ある視点

町に住む5464人に宛てた“手書きのおたより”

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑

vol.14 町に住む5464人に宛てた“手書きのおたより”

赤尾苑香さん(「神山つなぐ公社」すまいづくり担当)

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半年ぶりの赤尾さんインタビューは、
神山町の民家改修プロジェクト第1号物件、
すみはじめ住宅「西分の家」で。

ショートヘアがお似合いの赤尾さん、
「午後は、庭の整備をするんですよ」と、
作業服と作業靴持参でアクティブに登場です。

今回、聞いてみたいことがひとつありました。
赤尾さんが、町の人全員に宛てて書いているという、
“手書きのおたより“の話。

まずはそこにボールを投げてみました。

町に住む全員に書いた「集合住宅だより」

2017年8月、赤尾さんは5464人(*)もの人に宛てて手紙を送りました。その名も「集合住宅だより」。もちろん、人生で最大規模です。(*2018年1月1日時点)

「集合住宅だより」は、神山町がつくっている「大埜地集合住宅」ついて、赤尾さんが絵も文章もすべて手書きで綴った「おたより」。まずは、みなさんも誌面をご覧ください。こんな感じ↓

「集合住宅だより No.1」では、前回のインタビューで話題になった「ガラ」が4コマ漫画のネタに!

「集合住宅だより No.1」では、前回のインタビューで話題になった「ガラ」が4コマ漫画のネタに!

小学生にも読めるようにと漢字はふりがな付き。誌面キャラクターの「アユミちゃん(注:鮎喰川の鮎から)」あり、図解イラストあり、4コマ漫画あり。手書きとはいえ、グリッドを意識した見やすいレイアウトは、さすがは設計図を引く建築士さんの仕事!

今、神山町では「まちを将来世代につなぐプロジェクト(創生戦略。通称「つなぷろ」)」をどんどん進めています。なかでも、国道から建設中の現場が見える大埜地集合住宅は、町の人たちの注目度が高い取り組みのひとつです。

ただ、注目はされてはいるものの、町の人には、「町が大きな工事をしている」という以上のことがなかなか伝わりません。役場の人たちがどんな思いで大埜地集合住宅をつくり、町の将来に願いをかけているのか、まっすぐ伝えるにはどうしたらいいだろう?

赤尾さんが出した答えは、写真付きのSNSでもメールでもなく、「手書きのおたより」でした。

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「建築工事はかたちがハッキリできていくし、大きなお金も動くし、工事がわーっと動きよるんは目に見えてわかる。けど、専門的なことが多いから、町の人からしたらわかりにくいことも多いだろうな、と思います。

私は、役場の人たちや設計者、職人さんたちがどういう気持ちを込めて、大埜地集合住宅に取り組んでいるのか、近くで感じてきていて。ものすごく町のことを考えてやってくれているのに、その気持ちが伝わらないせいで、町の人たちに「また、大きなお金を使って……」とだけ捉えられるのは、すごく悲しいなと思ったんです。

小学生のときに、大好きな先生が書いてくれた学級新聞をもらったときの気持ちを思い出します。

小学生のときに、大好きな先生が書いてくれた学級新聞をもらったときの気持ちを思い出します。

町の人に一番寄り添うにはどうしたらいいかな、どんな伝え方をしたら身近に感じてもらえるかなと思ったときに、自分なりに考えたのが“手書きのおたより”というかたちでした。気持ちの熱量の部分で伝えないと、伝わるものも伝わらないだろうなと思って。

『集合住宅だより』は月1回、全部で12通に渡って“贈る”予定です。

一通目を書いたときは、『読んだよー』『すごいわかりやすかったよ』と良い反応をいただいて。『わかりやすい』って言ってもらえるのがすごくうれしいです。建築の仕事のわかりづらさ、見えにくい部分を少しでもわかってもらえたら、それだけで私としては良かったと思っています。

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1月号は特大号!神領小学校の子どもたちの自筆投稿も掲載して一緒に発行したので、赤尾さん自ら教室まで“配達”しました!

