ある視点
vol.12 「あー、おいしかった!しあわせだったね」で終るごはんをつくりたい。
2017年3月3日、神山町にあたらしく「かま屋(食堂)」と「かまパン&ストア(パン・食品)がグランドオープン。地元からはもちろん、徳島市内からもたくさんのお客さんがやってきて、神山は大賑わいの春を迎えました。
「かま屋」「かまパン&ストア」は、神山の農業を次世代につなぐフードハブ・プロジェクトの取り組みから生まれたお店。スタッフの真ん中にいるのは、料理長の細井恵子さんです。通りすがり、窓の向こうに姿が見えるだけで、「(あ、今日も細井さんいる)」とちょっと安心しちゃう。そんな存在感を持っている人です。
今回の「かみやまの娘たち」では、細井さんが神山にやってきてからの1年間の物語を、フードハブ・プロジェクト(以下フードハブ)の動きと絡めてお伝えしたいと思います。
近所のおばちゃんのやさしさに
「住んでもいい」と思えた
細井さんのインタビューを行ったのは「Food Hub テストキッチン」。ここはもともと、フードハブ設立の立役者、株式会社モノサスの真鍋太一さんが住んでいた家の土間でした。当時、真鍋さんは、ここを「みんなで使えるキッチン」にしようとしていたのですが、そのときすでにフードハブのアイデアがあったそうです。
東京に生まれ育ち、カフェやレストランの立ち上げや、企業の商品開発の仕事をしていた細井さんを、神山に誘ったのも真鍋さんでした。
「ちょうど会社を辞めて独立して、料理家的な活動ができればいいなと思っているタイミングで、別な会社さんからお誘いをいただいて。どうしようかなと迷っていたときに、真鍋さんに相談したんです。ちょうどこのテストキッチンの話がどんどん盛り上がっていると聞いていたので、その話も聞いてみたかったから。
そしたら、まちと一緒に会社を立ち上げてフード・ハブをつくるという話になっていて。『こっちに移住して一緒にやってみない?』とお話をいただいたという経緯でしたね。真鍋さんと一緒に仕事したら面白いだろうな、勉強になるだろうなとも思って引き受けました。しばらくは、月に1回ぐらい1週間くらい神山に滞在して、また東京に戻るという暮らしでした。神山に住みはじめたのは2016年9月ぐらい。住んでいいと思えたのは、神山の“人”ですね。
実際に神山に住むとなると、自分が思っていた通りの生活ができるかどうかはわからないですよね。そんなとき、ひとりなんだけど常に誰かがいるという感じに、精神的に助けられたと思います。
ここ(元テストキッチン)で仕事をしていると、近所のおばちゃんが通りかかるたびに必ずガラッと開けて入ってくるんですよ。そこから、30分とか1時間とか話が始まるんですけど、最初はそれに慣れなくて(笑)。仕事を進めたいけど、おばちゃんを邪険にもできないしって戸惑っていました。でも、お野菜を分けてくれたり、ちょっと声を掛けてくれたりすることに、すごい助けられているんだなあと思って。
おばちゃんたちって、一回懐に入っちゃったらすごい良くしてくれるから。冬になると「寒いでしょう」ってちゃんちゃんこをくれたんです。『ちゃんちゃんこ、くれちゃうんだぁ』と思ってね。夏はキュウリをもらいすぎて『キュウリ地獄だ!』なんて笑っていましたけど、佃煮にして保存したりとかね。神山に来なかったらできなかったこと、大きいことじゃなくて、ささいなことの発見がすごく楽しいです」
「個人的に、揺れに揺れた」
フード・ハブ立ち上げまでの1年間
細井さんが神山に通いはじめた2015年12月25日、神山町では地方創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト(以下、つなプロ)」が発表されました。つなプロは、神山町の若手職員と住民によるワーキンググループを中心に、約半年かけて議論してつくりあげたもの。フードハブ・プロジェクトは、真鍋さんも参加した「循環のしくみづくり」を議論するワーキググループから生まれたアイデアでした。
2016年4月には、神山町役場、神山つなぐ公社、株式会社モノサスの三者が共同して会社を設立。現在は、農業チーム「育てる部門」、農業の担い手を支える「食べる部門」、神山の食文化を伝える「食育部門」の3部門によって、「地産地食(Farm Local, Eat Local)」を進めて、神山の農業を育てていこうとしています。
