ある視点
vol.37 鮎喰川沿いに「謎の未分化の建物」を設計するひと
今回インタビューをしたのは、神山町で建設が進んでいる「大埜地の集合住宅」の設計・監理をしている吉田涼子さん。前回ご登場いただいた池辺友香子さんと一緒に、神山町のあす環境デザイン共同企業体で仕事をしています。
吉田さんが主に担当しているのは、川沿いの広場と文化施設「コモンハウス棟」からなる、敷地内の交流拠点「鮎喰川コモン」の設計です。
「どうですか、鮎喰川コモンは?」と聞くと、「うーん」と考えながらひとしきり真面目に答えてくれた吉田さん。最後に「今はね、謎の未分化の建物なので、個人的にはその状況がすごく好きなんです」と言って、「ふふふ」と笑いました。
えっ、謎の未分化の建物?
吉田さんから飛び出す自由な言葉に翻弄されつづけたインタビュー。まずは吉田さんが建築の道に進もうと決めた頃の話から伺いました。
「全部勉強したい欲」で選んだ建築という学問
吉田さんは、大阪・堺の路面電車が走る旧市街生まれ。その後、お父さんの実家のある埼玉に移り、高校を卒業した頃までそこで暮らしました。学生時代を送ったのは東京・早稲田。古本屋街をぶらぶら歩いたり、神田川沿いでお花見をしたりと大学生らしい日常を送っていたそうです。
「進学したのは、早稲田大学理工学部建築学科です。建築を選んだのは、設計をしたいという理由が一番にあったわけではなくて。
実は、高校までは文系だったんですよ。文系だと数学とか物理をやらなくなくなるんですけど、なんかちょっと“全部勉強したい欲”があって、途中で理系に変えたんです。図工・美術も好きでしたし、建築なら全部勉強できて、絵も描けるしものづくりもできると思ったんですね。
だから、入学した頃はそんなに建築をやりたいという感じではなかった。課題がいっぱい出るのですが、具体的な建物の設計だけではなく、抽象的なお題に対して作品をつくる授業もあって。それに答えるプロセスがすごく面白かったので、これを仕事にしたいと思うようになりました。
同じお題に対して、みんな違うものをつくるし、作品に対して先生を含めて議論をしていると、それぞれの物事の捉え方の違いや思考の癖みたいなものがすごくあらわになる感じがして。自分自身も問われるから、けっこうしんどい作業でもあるし、頭に負荷がかかるんですけど、自分はそういうのが好きっていうのがわかったというか。わからなさが増えていくのが楽しかったんです。
あと、もともと知らない人と話すのは苦手だったんですけど、課題を一緒にやっているときは、ほんとに面白いことをみんなで真剣に話して意見を出し合って、仲間になっていくのがすごく楽しかったんです。それもあって、のめりこんでいったという感じだったのかもしれないですね。これは魅力的なことだし、突き詰めていっていいんだと思いました」
海沿いの港町にアートイベントを
運んでいく船を“設計”して
建築を自分の仕事にしようと決めた吉田さんは大学院に進学。集大成となる修士設計は、「旅と移動」をキーワードに制作。資材や道具を積んだ船が日本海沿岸をめぐり、いくつかの港町に寄港してアートイベントを開催するというコンセプトで、架空のイベント会場と設営のシステムを設計したそうです。
まるで北前船みたいですね!というと、「北前船、めちゃくちゃ好きです!」とぱっと顔を輝かせた吉田さん。ひとしきり北前船の話題で盛り上がったあと、修士設計の内容を詳しく聞かせてもらいました。
「新潟、釜山、小樽、ウラジオストクなど、日本海沿岸にある各国の港町に寄港しながら旅をして、アートイベントをするというものでした。町の規模に合わせて開催できるようにいくつかのバージョンの資材を用意して。海岸線のかたちや場所の特徴を生かした配置を考えるけど、使う道具は同じみたいな。架空のプロジェクトなので、詳細な設計まではしないんですけど。
富山県には日本海を中心として南北を逆さにした地図があるのですが、それで見ると国という単位ではなくて場所から浮かび上がる地勢が感じられました。そこにさらに、『旅』という移動時間が加わると、違う共同体ができるよというコンセプトを表現しました。国っていう単位そのものを疑ってみたかったんですね。
私が在籍していた研究室の性質かもしれないんですけど、建物そのものを設計する以前に、いろんな本を読んで勉強したり、議論することが重視されていました。だから、昔の地図、北前船やお伊勢参りのような江戸時代の旅や移動を調べながらテーマを探すプロセスが何カ月かあって。
私はものの見方を変えることで全然違う空間が見えるとか、そういうことに魅力を感じたので、その最終的な表現が船で旅をしながらアートイベントをする会場設計というアウトプットになったという感じでした」
就職して数年。またしても
「全部勉強したい欲」が
逆さまになった日本海の地図から浮かび上がる、海沿いの共同体。港町をめぐってアートイベントを運ぶ船ーーまるで夢のようなアイデアです!
