ある視点
vol.43 いい大人といい景色に出会えば、自然とこのまちが好きになる。
2016年秋にスタートした連載「かみやまの娘たち」も残すところあと2回。繰り返しインタビューした、「神山つなぐ公社」(以下、公社)の立ち上げメンバーの3人と、それぞれの5年間を振り返りながら閉じていこうとしています。今回は、ひとづくり担当・森山円香さんと5回目のインタビューです。
機材を抱えたフォトグラファーの生津勝隆さんと急な坂を登っていくと、坂のてっぺんに立っている森山さんの笑顔が見えました。「今ね、目隠しになっていた庭の木を伐り倒したところなんですよ」と興奮気味に、ドローン撮影した杉の大木がめりめりと倒れていく動画を見せてくれました。すごい迫力!
すっかり見晴らしが良くなったご自宅の庭では、ランチ・バーベキューの真っ最中。わたしたちもお相伴にあずかりつつインタビューをはじめました。
仕事ではなくまちに関わった
はじめてのプロジェクト「アースオーブン」
ーー前回のインタビューのときはまだ、城西高校神山校(以下、神山校)の高校生寮「あゆハウス」もはじまっていなくて。あれから何があったんだろう?
森山:いろいろありましたね。神山には、石積みの棚田や段々畑がたくさんあります。その修復と技術継承のために神山校でも行っていた「石積み実習」がきっかけになり、2019年8月終わりに「石積み合宿 in イタリア」に行かせてもらいました。
その流れで、神山町のキャンプ場「コットンフィールド」内に、石積みの技術を使ってつくる「アースオーブン」のプロジェクトがはじまりました。
有志で会議を開いてデザインや設計を考え、ワークショップを開いて総勢20人くらいでつくり、2020年2月に完成ました。新型コロナウイルスの感染が広がったためいったんストップしていのですが、そろそろ復活させようという話をしています。
アースオーブンは、「公社で働く森山」ではない自分でまちの人たちと何かやってみるはじめてのプロジェクトで。それはひとつ、自分の中では大きかったなと思います。
ーー「公社の森山さん」ではなく「まどかちゃん」と呼ばれる関係のなかで、まちに関わる感じですね。どう違っていましたか?
森山:うーん、なんでしょうねえ?手探りで進めていくのは同じなんですけど、アースオーブンのプロジェクトはめっちゃユルいんですよ。そもそも会議の時間をちゃんと決めなかったり、議題もあるようで途中からわけわかんなくなっていったり、全然まっすぐ進まない(笑)。
それぞれに暮らしや仕事があるなかで集まっているから、義務になっちゃうとつまんない。自然と無理ない範囲で関わろうとするので、仕事では絶対実現できないユルさがあるのが面白いです。
無理ないペースで
自分たちの暮らしをつくる
ーーこの5年間、森山さんはいつ会っても新しいプロジェクトを立ち上げている真っ最中で。インタビューでは、主に「今はどんなことをしているの?」を聞くことが多かったなと思います。2020年は、6月にご結婚されてこの家での暮らしづくりもはじまり、プライベートの部分に大きな変化がありましたね。
森山:この家では、畑で野菜を育てたり、五右衛門風呂をつくったりしていて、今はサンルームをつくろうとしているんですよ。
この家は完成していないんです。例えば、前の住人さんが改修したおしゃれな空間があるし、キッチンはすごく使いやすいけど、納屋の方は床が抜けている状態で。引っ越してきたときは、庭の畑も草が生え放題だったし、今日までは周囲の木や草が鬱蒼としていて視界が塞がれていました。
いきなり全部はできないけど、暮らしているなかで「畑やってみようか」「ここの床板を変えてみる?」と、無理のないペースで自分たちの気持ちのいい暮らしをつくっていく。徐々に住みこなすというか、家を自分たちにフィットさせていくのが楽しいし、愛着もわいてきます。すごい面白いことをやっているなと思いますね。冬に寒いのは致命的なんですけど、それ以上にいいものがたくさんあるから離れる気にはならないです。
ーーパートナーの渡邉啓高(ひろたか)さんはどんな人ですか?