1月号は特大号!神領小学校の子どもたちの自筆投稿も掲載して一緒に発行したので、赤尾さん自ら教室まで“配達”しました!

 

私自身は、「どういうことだったら読んでいて楽しいかな」とか考えながら、すごい楽しく書かせてもらっています。自分がプロジェクトの現場を通じて見たこと感じたことを載せながら、町のなかにどういう人がいて、どんな風に関わってくれているのか、外から見えてこない人の部分も載せていけたらなぁと思いますね」。

手紙の宛先にいる人たちへの
「そらそうやな」という共感

赤尾さんは、神山町で生まれ、ずっとこの町で暮らしてきました。
徳島市内に通学、通勤をすることはあっても、住まいはずっと神山町。
自分が生まれ育った町のことは、あまりにも身近で、引いて見るのが案外難しいもの。自分の町の動きを知る気持ちを起こすには、ちょっとしたきっかけが必要ではないかと思います。

赤尾さん自身の「きっかけ」は、つなぐ公社からのオファーを受けたときに訪れました。

「公社に来る前から、町のなかの動きについては、『何かやっているんだろうな』という変化は感じていましたけど、誰がどんなことをしているのか積極的に調べに行くことはしませんでした。この町に暮らしていることが普通で、あまりにも当たり前の日常だったから。

それと同じで、ここで生まれて育った人に、あたらしい町の動きについてなかなか共感や理解をしてもらえなくても、「そらそうだろうな」と思う部分もあって。多少さびしいところもありますが、うん。どっちもわかるんです。

私自身、ずっとあるものだろうと思っていた神山が、「人口がどんどん減って、どうなっていくかわからないところに来ている」と知ったとき、本当に素直な気持ちとして『神山がなくなるのはイヤやな』と思いました。ほっとくことはできん。『何か、自分にも力になれることがあるなら』という気持ちになったんですね。

在りし日の青雲寮。1970〜2005年まで、神山中学校の生徒たちが暮らす寄宿舎だった。

在りし日の青雲寮。1970〜2005年まで、神山中学校の生徒たちが暮らす寄宿舎だった。

大埜地集合住宅が建つのは神山中学校の元寄宿舎「青雲寮」の跡地。解体前に開かれた「さようなら青雲寮」には、約200名の元寮生がかけつけた。

大埜地集合住宅が建つのは神山中学校の元寄宿舎「青雲寮」の跡地。解体前に開かれた「さようなら青雲寮」には、約200名の元寮生がかけつけた。

赤尾さんが「集合住宅だより」で図解した、青雲寮を解体したガラ(再生砕石)の山。舗装、雨水トレンチなどに有効活用される。

赤尾さんが「集合住宅だより」で図解した、青雲寮を解体したガラ(再生砕石)の山。舗装、雨水トレンチなどに有効活用される。

今、つくっている『大埜地集合住宅』には、町を出て暮らしている神山出身の子育て世代にも帰ってきて住んでほしい。でも、今すぐには無理かもしれん、とも思っています。

この町でずっと生まれて育ってきたら、都会の便利さに憧れたり、山じゃないところに出て行ってみたいと思う気持ちもわからなくはないです。いろんな都合で出ていく人もいるし、そこは縛ることはできん。

今じゃなくても、いずれでもいいと私は思うんです。長い人生を経験するなかで神山を思い出して、『やっぱり神山がいいな』と思えるときに帰ってきてくれる人がおるのでもいいかもしれんな、と思うんですね。今は、都会の暮らしがいいと思っている人も、もともと持っている『神山が好き』という気持ちは変わっていないと思うから」。

この自然の大地に
かたちあるものをつくる責任

神山町の住まいづくりは、「将来世代に残す」ことを前提に計画されています。

100年後にも住み続けられるように設計し、神山の自然をできるだけ守るように町産材を使い、環境を壊さないように地域の植物で緑地をつくる——赤尾さんが書いている「集合住宅だより」には、こうした取り組みが一つひとつていねいに描かれています。