「ものの見方を変えることで全く違う空間が見える」と話す吉田さんはやっぱり、目をキラキラさせていました。
自分の視座を移動させられる柔軟さ。既存の価値観にとらわれない伸びやかな想像力。たぶん、吉田さんはその両方をもっているから、コンセプトに弾みをつけられるんだろうなぁ。
大学を出てから就職した「磯崎新アトリエ」でも、吉田さんはその力を存分に発揮されていたようです。
「磯崎さんの事務所では、修士設計のときにやったような、コンセプトレベルの段階を磯崎さんと経験してみたいと思っていて。実際にコンペやコンセプトレベルの担当をたくさんさせていただきました。ただ、長期的なプロジェクトが多かったり、チームで仕事をするので、なかなか施工フェーズを担当する機会がなくて。
ひとつ、最初から入れ込んで担当していた、日本で移動型の仮設コンサート劇場をつくるプロジェクトがあったのですが、このときも現場に入る段階で別のプロジェクトにアサインされて。そっちもめちゃくちゃ面白くて良い経験をさせてもらえたのですが、やっぱり自分の力不足も感じたのでそろそろ現場を経験しなければという気持ちがありました。
退職する直前は、中国の鄭州という街の都市計画では、ランドスケープのマスタープランを担当していて、『ランドスケープの感性があったら、もっといろんな話ができるな』『もし、次のことをやるとしたら現場も経験したいし、ランドスケープも勉強したいな』と思いはじめて。
また“全部を勉強したい欲”がむくむく出てきたというか(笑)。
そんなときに、仕事上の調べものをするなかで、たまたま『イン神山』で集合住宅の協働設計者を募集する滞在型イベント『3days Meeting』(2016年6月開催)のことを知ったんです。神山は以前から気になっていたし、ちょっと行ってみようと思って。
来てみたら、神山はいい場所だなと思ったんですね、純粋に。
石垣がいいなぁと思いました。使われている石をみたら、その地域で拾える石の大きさやかたちと合っている。考えてみたら当然のことなんですけど、『そこにあったから使った』という感じが想像できて、もののつくられ方が真っすぐで、なんかいいなぁ、と」
ひとつの都市をつくる仕事から、
まちの集合住宅をつくる仕事へ
吉田さんが前職で担当していた鄭州での都市計画は「何もない所に土地から道路からつくっていく」という大きなお仕事だったそう。その図面スケールからいうと、現在設計を担当している神山の「コモンハウス棟」はたったの「1マスくらいの規模」。仕事の規模も違えば、東京から山間の小さなまちへと環境も大きく変化する転職と移住に、不安とかなかったんですか?と聞いてみると……。
「うーーん、なんかけっこう、流されやすい?」
コンセプトをつくったり、「ものを深く考える人」なのに、自分の人生は直感的にぱっと動いてしまうところに、個人的なシンパシーを感じながら、もう少し詳しく聞かせていただきました。
「いろんな場所を見るのが好きなんです。知らないところに行くのも好きだし、上海も鄭州も大好きでしたし、実は東京もけっこう好き。すごく汚いバラックみたいなお家とかも、まあ面白い(笑)。それはそれで楽しめちゃいます。
集合住宅の仕事に興味を持ったのは、建築とランドスケープを一緒に考えるというところが大きいですね。私としては、とにかく施工現場に深く関われる状態で設計したいというのと、ランドスケープを勉強したいという二つの下心がありましたから。
ランドスケープを学ぶといっても、知識そのものよりもその知識をベースにしたら、どんな感性や判断力を持てるかということが関心事でした。そしたら、3days Meetingの最終日の面接で、ランドスケープデザイナーの田瀬理夫さんが、『ランドスケープで応募したら?』と言ってくれたんですね。
私は全然植物のことも知らないし、ランドスケープデザインはできないのに、そんな風に声をかけてくださるのは、単純な知識や技術だけ以上のものを大事にする人ではないか……。この方を師匠として学ばせてもらえたらと思いました」
本当のクライアントは、
今生きている人だけじゃないのかも。
東京での設計期間を終えて、池辺さんと一緒に神山に引っ越してきたのは2017年夏のこと。いよいよ、吉田さんが望んでいた「現場」がはじまりました。
大埜地の集合住宅の建物群のうち、吉田さんが主に設計を担当したのは「コモンハウス棟」。どんな風にコンセプトを考え、図面に展開していったのでのでしょうか。
