ある視点

なんでも自分でつくる“田舎のおばあちゃん”を目指して。

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑

vol.35 なんでも自分でつくる“田舎のおばあちゃん”を目指して。

中野公未さん(〈Food Hub Project〉加工品担当)

今年3月、オープン3年目を迎えた、神山の地産地食プロジェクト「Food Hub Project」(以下、フードハブ)が運営する、食堂「かま屋」とパン・食品店「かまパン&ストア」。滞在時には、ごはんを食べたり、パンを買ったり、インタビューの場所として使わせてもらったり……と、すっかり「神山のホーム」になっています。そういえば、フードハブのメンバーの顔も、山の風景になじんできたなぁと思います。

今回は、「かま屋」に併設されている、加工場で働く中野公未さんにインタビュー。この3年間に築いてきた「暮らしの土台のこと」、そして、これから神山で「やりたいこと」についてお話を伺いました。

26歳のときに選んだ、
調理師という仕事

中野さんは、神奈川県・川崎市生まれ。21歳の頃から東京でひとり暮らしをはじめました。障がいのある子どもたちを対象とする「放課後余暇支援」の仕事をしていましたが、あるとき「今までと違う仕事をしよう」と決意。調理師を目指すことにしたそうです。

「何がやりたいかな?と考えて、『じゃあ、調理をやってみようかな』という感じだったのかな。当時住んでいた家の近くの産婦人科病院が、食事の盛り付けアルバイトを募集していたんです。親よりも年上の人たちがいっぱい働いているなかで、ゼロから教えてもらって、朝食や昼食を盛り付ける仕事をしていました。

そこで料理をつくっていた調理師さんがすごくいい人で、いろんなことを教えてくれたんですよね。働いているうちに、ちょっとずつ『料理って楽しいな』って思いはじめて。その調理師さんが『せっかくやるなら、学校に行ったほうがいいよ』と勧めてくれたので、盛り付けのアルバイトを続けながら、一年半かけて夜間の調理師学校に通いました。

調理師免許が取れたときに、病院のアルバイトをやめて。それからずっと居酒屋や定食屋などで調理の仕事をしていました」

季節感のわからない野菜を
提供することへの違和感

調理の仕事をするなかで、中野さんは自分が扱っている食材について、ふと疑問をもつようになったそう。「この野菜はどこから来たんだろう」「誰がどういう思いでつくって、今ここにあるんだろう」。毎日触れているのに、何も知らない野菜たちへの興味から、中野さんは「田舎に暮らしてみたい」という思いをもつようになります。

「調理の仕事をしていると、冬でも夏野菜のピーマンがあったり、夏でも冬野菜の大根があったりして。目の前にある、季節感がよくわからない野菜を、ひたすら切って料理して、流れ作業のようにお客さんに提供することに、ちょっとずつ違和感が出はじめたんですね。

私は、自分が扱っている野菜のことを何にも知らない。このまま東京で仕事をしていてももったいないなと思いました。東京が全てじゃないし、そもそも地方の人が集まったまちが東京なんじゃないかと気づいたというか。

本当に大事な原点みたいなものは、逆に地方のほうにあるんじゃないかと思ったりしてね。山の暮らし、海の暮らしを自分で体験してみたくなって、調理の仕事ができる移住先を探すようになりました。

二年くらい探していたのですが、ピンとくる場所がなかなかなくて。たまたま、『日本仕事百貨』でフードハブの記事を見たときに、はじめて『なんか面白そうだな』と思えたんです。ちょっとでも引っかかるものがあるならと、ダメ元で応募してみることにしました。

あのとき、フードハブのどこにひっかかるものを感じたんだろう? 今となっては思い出せないな。

“農業の会社だ”ということは書いてあったでしょうし、ここに行けば、農業もできるんじゃないか、自分が知りたかった、野菜のことをもっと身近に感じられるんじゃないかとは、思っていたでしょうね」

何にもないまちだけど、
きっと何とかなると思った

フードハブに応募した中野さんは、東京で予定されていた面接の前に、仕事を休んで神山を見学することにしました。夜行バスに乗って徳島駅へ。そして、徳島駅からさらにバスを乗り継いで神山へ……。中野さんは、はじめての神山をどう感じたのでしょうか。

