COLUMN
かみやまの娘たち

 

ここ徳島県・神山町は、多様な人が
すまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆 文・杉本恭子 イラスト・山口洋佑
 

vol.31 「自分探しを終了して、東京から神山へ」〈徳島県・神山町〉

INTERVIEW 「神山つなぐ公社」すまいづくり担当/遠藤実奈さん

今年の春、神山で2回目の春を迎えた遠藤実奈さん。
みんなに「えんどぅ」と呼ばれています。

 

ちょっとためしに、口のなかで「えんどぅ」と言ってみてください。明るくて芯があって、何回も言ってみたくなる音のイメージ、遠藤さんに似合うなあと思います。いつも好奇心で目がきらきらしている感じがするんですよね、彼女って。

 

インタビューは、遠藤さんが20代最後の日を過ごしたという、滝が見える川の真ん中ですることになりました。えっ? ここを登っていくんですか……?


「神山」の2文字が、
サブリミナルのように

 

遠藤さんが神山に来たのは、2018年の4月中旬。当時、株式会社リレイションが開講していた「神山塾」に10期生として参加するためでした。神山塾は、神山で暮らしながら、座学やワークショップを通して地域でのプロジェクトのつくり方を学ぶプログラムです。

 

どうして、遠藤さんは神山塾に参加したのでしょうか?

「それ、聞かれるだろうなあと思ってました!神山に来た頃はたくさんの答えがあって、日替わりで『今日はどれにしよう?』って話していたんですけど、今はふたつしか思い出せませんでした。

 

ひとつは、前の仕事が平たく言えば“まちづくり”といわれる仕事だったんですね。東京の立川市という、わりと都会でのプロジェクトだったから、もう少し田舎でやってみたいなと思いはじめていたんです。

 

もうひとつは、東京にいると情報量がものすごくて。東京はなんでもあるし楽しいけど、やりたいことや欲しいものには終わりがないなぁと思ったんです。しかも、『欲しいもの』というのが、家事をラクにするモノや駅から近い家みたいに、生活の時間を短くするものになっていくことに対して「あれ、これは意味がわからないな」と思って……。

 

そういうこともあって、住むところを地方に移せば、生活のためのお金も少なくてすむし、やりたい仕事をしていても生活の時間をきちんと確保できるんじゃないかと考えていました。

 

まちづくりの仕事をしていたので、知らず識らずのうちに、『神山』って地名を目にしたり、事例を聞いたりはしていました。そんななかで、『日本仕事百貨』で神山塾の塾生募集を見て、お試し的に来てみたんです。ダメだったら東京に戻ったらいいやと思って」

 

見ず知らずの人たちが
どうしたいの?と心配してくれて

仕事を辞めた遠藤さんは、4か月間失業保険を受給しながら神山塾に入塾しました。ところが、神山塾の期間は5か月。「最後の1か月をどう過ごすか?」ということは、入塾する前から遠藤さんの頭のなかにありました。神山で過ごすなかで、遠藤さんは神山塾をやめることを決意。ただし、すぐに東京には戻らず、もう少し神山にいることにしました。

「神山塾を出たほうが時間を自由に使えるし、神山の世界が広がる気がして。でも、神山塾がきっかけで出会ったいろんな人のことを、もうちょっと知りたいなと思ったんです。

 

実際に、『神山塾の人』みたいな感じがとれたほうが、いろんな人と話しやすくなりました。『なんでもやります!』って言って、すだち農家さんや『WEEK神山』で働いたりしていて。

 

そしたら『なんで神山塾をやめたの?』『次はどうするの?』って、みんなが聞いてくれるんですよ。神山つなぐ公社の高田(友美)さんが「じゃあ、一緒にえんどぅの今後を考える会をやろう』って言ってくれたりとか。

 

いま、友だちが神山に来たときに『なんで神山にいるの?』って聞かれると、『神山の人たちの受け入れ力がすごい』っていう話をするんですけど。こんな見ず知らずの私に、『これからどうしたいの?』って聞いてくれる。その受け入れ力のおかげで、今も神山にいるんだと思います」

 

東京で暮らしているほうが
“安全”に思えていたのに

とはいえ、遠藤さんは「ずっと神山で暮らそう」と思っていたわけではありませんでした。東京で就職活動をして、「そろそろ東京に戻ろうかな」と思っていた矢先に、意外なところから声がかかります。