「まず、鮎喰川コモンには、異なるテーマが大きく分けると二つあると思っています。ひとつは、地区スケールのランドスケープの観点で鮎喰川沿いをどうつくっていくか。たまたま集合住宅の敷地はここだけど、川沿いのワンシーンとしてのポテンシャルを最大限逃さないということを、どのフェーズでも常に気にしていました。
もう一つは、コモンハウスには”文化施設”という枕詞がついていること。いわゆる音楽や美術だけが文化だとは思わないけど……。ちょっと日常にないものや視野を広げてくれるもの、自然でもいいかもしれませんけど、そういうものを含めた文化が、お金のある都市にだけある状況ではないことを考えることにもすごい興味があって。
でも、コモンハウスはいわゆる文化施設と呼ばれているようなもの、美術館でも図書館でも、コンサートホールでもない。謎の未分化の建物なので、個人的にはその状況がすごく好きなんですね。特に、子供の視点を重視している建物なので、文化的であることと子どもたちがどんな場で過ごすといいだろうという問いが結びついている状況もすごくいいんですよ、可能性がある。テーマとしてポテンシャルが高すぎる!みたいな。
基本的に建築はクライアントのいる仕事だから、もちろん人間の要望に基づいて考えていくんですけど……。そこは、けっこう気をつけないといけないことがあると思っていて。
すごく単純に言えば、クライアントはいつも打ち合わせをしているのは役場やつなぐ公社の方たちです。でも、実際にコモンハウスを使うという意味での、その先の”クライアント”は町民の方たちや、特に、声をあげない子どもたちですよね。さらに、何十年後にここで暮らす人が使うことも考えると、直接に聞こえてくる今いる人間以外の声を、どうやって汲み取るかはひとつの勝負どころかなと思うんです。
ときには、人間以外のための場所かもしれないし……。
たとえば、風景。ここから見える山を殺さないようにするとか、そういう人間じゃないところも含めて。時間軸と空間軸の想像をできる限り広げながら設計というものを考えたいなと思っています」
◆
今年の春、吉田さんは建築中のコモンハウスで、大工さんたちがつくっている過程をまちの人たちに見てもらう、構造見学会を企画しました。
「その場所の骨格ができて空間が見えはじめる瞬間に立ち会って、
ぐうの音も出ないほどに「ほんとにそうだな!」と思いました。文化を楽しむことって、完成した作品をお作法通りに鑑賞することじゃなくて、感受性をひらいて想像力を働かせて、まだ知らない世界をつかまえることなんじゃないかな?
今度、吉田さんに会うときには、北前船の話で思う存分に盛り上がりたいなあと思います。そして、吉田さん自身が乗るはずの「次の船」ーー仕事あるいは旅、新たな場所ーーの話も聞いてみたいものです。
-
杉本恭子
すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、
京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。 人の話をありのままに聴くことから、 そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。 本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。 神山でのパートナー、フォトグラファー・ 生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。
バックナンバー
-
vol.01
-
vol.02
-
vol.03
-
vol.04
-
vol.05
-
vol.06
-
vol.07
-
vol.08
-
vol.09
-
vol.10
-
vol.11
-
vol.12
-
vol.13
-
vol.14
-
vol.15
-
vol.16
-
vol.17
-
vol.18
-
vol.19
-
vol.20
-
vol.21
-
vol.22
-
vol.23
-
vol.24
-
vol.25
-
vol.26
-
vol.27
-
vol.28
-
vol.29
-
vol.30
-
vol.31
-
vol.32
-
vol.33
-
vol.34
-
vol.35
-
vol.36
-
vol.37
-
vol.38
-
vol.39
-
vol.40
-
vol.41
-
vol.42
-
vol.43
-
vol.44