COLUMN
かみやまの娘たち

ここ徳島県・神山町は、多様な人が
すまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

 

この町に移り住んできた、還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

 

あるいは、地方創生という国の大きな流れは
一人ひとりの人生の細部にどんな影響を及ぼしている?

 

彼女たちが出会う人・景色・言葉を辿りながら、
めいめいの変化と、神山町で起きていることを追いかけていきます。

 

冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

 

 

写真・生津勝隆 文・杉本恭子 イラスト・山口洋佑

vol.05 「ここなら、経験してきたことをすべて生かせると思えた」

INTERVIEW しごとづくり担当・高田友美さん

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高田友美さんは2016年春、「神山つなぐ公社(以下、つなぐ公社)」で働くことを決めて、滋賀県から神山町に引っ越しました。担当は「しごとづくり」ですが、今はそこにとどまらず「人々が集まって住むことで、よりうれしいことや、活動が生まれやすい拠点づくり」をテーマにした集合住宅のコミュニティづくり等に取り組んでいます。

 

学生時代にはイギリス、社会人になってからはスウェーデンに留学、アジア・アフリカ諸国でフィールドワークを行うなど、海外経験も豊富。10年間住んだ滋賀県では、エコヴィレッジづくりに取り組んだ後、滋賀大学で先生もしていたそう。

 

一回目のインタビューでは、「高田さんが神山にくるまでのこと」をうかがいながら、神山でのお仕事につながる道をたどってみたいと思います。

 

* 「かみやまの娘たち」では、神山つなぐ公社の4人の女性に最大6回のインタビューを行う予定。

 

今のままいられるなら、
やりたいことを最大限にやろう

棚田のある坂を上がって高田さんの家を訪ねたのは、よく晴れた冬の土曜日の朝でした。陽当たりのいい居間の、明るい窓から見えるのはすだちの木。隣の部屋にはピアノとギターが、キッチンにはゆず茶を漬けた瓶もあって、忙しい日々の合間にも高田さんがひとりの時間を楽しんでいる気配を感じます。

 

インタビューの趣旨を伝えると、「最終的に、何でここにいるのかって言うと、“ご縁”とか“うっかり”とか“直感”とか。まあ、“うっかり”が最大のところかもしれない。」と、高田さん。この「うっかり」には、「目の前にやってきたチャンスに身を委ねてみる」というニュアンスが多分に感じられます。

 

高田さんを神山に連れてきた旅の出発地は、静岡県の浜松市。「ヤマハ株式会社」が本拠地を置くまちで、自然と音楽に囲まれた少女時代を送っていたそう。

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「家の周りには田んぼがたくさんあって、小さいころは畦道や用水路、雑木林で遊んでいました。小学校では器楽部、中学校では合唱部に入っていて。ピアノは私が弾いていたものですが、ギターは父のもの。父も音楽が好きだったんだろうな、家にはいつも音楽がかかっていたから。

 

学生時代は神戸で過ごしました。みんな東京の大学に行くけれど、私は神戸っておしゃれでいいなと思ったんです。正規の交換留学プログラムがあって、自分が何をやりたいのかを探れそうな大学に行きたくて、神戸大学の国際文化学部に入りました」

大学時代、アカペラサークルでも歌っていました(中央)。学祭のステージにて。

大学時代、アカペラサークルでも歌っていました(中央)。学祭のステージにて。

 

「高校生まではいわゆる優等生でおとなしかったし、大学に入った頃も、『何をしたらいいのかな?』みたいな感じでした。最初に入ったサークルは競技ダンス部。先輩たちが本当に美しくてかっこよかったんです。

 

だけど、練習をしていると高校生のときに痛めた靭帯がどんどん悪くなって。秋のお彼岸の頃だったかな。みんなは試合前の練習をがんばっているのに、私は参加できないのもあって、ちょっと実家に帰ったんです。そしたら、そのタイミングで父が心筋梗塞を起こして亡くなってしまった。何の前触れもない、突然のできごとでした。

 

ずどーんと沈んだまま後期の授業が始まり、友だちにも父の死を伝えられないままで、しばらくはどん底でした。家計的には、一人暮らしで大学に行かせるのは厳しかったのかもしれないけれど、母は「やりたいことを好きなところでやりなさい」と言ってくれて。そうなったとき、試しに年間授業料を1時間の授業で割ってみたら、意外と高いんですね。

 

今までは『大学の授業もあんまり面白いものがないなー。でもまぁ、必要な単位とって、ちゃんと卒業しよう』ぐらいに思っていたけど、この状況で大学に通い続けるなら、やりたかったことを最大限やらないといけないと思いました。そのあたりから、自分の動き方や人とのつながり方も変わっていった気がします」

 

交換留学でイギリスへ。
“環境”をキーワードに行動を起こす

 