「WEEK神山でバイトしているときに、神山つなぐ公社(以下、公社)の理事・西村佳哲さんに声をかけられたんです。公社の高田さんや(藤本)彩さんから、『公社の仕事をできそうな人がいる』って聞きつけたみたいで。

 

わたしはもともと、大学で建築の勉強をしてハウスメーカーに就職したんですけど、まちづくりに興味があって。会社員をやりながら、立川の市民活動を支援している施設にボランティアとして関わっていました。市民団体やNPO、学生団体などが、自分たちの好きなことをまちのために役立てようとする活動をサポートしていて。

 

1年くらい経って、その施設のスタッフの人に『転職しようと思っている』と話していたら、『じゃあ、一緒にやらない?』って言ってもらって。神山にくる前まで、そこで働いていました。

 

公社としては、私のその経歴を知って、『大埜地の集合住宅プロジェクト』のなかの、『鮎喰川コモン』という大人も子どもも使える文化施設の企画を担当してほしいと思ったみたいです。

まずはお試しで、10月から11月まで働いたのですが、その間も東京に行くかどうか悩んで、迷って。あの頃は、本当に人生で一番つらい時期でした。たぶん、東京のほうが安全だと思っていたんです。東京の暮らしに違和感はあったけれど、やっぱり都会で生きているほうが楽だなと。私は、そんなにストイックじゃないから、会社員をして普通の人生もいいなあと。神山に残って、数年後にまた別な場所を探してモヤモヤするなら、安全な方を選び取ったほうがいいと思っていました。

 

でも結局、今年の1月から正式に公社のスタッフになりました。

 

神山に来る前、『自分探しはもうやめたい』って言っていたんです。“やりたいこと”のために、ふらふらと住む場所や仕事を変えるのはかっこ悪いと思っていたから。“やりたいこと”と“やるべきこと”が一致して目の前にある状況をつくりたかったんです。

 

公社の仕事は楽しそうだったし、やってみたくなっちゃった。自分探しはもう終了したかな。今は探していないですね」

「つながるかどうか」は
その人の自由だと思っている

今、遠藤さんは神山つなぐ公社のなかで、神山での暮らしを試みる”すみはじめ住宅”『西分の家』の共有キッチンと共有サロン、大埜地の集合住宅のなかにつくられる『鮎喰川コモン』など「まちの共有部」の企画・運用を担当しています。いずれも、開かれた空間ではありますが、それぞれに異なる性格の空間です。これから、どんな風に運用を進めていこうとしているのでしょうか。

2019年3月に西分の家で開かれた「ハルマチサロン」。いろんな企画が持ち寄られました。写真は太極拳の体験企画のようす(神山つなぐ公社提供)

同じく「ハルマチサロン」にて、神山の梅の枝を使ったお箸づくりのワークショップ(神山つなぐ公社提供)

「西分の家は、一階の共有キッチンと共有サロンをまちに開かれた場所として、いろんな人にいい感じに使ってもらうことで、面白いことが起きるようにしたい。“いい感じ”というのはまちの人たちが『こんなことをしてみたい』と思うことにチャレンジできて、新しい発見やつながりの生まれる場所だといいなと思います。

 

わたしは『これをやってみたら面白いんじゃないですか?』って、みんなをそそのかす役かな。活動をする人が増えるのは嬉しいけど、無理につなげたり広げたりすることはしなくていい。それぞれが望む規模感で使える場所になったらいいと思っています。

 

“つなぐ公社”という名前の団体で働いているけれど、つなげることはそんなに好きではなくて。つながるかどうかは自由じゃん、て思う。なんだろうな、言葉にするのは難しいな。まちで活動している人同士が、西分の家をきっかけにつながって楽しそうにしている様子を見てニヤニヤする、みたいな(笑)。がんばって広げよう、大きくしようとかは思わないです。

 

鮎喰川コモンは、『人が集まってミックスされる“まちのリビング”みたいな場所があるといいよね』というところからはじまっていて、『絶対にこれをやらないといけない』という決まりはないんです。

 

これから竣工までの間に、まちの人たちとワークショップをしながら、必要なことは何か、望まれていることを聴きながら、運営のしくみを考えていくプロセスをつくっているところです」

「ハルマチサロン」でくつろぐまちのおかあさんたち(神山つなぐ公社提供)