「集合住宅だより」の誌面を見ていると、赤尾さん自身の「すごい!」という声が聞こえてくる気がするときがあります。たとえば、4コマ漫画で「宝の山じょ!」と書いた、解体ガラ。赤尾さん自身が、本当に「宝の山じょ!」と思っているから、こんな風に書けるんじゃないかと思うのです。

1年半前、つなぐ公社に来る前には、赤尾さんは自らが伝え手となって「集合住宅だより」を発行するなんて、思ってもいませんでした。つなぐ公社のすまいづくり担当という仕事に、赤尾さん自身もいろんな影響を受けているようです。

2016年11月21日「つなぷろ発表会」で民家改修プロジェクトについて、町内の工務チーム(右から製材屋さん、中央、左は若手大工さん)とともに報告する赤尾さん。

2016年11月21日「つなぷろ発表会」で民家改修プロジェクトについて、町内の工務チーム(右から製材屋さん、中央、左は若手大工さん)とともに報告する赤尾さん。

「つなぐ公社に来てから、仕事に対する意識や向き合い方が180度変わりましたね。

以前は、家を一軒建てるときに、周辺の地域や景観以上に、山や川への影響までは考えていませんでした。本来は考えるべきところだったんでしょうけど、まだまだ自分の知識が足りていなかったところを一気に増強してもらった感じです。

今は、家を設計していくことがそもそも自分に向いているのか、自分がやっていいことなのかというところまで、振り出しに戻って考えています。ただ、向いているかどうかは別にして、相変わらず設計は好きだしやりたいと思いますけど。とくに、現場で職人さんとやりとりをして、あーだこーだ言いながら一緒につくっていく過程が好きなんです。

大埜地集合住宅の現場にて。右下のピンクのヘルメットが赤尾さんです。

大埜地集合住宅の現場にて。右下のピンクのヘルメットが赤尾さんです。

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すみはじめ住宅「西分の家」の改修中のようす。左下は完成した「西分の家」の共有サロン。

すみはじめ住宅「西分の家」の改修中のようす。左下は完成した「西分の家」の共有サロン。

私がつくってみたい家、ですか?
自分自身としては『どんな家を建てていきたい』というのは、正直ないですねぇ……。

去年の夏頃、視察先で出会った施主さんが『家を建てるのが申し訳なくなる。自然に対して、この場所に対して』と言われた、その言葉にすごく共感をして。この自然のなかに、イチから家を建てること自体に、何かしらの申し訳なさみたいなものがあるんですね。

どんどん空き家が増えていく時代ですよね。家は、人の暮らしに絶対に必要なものなんですけど、ちゃんと使われていかなかったらまた空き家になって、結局は自然を壊すことにつながっていくかもしれない。自然に還せない建材など、ゴミになってしまうかもしれないものをまた生み出して……。

私には『こんな家(作品)をつくりたい』という個人的な願望はないんです。自然の大地、この地球のなかに形を生み出していく責任はとても大きくて。『どんな家を建てたいか』よりも、『どういう風に家を建てていくのか』がすごい大事ですよね。

たとえば、神山で新しい家をつくるなら、山林の課題にも配慮して木材を選び建て方を考える。そして、そのやり方を共有できる人と一緒に作っていきたいと思っています」。

「赤尾さんの人生にとって、
今のこの時期は
やなぁ」

「できれば3年間」というゆるやかな約束のもと、つなぐ公社に参加してから1年半ちょっと。そろそろ、折り返し地点を通り過ぎつつあります。

学びが多かったということは、初めて経験することも多かったはず。苦労もあったのでは?と思うのですが、赤尾さんはいつ会っても「本当に楽しいんです!」ときらきらの笑顔で答えてくれます。