森山:うふふ。いろんなことを楽しめる人ですね。遊びをつくれる人。サンルームや五右衛門風呂をつくろうって、普通は思わないじゃないですか。暮らしのなかでも、私だったら気に留めないことに目を向けて、「これ、いいじゃん」って言いはじめたりする。それがすごく新鮮で面白いです。
私は、教育分野で仕事をしているけれど、子どもと関わるときはけっこう緊張するんです。「どういう関わり方がいいんだろう」と変に意識して、“遊んであげる”になっちゃう。でも、ヒロさんは“一緒に遊んでる”なんです。これってもう天性の素質みたいなものだし、すごいと思った。それが一番最初の印象でした。
4年前には思いもよらない
風景が見えるようになった
ーー「神山に来てからの4年半はどうだったのか」という大きい話も聞いてみたいと思います。ちょうど、森山さんが来たときにはじまった、神山町の創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」(以下、つなプロ)の5カ年が終わりに近づいていますが、振り返ってみていかがでしたか?
森山:はじめたときとは、だいぶ違う風景が見えるようになりました。先日、神山校の文化祭があったんです。これまでを知らない人からすると、“よくある高校の文化祭”だと思うけど、あれは4年前には絶対にできなかったことだと思います。
これまでは、先生たちが主導していて、生徒たちが自分たちのやりたいことをやれる余地は少なかった。生徒のなかから「やらされ感がある!」と問題意識が上がりはじめて、いろいろ試みてはいたものの、全体の構成を変えるのはなかなか難しいなと思っていました。
でも今年は、先生たちは基本的に見守っているだけで、生徒たちが自分たちで考えた演劇やダンスをしたり、地域のおにいちゃんたちに協力してもらってバンドをしたり。しかも、誰かが中心になっているというよりは、全学年が動いていて、「こういう景色が生まれるようになったんだ!」と、感動ひとしおでしたね。
ーーなぜ、そういう景色が生まれたのでしょう。
森山:「神山校に来たい」という子たちが増えたからだと思います。「親や先生に言われて来ました」って子が来ると、「なんか山に来ちゃったなぁ」みたいな感じになってしまうんですよね。
今は、「神山はどんなまちで、神山校はどんな教育活動をしているのか」を伝えるようになったので、それに合う子たちが来るようになってきました。提供するものと期待するものが合ってくると、あとはどうにでも進めることができます。コンテンツをつくり込まなくても、そこから生まれてくるものがたくさんある。
ーーその結果として、「この高校めっちゃ好きだ!」と思う生徒が増えることが、可能性を広げているんでしょうね。
森山:昨年からはじまった、文部科学省「地域との協働による高等学校教育改革推進事業(地域魅力型)」の一環で、全学年生徒にアンケートをしたんですね。「この学校に入ってよかったと思う」という設問で肯定的な回答をした割合が、学科再編をする前の3年生が77%。1、2年生に至ってはどちらも90%を超えていて。他の項目でも、めちゃくちゃ肯定感が高いんです。
あくまでアンケートなので傾向としか言えないのですが、この学校に来たくて来た子が増えてきたひとつの証明というか。「やっぱ、そうなんだ」という感じがありました。
高校生である彼らと
「今、何ができるか」を考えたい
ーー神山を好きになる神山校の生徒が増えると、いずれはこのまちで暮らす可能性も出てきそうでしょうか。
森山:「まちを好きにならせよう、まちへの愛着を育もう」と思ってやらなくても大丈夫だと思っています。いい大人に出会えば、いい景色に出会えば、自然とこのまちを好きになると思うので。ただ、「このまちで暮らしたい、働きたい」という子に対して、仕事や住む場所がある環境をつくっておく必要はあると考えています。
神山で暮らしたいと思うかどうかは、あくまで結果論だと思うんです。
高校3年間過ごした結論として「暮らしたい」と思うかどうかだし、そもそも3年間で考えなくてもいい話だし、もっと長期的なものだなと思っていて。それより、高校生である彼らと「今、何ができるか」が、すごく大事だと思っているんです。高校生って一瞬だし、そのときしかないじゃないですか?
