ある視点
vol.30 神山の人たちの“地元愛”をつなげたい。
高田さんの神山暮らしも今年で4年目。家庭菜園の会「ノラ上手」もすっかり板についたようす。今回のインタビューは、『おひーさんの農園チーノ』さんの談話室をお借りして、お話を聞くことになりました。
季節は、すだちの白い花が咲き始める初夏。とてもお天気のよい朝で、談話室の窓の外は本当にきらきらしていて。どうにも、うららかな雰囲気のなかでインタビューは始まりました。
さりげないやり方で
興味を持ってもらうには?
今年から、3人体制になった神山つなぐ公社のすまいづくりチーム。高田さんは、主に「大埜地の集合住宅」や「西分の家」の入居募集と入居者の暮らしのサポートを担当することになりました。
2018年8月に第一期の入居者、2019年6月に第二期の入居者を迎えいれ、現在9世帯30人が「大埜地の集合住宅」で暮らしています。そして、今年7月から第三期募集をスタートしました。
「大埜地の集合住宅の入居募集は四期に渡っていて、合計20世帯・約80人が暮らすことになります。
第一期は、ちょっと開拓者的な人たちが入居してくれたところもあ
また、大埜地の集合住宅に携わる私たちの方も手探りする部分が多
その反省を生かして、第二期の竣工時には事前に計画をして、『ぐるっと内覧ツアー』を開催。入居希望者だけでなく、まちの人にも見てもらえる機会をつくりました。失敗して、次の機会に改善することの繰り返しですね。
また、一期目に比べて、二期目は説明会の参加者が少なかったので、役場の人たちに相談してみると、『“入居募集説明会”と銘打つと、町内の人が来づらくなるんじゃないか』という意見をいただきました。説明会に参加しただけなのに、『あの人は入居するつもりなんだ』と周囲に見られることを恐れて、二の足を踏む人もいるかもしれないからです。
でも、まずは来て見て知ってもらいたいんですよね。もっと敷居を下げるにはどうしたらいいだろう?と考えて、大埜地の集合住宅と関連する別なテーマを掛け合わせた企画を仕込んだりもしました。
たとえば、『あたたかい家のつくり方』というテーマで開いた『鮎喰川すまい塾』。やっぱり、大埜地の集合住宅の幸せなところは、冬は暖かく、梅雨どきでも乾いた状態を保てることだと思っていて。大埜地の集合住宅に取り入れた工夫を、ご自宅を改修するときの参考にしてもらえるといいなと思います。
住むかどうかは別としても、この集合住宅のことを知って、周囲に伝えてもらうきっかけになればと思っています」。
「入居者募集」からはじまる
新しいコミュニティづくり
大埜地の集合住宅を必要とする人に、情報を届けることも高田さんの仕事のひとつ。第二期の入居募集では、雑誌への広告出稿にもチャレンジ。「専門の人がやるよりも、何十倍も時間がかかっているだろうな」と言いながら、大埜地の集合住宅を紹介する映像制作の指示も担当しました。
「大埜地の集合住宅が面白くも複雑なのは、単なる住まいを建てるだけに尽きないところだと思います。
町産材を使用したり、町の大工さんに建ててもらうことで技術の継承を目指したり。エネルギー循環のしくみを入れることにもチャレンジしています。そのうえに、『鮎喰川コモン』という新しいコミュニティを育む場もつくろうとしていて。全部ひっくるめてが面白いなと思っています。
環境やサステナビリティ、住まいとコミュニティづくりに取り組んできた私としては、気になるポイントがぎっしり盛り込まれていて。いろんなツボを刺激されすぎてしまうところもありますね。
そのなかで、私が一番大事にしたいのは、やっぱり入居者のコミュニティを育てるということ。そのためには、まずはこの住宅の趣旨に共感したり面白がったりして入居してくれる人がいないとだめですよね。なので、最近は大埜地の集合住宅を知ってもらうことに、心のボリュームの多くを割いているなあと思います。
あと、役割分担を決めたときに、いったん『鮎喰川コモン』のことは手放したんだけど、やっぱり入居者にどう関わってもらうかはすごく大事だと思っています。『鮎喰川コモン』は入居者のためだけの場所ではないけれど、入居者の人たちがいい状況であるほうが、大埜地の集合住宅の”縁側”的な存在である『鮎喰川コモン』もいい場所になるよなぁというのがあって。
少しずつでも、入居者のみんなとどうやってこの空間をいい場所にしていくかを考えていけたらと思っています。
月一回のミーティングに参加したり、敷地内の“選択除草”を呼びかけて一緒にしたり。以前に『すまい塾』で紹介した生ごみ処理器『キエーロ』を、入居者のひとりが試作してくれたのはうれしかったですね」。
3年間暮らしてみて、
今気になっていることは?
高田さんと話していると、よく「ここが気になる」というセリフが登場します(前にも書いたことありますが)。私はそれを聞くたびに、高田さんのアンテナのありかを見つけたようで、ちょっとうれしくなるんですよね。
神山で暮らすなかで「気になるところ」はどんどん増えただろうし、変化もしてきているはず。高田さんは今、どんなことが気になっているんですか?