まちのあたらしい施設の
仲間を見つけるために

これからつくられる新しい施設(鮎喰川コモン)を、どんな場所にしていくのかを考えるにあたって、遠藤さんはまず「そこに来る人たちは誰なんだろう?」という問いからスタートしました。でも、ひとりで考えて「こういう人が運営を担うべき」と決めたり、「こういう企画をしてほしい」と依頼したりするわけではなくて。まちの人たちのなかから「やりたい気持ち」を浮き上がらせるような方法を模索しています。

「まちに新しい施設をつくるのに、まだ神山に来たばかりで、コンサルタントでもないわたしには何が必要かわからない。町民ワークショップ(『まちのリビングを考える会』)などをやりながら、まちの人と一緒に考えながら、ベースを整える人になろうと考えました。

 

町民ワークショップを開くと同時に、役場の担当者から『役場と公社で一緒にコモンをつくりたい』と言われたことがきっかけになり、役場と公社で合同の会議体をつくりました。コモンのキーになるのが、子育て支援と放課後の居場所づくりなので、健康福祉課と教育委員会の人にも入ってもらっています。

 

町民ワークショップでは、『こんなことがやれたらいいね』というイメージをどんどん膨らませて、役場と公社が中心になって実現できる環境を整える。そのなかで、『コモンではなく、まちのなかの他の場所でやるほうがいい』と判断したら、コモン以外の場所で実現できるように提案するというやり方もあるなと思っていて。

 

今はとにかく、コモンがオープンするまでに仲間をたくさん集めたい。何をするかよりもまず、来てくれる人の顔を見えるようにしておきたいというのがすごくあって。

 

ただ利用するだけの人、企画を持ち込みたい人、運用に関わりたい人とか、いろんな利用者をオープンまでに見つけて仲間になってもらえれば、なんとかなるんじゃないかなと思っています。

 

最終的に考えることはいつも一緒だなぁと思います。町民ワークショップにも『自分が楽しい』と思いながら参加してほしいし、その延長線上でコモンの利用者になって欲しい。いつも、そういうことを考えないとなぁ、と」

 

 

いつしか、自分自身も
やりたいことをやっていた

子どもの頃から「こんな家に住めたらいいなあ!」と間取り図を見るのが好きだったという遠藤さん。インテリアや小物も好きで、大学では住居学科に進学しました。建築を学んで面白かったのは、「なぜ、これはここに必要なのか?」とどんどん問いを深めていけること。今の仕事のなかでもやはり、「なんで、なんで?」と考えることを楽しんでいるようです。

『第三回「まちのリビング」を考える会』(改善センター)にて話す遠藤さん

「建物のなかで人がどんな風に行動するのか、活動できるのかを考えることも建築の一部だと思うと楽しくなっていったんですね。どういう空間が欲しいのかを考えていくと、たとえば『明るくて広いリビングが欲しい』と言っても、人によって『広さ』のイメージは違う。面積的な広さをいう場合もあれば、遠くまで景色を見通すことを広さとして感じている場合もあります。

 

その人にとって一番いい空間ってなんだろう?

ここでどんな行動が起きたら楽しいんだろう?

なぜ、この建築がここに必要なのか?

 

そういうことを考えるのは楽しいなと思っていたときに、山崎亮さんの『コミュニティデザイン』(学芸出版社)という本に出会って。『これやりたい!』って思ったんですけど、もう大学4年生で就職も決まっていて。『いつかこういうことをやりたい』と思っていたので、立川の施設に関わることになったんですね。

 

そして今、サブリミナル効果的に刷り込まれていた神山に来て、子育て支援とかコミュニティづくりの仕事にたどり着いて。なんか、やりたいことをやっているんですよね……。建築の好きな部分に関われているなぁと思います」

 

 

間取り図を見ながら夢を描いていた子どもの頃から神山に来るまで、遠藤さんの人生のプロセスは、決して平坦なものではなく、悩んだり迷ったりするつらい時期もあったのだと思います。でも、こうして一緒に話を聞いていると、なんだか一本の道をまっすぐ歩いてくる遠藤さんの姿が見えてくるような気もするのです。好奇心で目をきらきらさせて、とても楽しそうに。

 

鮎喰川コモンがオープンするまで、遠藤さんはきっとまた悩んだり迷ったりしながらそのプロセスをつくっていくことになるんじゃないかな。その話は、また半年後に聞かせていただくことにしましょう。

BACKNUMBER
かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

LATEST ENTRIES
COLUMNS

RECOMMENDS

TAGS

INSTAGRAM