「早朝に徳島駅について、眉山のあたりを散策してから、神山行きのバスに乗ったんですよ。何も決めていなかったから、とりあえず神山温泉に入ろうと思ったんですけど、着くのが早すぎたから温泉もまだ開いていなくて。周りをちょっと散歩して、近くの作業所でポン菓子をつくっていたおじいさんとしゃべってから、温泉に入りました。

神山、何にもないなぁと思いました。リサーチしていなかったので当たり前なんだけど、本当になんにもないなぁと思って帰ったんですよ。それだけ(笑)。

大丈夫かな?とは思いました。住むとしたら、車がないとダメなんだっていうのは感じたと思います。でも、『たぶん、なんとかなる』と思ったんでしょうね。国内だから、言葉が通じないわけじゃないしね。

1週間後くらいに、東京・代々木にある株式会社モノサス(*)で、フードハブ支配人の真鍋太一さんと、料理長の細井恵子さんとの面接がありました。ふたりとも、最初の威圧感がすごくて(笑)。『あー、大丈夫かな、私?』ってちょっと思いました。何をしゃべったかは覚えてないけど、おふたりの第一印象ははっきり覚えています。

神山に行った話をしたら、めっちゃびっくりされて。『言ってくれたらよかったのに!』って言われました。その後、神山で一泊の面接があって、採用が決まりました。その2カ月後の12月、神山に引っ越しました」

*株式会社フードハブ・プロジェクトは、神山町役場、神山つなぐ公社、株式会社モノサスが共同で立ち上げた。

まちの人と一緒に
まちの加工品をつくる

食堂「かま屋」が神山にオープンした頃は、料理人として厨房に立っていた中野さん。その後、フードハブに加工場が立ち上がったときに、地域の人たちと一緒に「加工品」を製造する仕事を担当することになりました。忙しかった3年前のオープニングの頃は、どうだったか覚えていますか?

「最初はずーっとバタバタしていましたね。かま屋はかま屋で大変だし、かまパンはかまパンで忙しいし、全体をまとめていく真鍋さんや細井さんはもっと大変だったと思います。『軌道に乗るまでは仕方ないな』っていう感じは、メンバー全員にあったと思います。

フードハブのメンバーは、みんなやりたいことに忠実だし、それに対してすごく努力をする人たちです。加工場にいるときに、かまパンの窓から大ちゃん(笹川大輔さん)がパンを焼いている姿が見えたりすると、『私もがんばろう』と思ったり、かま屋の店内を見て『みんながんばってるな』と励みになったりします。

それぞれが自分の立場で、今向き合うべき課題に取り組んでいる、そういうメンバーが一緒だから、大変なときもみんなでがんばって乗り越えられたのかなと思います。

その土地の季節にとれるものを、その土地に伝わる方法で料理して食べることを「土産土法」というそう。神山では、郷土料理と食文化の本『神山の味』を軸に、地域の人たちと一緒に、日常的に使えて、お土産にもなる商品を作っている。

オープンニングからしばらくは、かま屋の厨房に入っていたのですが、加工場が立ち上がったときに『地元の人たちと一緒に加工品を製造する仕事をやらない?』って声をかけられて、加工品のほうに移ることになりました。

製造に加え、各商品のスケジュールの調整、卸先とのやりとり、商品の梱包・発送まで全部含めて担当しています。『焼肉のたれ』や『ドレッシング』をつくったり、地元のお母さんたちにレシピを教えてもらって『生姜の佃煮』をつくったり。少しずつ商品は増えていますね。

阿波晩茶』をつくるときは、フードハブのメンバーや、地域のじいちゃんとばあちゃんに茶摘みを手伝ってもらったりしています。また、『カミヤマメイト』(*)は地元の生活改善グループのお母さんたちと一緒につくっています。そんな風に、フードハブの活動を通して地元の人を巻き込んで作業する事も多いですね。知らなかったことを教えてもらえるのもすごく楽しいです。

自分でやってみるまで、お茶を摘むことがこんなに大変だって知らなかったんです。その大変さをもっと知りたいし、自分の暮らしのなかにも取り入れていきたいと思います」

*「カミヤマメイト」は、昔、神山のある農家さんが作っていた、小麦に米ぬかを混ぜたおやつをヒントにつくられた、ショートブレッド風のお菓子。フードハブがつくる特別栽培米の米粉と米ぬかを混ぜてしっかり焼き上げられています。

なんで、そんなに「知りたい」んだろう?