「3年間暮らしてみて感じたのは、滋賀のときよりも地元出身の人とそうではない人との間に壁があるし、動きにも違いがあるということですね。その分、地元の人にとっては新しく起きていることへのわからなさがある気がしています。
もうひとつは、『よそから移住者が来てくれるのはうれしいけど、なんでうちの子どもや孫は神山に帰ってこないのだろう』という地元の人たちの気持ち。はっきり口にはされないけれど、寂しさというかもどかしさがあるような気がしていて。
『神山がいい感じで続いていくためにはどうあるべきか』と考えると、神山出身者の”神山愛”をちゃんとつなげたいというところが、気になるかな。
子育ての環境を考えたり、実家の田畑や山の手入れをどうしようかと悩んだり、親の暮らしが心配になってきたり。地元や家族への思いがあって、暮らしを変えるきっかけってあると思うんです。
『今神山で暮らしている人たちはこういう仕事をしているよ』『Uターンしてきた人はこんな風に楽しんでいるよ』と伝えていけば、そのきっかけをつかんでもらえるかもしれません。たとえば、東京や大阪にいる神山愛のある神山出身者が集まって、地元出身者が神山トークをする会とかどうだろう?と思っていたんです。
その思いがつながって、帰省する人が多いお盆の時期に『地元出身の3人が語る、神山のいま』というお話会を開催。40名以上の方に集まっていただいて、すごくあったかい場になりました。
ほかにも、大阪の『アーバンリサーチ ドアーズ』で働いている、神山出身のスタッフさんが神山推しのコラムを書いていることがわかって。連絡をとりあうなかで、大阪DOORS HOUSEで『神山ええもん展〜ドアーズが選ぶ徳島 神山町のいいもの〜』を開催することになりました。
都会の良さも理解しながら、地元に戻ってくる人たちの感覚値って、移住者にかなり近いと思うんです。たとえば、その人たちが親と同居をするまでに、大埜地の集合住宅に入ってくれるのもいいなぁと思っています。Uターンそそのかし、みたいな?
大埜地の集合住宅が『ここがあるなら、大埜地に、神山に帰ろうかな』と、地元出身の人たちに思ってもらえる場所になるとうれしいし、Uターンはしなかったとしても、集合住宅プロジェクトに限らず、メディアから伝わるだけではない神山の最近の状況を知って、神山に帰省するときの楽しみにしてもらえたらいいなと思っています」。
3年後は、
どこに向かっていくんだろう?
神山つなぐ公社に参画したとき、高田さんは「できれば3年間は続ける」というゆるやかな約束をしていました。滋賀から神山に移り住んで、まったく新しい環境に暮らすなかで、高田さんの人生の景色はどんな風に移り変わってきたのでしょう。仕事を通じて見えてきた方向性のようなものはあるのでしょうか?
「神山町の地方創生において、神山つなぐ公社がすごく面白いのは、外部のコンサルタントみたいな関わり方じゃないこと。役場の人たちをはじめとして、一緒にやっていくメンバーとは、苦楽をともにするチーム感がすごくある。だからこそ、できることがいっぱいあると思っています。
神山つなぐ公社での今のポジションは、新卒ではなく経験者だから入ることができたと思っていて。そのわりには手探りのことも多いし、専門家として入れていない残念さはあるんだよね。自分の領域をはっきりさせていかないといけない時期なんだろうとは思っているんだけど……。
相変わらず、『自分の仕事はこれです』と言い切るのがなかなか難しいのは、なんなんだろうね? 自分の仕事も、暮らしのあり方をつくっていくことも、ずっと模索していくんだろうけど。
3年間が終わったらどうするんだろう、どうしたらいいだろうというのは、いろいろ思ってみたことはあるし、今もたまに思います。次への仕込みをしたほうがいいのかなと思ったりするけど、あまり見えてはいなくて。
次、どこに向かっていくんだろう、自分は?
いったん、目の前のプロジェクトに関してやりきった先に、ポンと見えるものがあるんじゃないかと思っていて。まだ、真っ最中というか、真っただ中にいて、まだまだやれることもあるし、やってみてわかることもあるだろうなっていうのがあって。
これからの3年間で、まちのなかの状況も、日本も世界も状況が変わっているだろうと思うと、3年後には思っていなかった仕事やポジション、関わり方がある気がしています。全然決められていないな。
地元の人たちや、徳島市内の友だちには『ずっと神山にいてくれるのかな?』と言われたりすると、『いや、それはわからないな』と思うけれど、離れる想定で関わっているわけではないんですよね。もし、居つづけられるなら、このまちがどうなっていくのかをずっと見ていきたい。
ただ、これから何をするにしても、暮らしも含めてどっぷり入り込
◆
インタビューのなかで「神山出身者の神山愛をちゃんとつなげたいなあ」と言った後、高田さんは「そこまで思っていなかったけど、今しゃべっているとそういうことなのかな?」と自分に問い返していて。いいシーンだなあと思っていたのですが、きっと「そういうこと」なんじゃないでしょうか。
その後、めきめきと具体化していった「神山のええもん展」を見ていると、そんな気持ちがしています。関西におられる方はぜひ、この機会に大阪の「DOORS HOUSE」にやってくる神山を見にいってください。わたしも遊びに行こうと思っています!
高田さんのこれまで
▼第一回目(2017.02.15)
「ここなら、経験してきたことをすべて生かせると思えた」
▼第二回目(2017.09.08)
「私の仕事は、コミュニティに命を吹き込むこと」
▼第三回目(2018.10.12)
「切り拓く人たちのなかで立ち止まる」
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杉本恭子
すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、
京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。 人の話をありのままに聴くことから、 そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。 本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。 神山でのパートナー、フォトグラファー・ 生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。
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