わり、翌年7月に神山に引っ越しました。はじまりの頃のこと、覚えていますか?

「東京での設計期間とここに来てからの1年間は本当に大変でした。それまで経験していたのは、個人の住宅設計や店舗の内装。私にとって、こんなに大きな敷地に何棟も建物の設計をしたり、ランドスケープデザイナーの方と一緒に仕事するのははじめてだったんです。ついていくのが大変だった部分も多くて、勉強しながら作業していました。

 

神山に来てからは、最初は職人さんたちも私たちもお互いに手探り状態。とにかく一所懸命に現場を見ようとしていました。ただ、男性の職人さんばかりですし、みなさんとてもいい方たちだけど、来たばかりの頃に土建屋さんに「若い女の子が現場でトラブルがあったときに対応できるのか」と厳しい言葉を言われたこともありました……。でも、その後はすごく気にかけてもらったりしていて。

 

私たちは昼間に現場を見て、夜に設計作業をするので、どうしても遅くまで仕事をしてしまうんです。この事務所はまちの人が通る道路からよく見えるから、明かりがついていると目立つんですよね。そうしたら、その土建屋さんが『大丈夫か?』って見にきてくれてびっくりしたこともありました。

 

通いではなく、神山に住みながら設計・監理をしていることが、大きな差を生んでいると思います。仕事仲間というより、一人の人間として扱ってもらえている。スタートは仕事でのおつきあいですけど、もう一歩深いところで話せるようになったのは、ここに住んでいるからなんだろうと思っています」

 

図面には書ききれない
建物の良さをつくれる

大埜地の集合住宅の設計・監理の仕事への応募書類にも「大工さんと一緒につくることにすごく興味がある」と書いたという池辺さん。今はその希望のままに、大埜地の集合住宅がつくられていく現場で、大工さんをはじめとする施工に関わる職人さんたちと図面を広げる日々を送っています。

 

設計・監理という仕事のなかで、現場での職人さんたちとどんなやりとりをしているのでしょうか。

「設計・監理は、図面通りに施工ができているのか、細かい部分までちゃんと納まっているのかをチェックする仕事です。

 

大工さんに伝えるときは、詳細図面をたくさん書くのですが、それでも現場に入るといろんな質問をされます。『こんなんどうやって納めるの?』『ここは、こういう風に見せたいんです』『じゃあ、こういうやり方は?』と、つくる側からの意見も聞いて一緒に考えたことをまた図面に落とし込んでいきます。

 

現場では、大工さん、電気屋さん、水道屋さんのなかで、私も“設計屋さん”という職人なんだと思っています。そこで、それぞれが意見を交わし合いながら、時に仕事以外の話もしながら、かたちになっていく状況が好きなんです。職人さんが作業をしていると、横に張り付いてずっと見ていられるくらい面白い。見られている方は、『何をチェックしているんだ』と思うかもしれませんけどね。

 

一般的には、施工中に現場に行って話すのは週一回くらい。でも、ここは現場常駐だから、毎日職人さんたちに会って話すことができます。何かあれば聞きに行けるし聞きにも来てくれる。しょっちゅう顔を合わせるから仕事以外の話もするようになって、そうすると、『この人は、こういうことを考えているんだ』とわかるし、相手も『池辺さんはこういうことにこだわるんだ』と理解してもらえる。

 

それぞれの立場で、建物がよくなるよう意見を交わし合ってできた建物は想いのこもった空間になると思っていて。加えて、お互いの人となりまで通じ合っていることで、やりとりもより深いものになります。それが、図面だけでは書ききれない建物の良さにつながると思っています」

 

2年が過ぎて、とにかく拠点は
神山だなという気持ちになった

早いもので、池辺さんたちが神山に来てもう3年目。当初は2年間だった常駐の予定は、工期の延長にともない4年間になりました。一期、ニ期と工事が進むなかで、仕事にも生活にも慣れてきて、池辺さんの気持ちにも変化が起きているようです。

「去年くらいから、『次どうしよう?』と考える余裕がちょっと出てきて。『この仕事が終わってからまたどこかに行くのはいやだなぁ』と思いはじめたんです。

 

大工さんたちにも『終わったらどうするん? 東京に帰るんやろ?』って言われるなかで、最初は本当にわからなくて『どうですかね?』って答えていたんですけど。だんだん『帰るのかな?帰ってどうするんだろう?』と自分でも言うようになってきて。

 

やっぱり、神山でできたおつきあいの関係性は、他では絶対つくれなかっただろうなと思ったんです。今一緒に仕事をしている大工さんたちは、近い世代の人たちなんですけど、小学校の頃から知ってる間柄で、自分たちのまちでずっと働き続けている姿に羨ましさを感じるというか。

 