高田さんは、神戸大学の交換留学プログラムに合格。3年生の夏から1年間を英・シェフィールド大学で過ごすことになりました。留学するにあたって、「イギリスで何をやりたかったんだろう?」と改めて考えたとき、手がかりにしたのは「環境保全」というキーワード。

 

イギリスに関する本をはじめ、気になる分野の本を読むなかで、市民が主体となって地域の自然環境や文化の保全に取り組む動きがあることを知り、興味を持ったのです。

 

たとえば、歴史的に意味のある土地や文化遺産を国民の遺産として守るために、市民が設立した「ナショナル・トラスト」。「ピーター・ラビット」の作者として知られる、ビアトリクス・ポターも、この「ナショナル・トラスト」の有力な支援者でした。「イギリスに行ったら市民発で環境に関わる動きをもっと知りたい」と、高田さんはさっそく行動を起こします。

 

「まずは神戸にいる間に、自分が「環境保全」の中でどんなことに興味があるのかを探ることにしました。近くで環境系の活動をしている人の連絡先を探してメールを送ってみたら、意外とリアクションがあって。初めて会った人にかかわらず、すごい親身になって相談に乗ってもらえたし、自分の興味の方向性も見えてきました。

 

出発直前の6月頃には、全国の学生たちで環境問題の解決に取り組む、NPO法人エコリーグの人に出会って。全国から学生が集まるギャザリングに誘われて顔を出したら、同じ大学生でもすごい活動している人たちがいるんです。『学生にできることは限られている』と思いこんでいたけれど、『私もイギリスでいろいろできるはずだ』と思えました。

 

留学前は、私自身もはてしなく不安だったんです、でも、一歩踏み出せばなんとかなるし、できることが増えていくとわかってきて。日本で予行演習をして、イギリスでもがんばってみたという感じです」

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イギリスで参加していた自然保護ボランティアの大学生グループと(後列右から二人目が高田さん)

 

「シェフィールド大学では、“環境”に関連するものを中心に、ちょっとでも関心がありそうな授業はすべて受講。週末は、大学や地元の自然保護活動グループで、周辺の自然保護区などへ出かけ、森の手入れや石垣の修復などの作業にも参加しました。

 

最初は、車がないと行きづらい、郊外の自然の中に出かけられるだけでもうれしかった。でも、続けるうちに、地元の人たちとボランティア仲間として一緒に活動できることや、好きになった地域のために自分も役に立っている手応えがあるのはすごく素敵だな、と思うようになりました。

 

このときの経験が、今神山で熱心に取り組んでいることの原点にもなっているのかもしれません」

 

ケニア、ザンビア、ベトナム、インド。
世界中の地域の“現場”に関わる

 

もうひとつ、高田さんがイギリスで出会った重要なキーワードは「フェアトレード」。途上国で作られた作物や製品を、適正価格で取引を継続することによって、生産者のコミュニティをサポートしようとするしくみです。高田さんはさっそく、当時はまだ日本に少なかったフェアトレードを取り扱うチャリティショップを見つけて、扉を叩きました。

 

フェアトレードのしくみを知るにつれて、高田さんは途上国側で起きていることにも興味をもち始めます。この経験が、大学院に進学して「国際協力×環境」というテーマを深めていくきっかけになりました。

 

「とはいえ、途上国に行ったこともないのに、その分野に進むかどうかは決断できないと思って。帰国直前に旅行したケニアで偶然出会ったのが、『地球環境報告(岩波新書)』の著者で、後に私の指導教官になった石弘之先生でした」

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石弘之先生とザンビアにて。

「『悩んでいるなら、うちの大学も受けてみたらどうだ?』と言われて、東京の大学院を受験。国際環境協力を専攻することになりました。

 

ただ、入学後半年で、石先生は在ザンビア特命全権大使になられて。大学では石先生の弟子にあたる厳しい先生の指導を受け、ザンビアに通って石先生にも叱咤激励されながら、修論に向けた調査を行いました」

ザンビアのマーケットの横で家具をつくったりカゴを編んだりしている人たちと。

ザンビアのマーケットの横で家具をつくったりカゴを編んだりしている人たちと。

ザンビアのマーケットにて。写真は豆ですが「芋虫食べたことありますよ」と高田さん。

ザンビアのマーケットにて。写真は豆ですが「芋虫食べたことありますよ」と高田さん。

大学院のゼミツアーで訪れたベトナムで。ベトナム戦争時にゲリラ側が隠れた地下の秘密基地の入り口に入る高田さん。

大学院のゼミツアーで訪れたベトナムで。ベトナム戦争時にゲリラ側が隠れた地下の秘密基地の入り口からひょっこり。

「ザンビアでは、JICAが取り組んでいた「孤立地域参加型村落開発計画プロジェクト 」を対象に調査させてもらっていました。私が興味を持っていたのは、貧困層といわれる人たちが自分たちで意思決定をして力を得て、地元のものを生かして自分たちの暮らしやコミュニティを成り立たせていくこと。地域・コミュニティの可能性を模索するプロセスにある“現場”に関わりたくて、2年間の大学院生活を送ったという感じです」