フードハブで働きはじめて、生産者さんから野菜について直接教えてもらえるようになった中野さん。神山に来るきっかけになった「野菜のことをもっと知りたい」という気持ちはおさまるどころか、「もっともっと!」と深まっているようです。今、中野さんが「知りたい」と思っているのは、どんなことなのでしょう。

「フードハブには、メンバーが野菜をつくっている『つなぐ農園』がありますし、『里山の会』をはじめいろんな生産者さんも野菜を届けてくれます。そのときに、『こんな食べ方をしたらおいしいよ』と、いろいろ教えてもらうんですね。野菜をつくる人の顔が見えると、より大事に料理しようと思いますし、勉強にもなっています。

でもそれは、ただ顔が見える相手から引き取っているだけで。本当の意味での苦労とか、愛情のかけ方まではわかっていない。今は、家庭菜園をつくって、自分で土に触って野菜を育ててみたいなと思っています。そうすると、つくる人の苦労がよりいっそうわかると思いますから。

なんで、そこまで知りたいんだろう?

農家になりたいわけではないんですけど。

最終的な理想は、自分の食べるものを自分で育てること。たぶん、すごい時間がかかるんだろうけど、ずっとやりたいと思っていたんです。

昔の人は、自分で食べるものは自分でつくっていたじゃないですか。味噌や醤油も、自分の家でつくるのが当たり前でしたし、そういう暮らしをしたいと思ったんですよね。やれば何でもできるんじゃないかな。昔の人はやってきていたわけですから。

今の人ができないんじゃなくて、やっていないからできないだけだと思います。やろうと思えばできるんじゃないかな。東京から移住して環境を変えたかったのは、そのための第一歩でしかなくて、私のなかではまだ何もはじまっていないんです」

3年経って、やっと
暮らしの土台ができました

昨年、地元の男性と結婚した中野さん。仕事も家庭も落ち着いて、神山で暮らしていく「第一歩」を確実に踏み出しているようです。3年間の神山暮らしのなかで見えてきたであろう、「今、中野さんがやりたいこと」について聞いてみました。

「東京にいるときは、都会じゃないところに行きたいと思っていて。山の方に行くか、海の方に行くか、島に行くかとか、いろんな選択肢があるなかで、たまたま神山に来たわけですよね。今思えばですけど、山の方が自分のイメージに合っていた感覚はあります。たぶん、知らないうちに選択はしていたんでしょうね。

やっとこの3年間で、自分の住む場所や仕事が安定してきて、土台はできてきたけれど、まだはじまったばかりというか……まだ、はじまってもいなくて。やりたいことはこれからなんです。

今、加工品をつくるなかで、神山町の人たちといろんな関わりができているのですが、『仕事だからお茶をつくる』『仕事だから梅干しをつくる』ではなくて。自分の生活の一部として、四季のなかで梅干しやお茶、切り干し大根、味噌や醤油をつくることを組み込んでいきたいんです。

目指すところは、自分でなんでもつくれる田舎のおばあちゃん。40年後くらいには、そうなれてるといいな」

 

 

中野さん、とっても淡々とした語り口(しかも声がきれい)なので、うっかり聞きほれてしまうのですが、たまにハッとすることを言われるときがあって。インタビュアーとしては、「うっかり聞き逃してはならない」と、けっこうドキドキさせられていました。

でも、なんだろう?こうして、記事に起こしていると、中野さんが歩いてきた一本道が見えてくる気がするのです。きっと、いろんなことがあっただろうけど、「自分が決めたことだから」と、しゃんとして歩いて来たのだろうし、しゃんとしたおばあちゃんになるんだろうなぁ、なんて。

中野さんの40年後まで勝手に想像しながら、ふと「理想のおばあちゃん像」をもっているのは、すごくいいなぁと思いました。わたしはどんなおばあちゃんになりたいんだろう?

神山に来ることがあったら、かま屋に併設されている加工場をそっとのぞいてみてください。黙々と手を動かしている人がいたら、中野さんかもしれません。そして、かまパン&ストアで販売している加工品は、ぜひおみやげにどうぞ。おいしいですよ(勝手に宣伝)。

INFORMATION

パン・食品店「かまパン&ストア
場所:徳島県名西郡神山町神領北190-1
営業時間:9:00 〜 18:00
定休日:月、火曜日(月祝の場合営業)
電話:088-676-1077
http://foodhub.co.jp/eat/shop/

かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

(更新日:2020.04.02)

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