暮らしの面でも居心地が良くて、ご近所の方とのおつきあいも、私はどちらかというと好きなんだということがわかってきました。今は、この仕事が終わっても神山にいられないかなと思っています。

まさかこんな風に思うようになるとは思ってはいなかったから、この2年半で『とにかく拠点はここだな』っていう気持ちになったんでしょうね。

 

今は『この仕事終わったら帰るんやろ』って言われたら、『いや、神山にいようと思ってます』って答えているんです。そしたら『え? そうなん』って好意的に言ってくれて。単純に、そんなふうに言ってくれるだけでもうれしい。がんばれそうだなって感じです。

 

今までは、住む場所についてそういう感覚はなかったですね。奈良から通っていたら終電に間に合わないから大阪に住もうとか、そんな感じでこだわりなく決めていましたから。年齢的にも、自分の住む場所について考える時期だったのかもしれません」


暮らしのなかで変わりゆく
大埜地の風景を見守りながら

2020年1月末、大埜地の集合住宅のコモンハウスの上棟式が行われました。池辺さんは、大工さんたちと一緒に、来場する人たちに楽しんでもらえるように、住宅の端材でつくった家型の絵馬を準備。大埜地の風景を描いたボードに、絵馬を掛けてもらい展示しました。

 

「『状況をつくる』ことも建築の面白さ。職人さんと一緒にやれたことでそれを実現できたという達成感があった」と言います。なんだか、この話をしているときの池辺さん、とてもうれしそうです。

「そうですね。この2年半、楽しいことのほうが多いと思います。大変やったんでしょうけど、これから4期の工事も大変なんですけどね。だけど、大変なのはそのときだけ。こういうことを一緒にやれた人たちがいる、というのは私にとって財産だと思います。仕事以外の部分で、時間を共有できたのはすごく貴重というか。

 

大埜地の集合住宅は、100年、200年と住み継げるように考えられています。私が参加した頃は、まだここに神山中学校の青雲寮があって、それが解体されて、しばらくはガラの山が積み上がった状態が続いて、造成がはじまって、第1期、第2期の住宅が建ちあがって。すでにもう2年、少しずつ外壁の木の色が変わっていく家も、そこで育っていく子どもたちも、ちょっとずつ変わっていく風景を毎日見ています。

設計者が、自分が関わった建物を日常的に見守り続ける機会はなかなかありません。建物とそこに住む人たち、植物のようす、まちの状況も含めて、さまざまなことが少しずつ変化するようすを見ながら暮らすことは、何年、何十年と経ったときに、設計者として、これまでにない感覚を得られるような気がします。

 

1期、2期、3期と経年変化する木の色の違いも、自分が生きている間に揃ってくるのか、揃わないままなのかを見てみたい。100年の時間のなかで、家の何をどう更新するのかについても、想定されてはいるけど、実際のところはどうするのか。とても興味があります。雨かかりが多いところなどは、部分的には補修をしなければいけないと思いますし、取り替えなければいけない時期がくると思うんです。まちにいれば、その変化を見守ることもできる。

 

これから、ですか?

 

今年、一級建築士資格の試験を受けようと思っているんです。なかなか、独立するのは大変だと思うんですけど、いつかはやれたらいいなという想いはあって。資格を取って、自分の力を試してみたいという気持ちが湧いてきたところです。

 

たまたまこのプロジェクトが神山だったからここに来て、たまたま住み良くて、いろんな職人さんと仕事する機会に恵まれたことが、きっかけとして一番大きいです。仮に、今一緒に仕事をしている職人さんたちと仕事はできなかったとしても、みなさんとのつながりを大切にしたいし、何かあったら相談になら乗ってもらえそう。そう思うことができる、心強い方たちに出会うことができたので」

 

 

 

神山に行くたびに、わたしも大埜地の集合住宅を見ています。きっと、これからはあの建物に、池辺さんと職人さんたちのやりとりを重ねて、あの風景からぬくもりのようなものを感じ取ることになるだろうな。

 

最後に「いつか自分の家を建てたいですか?」と尋ねたら、「自分の家は全然興味がなくて」と意外な答えが返ってきました。

 

「はじめての仕事が店舗の仕事だったんですけど、オープンの日にお施主さんがすごく嬉しそうに働かれていた姿が今でも心に残っているんです。その姿を見たときにすべてが報われたというか、すごくやりがいのある仕事だなあと思って。喜んでもらいたいというところでしか、がんばれないのかも」

 

好きになったまちの人たちの家や建物をつくって、喜んでくれる人たちの顔を見ながら暮らしていくーーそんな未来が池辺さんを待っていたらいいだろうなと思ったりするのです。

コモンハウス上棟式のときに、池辺さんと大工さんたちがつくった家のかたちの絵馬。背景の絵は池辺さんが描きました。

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かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

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