ーー「この子は将来、神山に残ってくれるかどうか」を期待すると、おかしなことになってしまう。
森山:そうそう。「手塩にかけたのにいなくなっちゃった」みたいな変な話になる。神山の人たちは、そういう目で高校生を見ていないからすごくいいなと思います。今、高校生のあの子たちが制服を着て、まちのスーパーにいるとか、どこかでバイトをしているとか、学校で育てた野菜を一輪車で運んでいって、じいちゃんばあちゃんに引きとめられて買ってもらうとか。
そんな光景が生まれていること、まちがやろうとしていることに対して「高校生のあなたはどう思うか」を聞かせてくれることに価値があると思っています。
やればやるほど、
やるべきことが見えてくる
ーー「私、たぶんブルドーザータイプなんです」と以前のインタビューでも言っていた通り、いろんなことを「ガー!」と進めてきましたよね。すでにもう「やりきった感」があるのでは?
森山:いやー。新しいものをぐっと生み出すフェーズはいったんやりきった感はありますが、やればやるほどいろいろ見えてくるんですよ。
どうやって持続的にしていくのかを考えながら、修正してより精度の高いものにするのが、これからはじまる第二期だなと思っています。考えることは、まあまあ山積みですね!
ーーこれからは1から5、あるいは10にしていく仕事になりますね。森山さんは0から1を生み出すのが得意だと思うのですが。
森山:たしかに、私は0から1のほうが自分の力を発揮できると思います。というか、今までそれしかしてない(笑)。「ひとづくりチーム」には、1を10にするのが上手な人がいるから、そこは役割分担をしながらやれるといいなと思いますね。
ーー今は、ひとづくりチームだけでなく、理事として公社全体を見る立場にもなられました。マネジメントの仕事には興味を感じていますか?
森山:一定の規模になると、組織ってマネージャーを必要としはじめるけれど、そうならない規模感を維持していたいし、マネージャーを必要とせずに働ける人たちと働きたいと思っています。そういう意味でも、ひとづくりチームはダントツに素晴らしい人たちです。
ーーご自身の仕事についてはどう考えていますか? 教育の現場にいる人に委ねていってときどき相談に乗る立場を目指したり、神山を足場にしつつ他のまちの教育に関わったりと、いろんなかたちがあると思うのですが。
森山:そうですよねえ。たとえば、海士町にいたときに、一番近くで見させていただいた大人たちが、三者三様の道を選んでいて。立ち上げからずっと居続けて大黒柱のような存在になった人、県の教育庁へ移って島前の事例から県や国レベルの政策づくりに広げている人、そして民間の会社の経営者として島前の事例を他地域へと横展開していった人がいます。
自分がそのうちのどのタイプなのか考えたこともありますけど、結論が出ないからあまり考えないようにしています。「これ!」となると動くけど、あまり計画を立てられない人間なんですよ。自然な流れに身を任せます。
暮らしの優先度が上がって
働き方が少し変わったかもしれない
ーー最初のインタビューで、留学しようとしていたのに、「神山の前に進もうとするエネルギー」に惹かれてここに来たと話していましたね。あれから、自らそのエネルギーに火を注ぐように動いてきて、森山さんのなかで変わったことはありますか?
森山:んー、なんでしょうね?変わっていないかな、変わっているかな。日々日々、できることは増えているかもしれない。今日一日でチェーンソーを使えるようになったとか。
ーーひさしぶりにバスケやろうとしたらぎっくり腰になったりとか。
森山:あはは!それは、できなくなった方のことです。
ーーただ、人生のなかでこれだけ地域と関わって暮らすのははじめてですよね。
森山:たしかに。私の地元は地域のつながりがあまりない田舎だったので、そういう意味ではすごく新鮮ですね。うん、すごいなあ。
ーーもういろいろ「あたりまえ」になっちゃってわかんないのかもしれないですね。「野菜をもらう」とかも、今ではすっかり普通のことになったでしょうし。
森山:そう、あたりまえになっちゃっていて。たとえば料理するときも、以前なら「今日はこれをつくろう」と決めて材料を買いに行くのがあたりまえでした。今はその日に家の畑で採れるものやヒロさんが持って帰ってくるもの、手に入るもので「何をつくれるか」を考える。それも、変わったことかなと思います。
ーー「あるもので何をつくろうか?」という発想は、地域でのまちづくりの根幹にある気がしています。そこに関わる仕事のなかで、ものごとへの向き合い方が変わってきているのかもしれない?