「つなぐ公社に来てから、本当にいろんな人に出会わせてもらったと思っていて。町のなかの人にも、外の人にも」。

出会った人について話しはじめた赤尾さんは、まるで大切な宝ものが入っている箱を開けて見せてくれるようでもありました。

すまいづくりプロジェクトを共にする設計チームのみなさん。

すまいづくりプロジェクトを共にする設計チームのみなさん。

集合住宅づくりを担当する仲間たち。(左からつなぐ公社の高田友美さん、神山町役場の馬場達郎さん、赤尾さん、神山町役場の北山敬典さん)

集合住宅づくりを担当する仲間たち。(左からつなぐ公社の高田友美さん、神山町役場の馬場達郎さん、赤尾さん、神山町役場の北山敬典さん)

「ほんまに、ありがたいんですよね。こんな経験をさせてもらえているのが。つなぐ公社の人たちもそうだし、役場の人たちも、大工さんたちも、高校生たちも、ランドスケープデザイナーの田瀬理夫さん、建築家の山田貴弘さんはじめ、町の外からチームに参画してくれている人たちも。町のいろんなところで知り合う人たちのみんなからすごい影響をもらっています。

ほんとにもう、常々思いますけど。
感謝でしかないんですよね。

私が独立してすぐに参加させてもらった、設計事務所と工務店さんの集まりがあってね。みなさん、私がつなぐ公社に来てからもずっと応援してくれていて、つい先日も『赤尾さん、今は神山でどんなことしよん?』って神山に来てくれました。

いろんな取り組みについて話していたら、『ほんまに、赤尾さんの人生にとってここは宝、今の時期は宝ものやなぁ』って言ってくれて。もう、まさにその通りやと思うんですね。この先、自分の人生を歩んでいって立ち返ったら、ほんまにいい時間を過ごして、いい経験をさせてもらったと思うんでしょうね。

いい人たちに囲まれて、とにかく今は本当に楽しいんですよね。もちろん、なかにはしんどいこともありますけど、トータルしてすごく充実した時間を過ごしていて。でも、自分がそういう経験ができているのって、やっぱり周りにそれだけ本当に素敵な人たちがいて、そういうお仕事ができる時間があるからだと思うので。

自分の人生ではありますけれど、その人生は周りの人たちあってこそ。今、そういう人たちと出会えている人生がありがたいなと思うんですね」。

インタビュー後、西分の家の庭の片付けを始めた赤尾さん。このあとつなぐ公社代表理事・杼谷学さんも現れて一緒に作業をしていました。

インタビュー後、西分の家の庭の片付けを始めた赤尾さん。このあとつなぐ公社代表理事・杼谷学さんも現れて一緒に作業をしていました。

1年半後は、集合住宅に2期目の入居者が引っ越してくる頃。各地区の民家を改修してつくる『すみはじめ住宅』も増えているだろうと思います。3年が過ぎたとき、関わり方は変わるかもしれないけれど、「町には関わっていきたい」と赤尾さんは言います。

「最初のインタビューのとき、『私はすごく家族が好きで、その家族がいるのが、たまたまこの土地だったから神山が好き』って言いましたけど、でもやっぱりこの町やったんやなぁというのはあると思います」。

誰にとっても、故郷って「たまたまそこに自分の家族がいて、生まれ育った土地」なのだと思います。自分が好きだと思う故郷の町で、自分が関わっている町の仕事について、町の人たちにお手紙を書いている赤尾さんのこと、ちょっとうらやましく思いました。

毎回、4コマ漫画のオチに苦労しているという赤尾さん。
次の号ではどんなオチをつくるのでしょうか。

私も“おたより”を楽しみに待っています。

 

赤尾さんのこれまで

▼第一回目(2016.12.15)
「家は、住む人たちと共に生きて、ふるさとの風景になる」

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▼第二回目(2017.06.19)
「鮎が川に帰るには? あたらしい集合住宅づくりの話」
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かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

(更新日:2018.02.08)

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