つまり、フードハブは、神山の農業と町の経済を元気にするため、町の肝いりではじまった大きなプロジェクト。細井さんは、いつもののんびりした神山とはちょっと違う、早くて強い渦にぐいっと引き込まれるかたちで、神山暮らしを始めることになったのです。
それでも、コアメンバー数人で準備を進めていたころはなんとかなったけれど、社員も13、4人に増えていますから、コミュニケーションは重要課題です。フードハブはどんな会社で何を目指しているのか、立ち上げメンバーにとっては当然のことを、新しいメンバーに伝えきれていないところもあって。なかなか、自分ごととして取り組んで成果を出すということにつながっていかないんですね。
今は、現場のメンバー一人ひとりに、自分のプロジェクトを立ち上げて責任を持ってやり遂げてもらうのが一番いいんじゃないかと考えています。たとえば、「神山メイトの味のバリエーションを増やそう」「フードハブメンバーのシェアハウスを農家民宿にしよう」とか、新しいプロジェクトを二人一組で担当してもらう。プロジェクトを通して、まちの人や取引先とも関わりができるから、意識も変わっていくと思うんですね。
フードハブをまちの人に知ってもらうことも大事だけれど、まずは内部の若いメンバーに対して見える化をして、仕事をどんどん渡していこうと思っています。
振り返ってみると、ほんとにすごいスピードで進んできましたよね、この1年間は。ハードの部分はどんどんできていくけれど、まだソフトな部分は全然追いついていないから。フードハブの考えていること、思いが伝えきれていないし。まちの人にもっと来てもらうためのアイデアや行動もなかなか追いつかないから。個人的には揺れに揺れた一年でしたね。気がついたらもう今だったっていう感じ(笑)」
まちの中心にある、
人が人を呼ぶ場所にしたい
フードハブの会社設立から1年半、「かま屋」「かまパン&ストア」のオープンからはまだ半年。細井さんの「ほんとに模索中なんですよ」という言葉に、「そりゃそうですよね」と深くうなづく気持ちでした。むしろ、こんな短い間に、今まで神山になかった新しい「育てる」「食べる」「つなぐ」という循環を回しはじめたということ自体が、奇跡のようにさえ思われます。
「かま屋」「かまパン&ストア」のオープンからまだ半年ではありますが、この間の手応えを踏まえて、細井さんが描くお店のこれからのイメージを聞いてみました。
「ただ単純に、お料理を食べに来るとか、そういうことではなくて。『かま屋』に行ったら、誰か知っている人がいて、ちょっとお茶をして帰るとかでもいい。まちの中心になるような場所がいいかなと思っていて。
たとえば、まちの診療所に行くと『あれ、あの人もう診察終ったはずなのにな』っていうおばあちゃんがずっといておしゃべりしていますよね。ああいう感じで、気軽に誰かが誰かに会いにくるような場所。あるいは、高校生がバスを待っている間に、アイスクリームを食べていくような、そういう場所になっていくといいのかなと思いますね。
私自身が、そういう場所に行くときを思うと、お料理がおいしいとかお店の雰囲気がいいとかもあるけど、やっぱり人に会いに行く部分が大きいかなと思っていて。「あそこの大将としゃべりたいから、今日は一杯飲みに行こう!」とか、やっぱり人なんですよね。
そういう意味では、まだまだ「じゃあ、あの人に会いに行こう」と思ってもらえる場所にはなれていなくて。働いているメンバーも、もっと神山の人たちに顔を知ってもらわなきゃいけないと思います。店舗に立っていなくても、『白桃さんに会いに来た』『真鍋さんの顔を見に来た』とか、そういう人がもっと増えるといいなと思います。
でも、それって単純にビラを配って「来て下さい」というだけではダメだと思うんですよ。地元の人とも、市内の人ともていねいに関係をつくっていくことが、次につながってくると思うので。コツコツと積み重ねていくことも大事だと思うんですね。
この夏、私は徳島市内に引っ越したんです。神山でちょうどいい家が見つからなかったせいもあるけれど、いい意味で距離を置いて客観的に俯瞰するのもいいかなと思って。神山にはみんながいるので、外からの視点でつながるのも大事だと思うんです。市内の雑貨屋さんやカフェでリーフレットを渡しながらお店の人と話すと、「今度行きますよ」って言ってもらえます。『かま屋』のことには興味を持ってくれているようなので、ちょっとしたきっかけから自分に会いに来てくれる人が増えるとうれしいなと思います」