森山:うんうん、そうですね。
ーー仕事では、あいかわらず「やってやるぜ!」みたいな勢いもあるようだけど。
森山:うーん、どうでしょう。この1年はそんな感じでもなかったなぁ。仕事については、まだまだ総括できるような自分の変化はないかもしれない。ただ、働き方みたいなところでいうと、これまでは「出したい成果のために自分のエネルギーや時間をすべて注ぐ」という感じだったけど、今はむしろ「限りある自分の時間のなかでどこまでいけるだろう?」と考えるようになったかもしれないですね。無理はしないというか。
ーーなんで無理しなくなったんでしょう。
森山:暮らしの優先度がちゃんと上がってきたました。結婚したこともあって、ちゃんとごはんをつくって、「おいしいね」って言ってふたりで食べるのが大事だと思うようになったので。それを我慢したり省いたりしてまで、仕事を進めようとは思わなくなりました。そこはけっこう違うかもなぁ。
ーー全然違うと思います(笑)。自然な流れのなかで、「振り返ったら変化が山の稜線のように見えてきた」という感じがしました。
◆
高台にある家のお庭から、広々した景色をながめながらお話を聞いていると、森山さんの人生の見晴らしの良さそのものみたいな気がしました。最後に森山さん、ずっとインタビューを受けてきてどうでしたか?
「面白かったです。意外なところから質問をされて『答えられない。どうしよう?』って、インタビューのあとにまた考えるみたいな。ちょっと落ち着いて対話の時間をもつというか、いつもと頭の使い方が違うのは、自分にとっては気持ちのいい時間でした。
ただ、今回は『「雛形」で伝えることって、仕事のことじゃないよな』と思って。
いつだったか杉本さんは、映画『この世界の片隅に』みたいに、国の大きな動きを暮らしのなかで受け止めて、ならしていく女性の営みを捉えてみたいって言っていましたよね。神山で仕事をするということは、地域の人に関わったり自分の暮らしをつくったり、いわゆる“仕事”じゃない要素の方が大きいから、今日はそこを話せたのが自分のなかではすごくうれしいです」
そうそう。神山で「仕事をする」ということは、「仕事じゃない要素のほうが大きい」というのは、みんなの話を聴きながらずっと感じていました。たとえば、みんなは「まちの人」という言葉をよく使うけれど、その言葉は自分と相手をわけるものではなくて、限りなく「WE」にちかい。「まちづくり」は自分たちの暮らしをつくることと同義だから、暮らしと仕事の間にまっすぐなラインを引いて分けることはできない。
そんなまちの風景に、森山さんの暮らしと仕事が自然に溶け込んでいる。この光景もやっぱり、5年前にはなかったものだと思うのです。森山さん、5年間ありがとうございました。次に会うときは「まどかちゃん」と呼んでみたい。そして、うわさの五右衛門風呂に入れてもらいたいと思います。
森山さんのこれまで
▼第1回目(2017.03.15)
「なんだろう? このまちの、前しか見ていないエネルギーは」
▼第2回目(2017.12.11)
「引っ越してきた子も通ってくる子も。神山で育つ子はみな“まちの子ども”です」
▼第3回目(2018.09.25)
「神山の高校で学んでほしい“場所を見る視力”って?」
▼第4回目(2019.06.03)
「移住4年目、“ここにいる理由”が言葉になってきた。」
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杉本恭子
すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、
京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。 人の話をありのままに聴くことから、 そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。 本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。 神山でのパートナー、フォトグラファー・ 生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。
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