日本の、神山の郷土料理をつくる
料理人でありたい
美味しいものが好き、食べることが好き。細井さんは「美味しい食べ物のためならどこにでも行く」と言います。でも、いわゆる“グルメ”とか“美食家”というわけではありません。
細井さんが愛してやまないのは日本各地にある郷土料理。地元の材料でつくられ、地元の人々が行事のたびに集まって一緒に食べるような、土地の文化や風土と一体化したごはんです。細井さんの「美味しいもの」のルーツもまた、おばあさんが作ってくれた栃木の郷土料理のなかにありました。
「祖母は定年退職するまでずっと、保育園で子どもたちの給食をつくっていました。なので、家の建て増しとか新築とか、お盆とか、親戚が集まるときには必ず、祖母と母が家でごはんをつくっていたんですよね。子どもながらにそういうのっていいなあとすごい思っていたんです。
祖父は栃木出身だったので、祖母はよく栃木の郷土料理もつくってくれました。ごはんをお皿に敷いて、あんこをべたーっと載せた『ぼためし』。人参と大根をすり下ろして、シャケのアラと酒粕と大豆などと一緒に煮る『しもつかれ』なんて、どんぶり2杯くらいごはんを食べられるくらいおいしいんですよ。
だから、前職で海外出張に行くたびに、日本のなかでもっと突き詰められることがあるんじゃないかと思っていました。日本で学ぶフランス料理とか、イタリア料理とかではなくて、日本にもともとある郷土料理が日本中の地域にありますよね。各地の郷土料理を求めて47都道府県をまわってみたら面白いんじゃないかとずーっと思っていて。いつか、日本の郷土料理を出すようなお店をやりたいと思っていたんですね。
私は、特にお料理のベースとかはないんですよ。ただ単純に、おいしいものをつくりたい。食べてもらって、食べてくれた人が難しいことを考えずに「美味しい!」と思うところで終ってくれたらいいな、と。「あれ、なんであんなに美味しかったんだろう?」じゃなくて、「あー、おいしかった!しあわせだったね」で終ってもらえるような料理をつくりたいと思っているんですよね」
・・・・
インタビューをした日、神山町にある徳島県立城西高校の女子生徒が細井さんを訪ねてきました。「高校を卒業したら、フードハブで働きたい」という相談のためでした。「自分たちももがいているなかで、まちの若い人が一人でも働きたいと思ってくれていることが、今日はすごいうれしかったなぁ」と細井さん。フードハブで働く地元の若い人の姿が、また次の若い人を地元から呼んでくる循環もはじまるかもしれません。
フードハブの周りには、お米や小麦、野菜、果物を育てる「つなぐ農園」が広がっています。また、「かま屋」のカウンターには、今日の献立に使われている野菜を誰がつくったのかわかるプレートが掲げられています。そして、細井さんをはじめとしたスタッフが、もりもりとおいしいごはんを作って待っていてくれます。
ぜひ、みなさんも「かみやまの娘たちで見ましたよ」と、細井さんに会いに行ってください。そして、「あー、おいしかった。しあわせだったな」を身体いっぱいに味わってほしいと思います。
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杉本恭子
すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、
京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。 人の話をありのままに聴くことから、 そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。 本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。 神山でのパートナー、フォトグラファー・ 生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。
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