滋賀という片田舎で、
世界とつながりながら仕事をしたい

就職にあたって、高田さんが重視したのは、途上国で関わったような“現場”にいられること。でも、たとえアフリカで事業をしている商社に入社しても、大規模プラント開発などの事業が多く、女性が現地に派遣される可能性は低そうだし、そもそもやりたい仕事とも違う。JICAなどの国際協力機関に入れたとしても、国内のオフィスでプロジェクトの調整や評価の仕事をするのもちょっと違う気がする。

 

悩む高田さんのもとに、『リクナビ』経由で舞い込んだのが、滋賀県・近江八幡市の土木建設会社 株式会社秋村組からのメッセージ。まったく想定外の業種の企業です。

新入社員の皆で手作りした秋村組の入社式。私が書いた入社時の抱負はガンジーの言葉より「Be the Change.that you want to see in the world.

新入社員の皆で手作りした秋村組の入社式。高田さんが書いた入社時の抱負はガンジーの言葉より「Be the Change.that you want to see in the world.

「当時、秋村組は、持続可能なまちづくりに挑戦しようとしていました。アドバイザーには、持続可能な企業経営を支援する、「株式会社イースクエア」のピーター・D・ピーダーセンさんも入っていて。滋賀という片田舎でも、世界の面白い人たちとつながりながら、住民が主体的に動く持続可能なコミュニティ開発をしようとしていたんですね。「ここなら、面白いことができそうだな」と思えて入社を決めました。

 

ところが、入社一年目はスウェーデンに留学することになったんです。

 

ちょうど、The Natural Stepという国際的な環境NGOが、ブレキンゲ工科大学と共同でつくった10ヶ月間の実践型修士プログラムが始まるときでした。入社直前に、社長に『受けてみたらどうや?』と言われて悩んだのですが、ためしに申込んでみたら本当に合格通知がきてしまった。

 

スウェーデンでは、“持続可能な開発”について学びつつ、エコ村づくりについて英語での情報発信やキーパーソンとのネットワークづくりに励みました。社長は、世界の最新の知見を、滋賀でのまちづくりに持ち込みたいと考えていたんだと思います」

 

クラスメートは「6大陸30カ国から集まってきた年齢も分野も異なる人たち」。休みの日はに一緒にシーカヤックに出かけることも。

クラスメートは「6大陸30カ国から集まってきた年齢も分野も異なる人たち」。休みの日はに一緒にシーカヤックに出かけることも。

インドのエコビレッジ「Auroville」に行き、コアメンバーの皆さんと意見交換したことも。

インドのエコビレッジ「Auroville」に行き、コアメンバーの皆さんと意見交換。

「滋賀に引っ越したのは、帰国して1年が経った頃。秋村組から分社した『地球の芽』という会社で、『小舟木エコ村プロジェクト』を5年間担当しました。入居希望者と一緒に『小舟木エコ村でどんな暮らしを実現したい?』と考えたり、まちの自治会を立ち上げて地元の自治連合会との調整をしたり、地域の企業経営者の皆さんと“持続可能な滋賀”について考える研究会のコーディネートをしたり、本当にもう全方位でがんばっていました。

 

また、エコ村のすべての区画に菜園を設けて、『農のある暮らし』『自産自消』にもチャレンジ。スタッフ自ら農業に取り組み、エコ村の畑づくりを応援するために『NPO法人百菜劇場』も立ち上げました」

「百菜劇場」は、高田さんともうひとりのスタッフの「ミスチル好きが高じて」apbankの融資を受けることに。「ap bank fes」にも出店。

「百菜劇場」は、高田さんともうひとりのスタッフの「ミスチル好きが高じて」apbankの融資を受けることに。「ap bank fes」にも出店。

「こういうプロジェクトって、何をもって成功というのかわからないところもあるし、今ならもっとたくさんできることがあると思う。それでも、住みはじめた人たちが思いを受け継いで、育んでいることもたくさんあるのは感じています。

 

『小舟木エコ村』への入居が始まってしばらく経ち、関わっていた仕事が一段落したあたりで、私や同僚の何人かは会社を離れることにしました。先は決めていなかったけど、変わるなら今のタイミングかなと思って」

 

「3DAYSミーティング」で見つけた
あたらしい“現場”へ

その後は、滋賀大学の先生に誘われて、特任教員として学生の就業力育成支援に関わることになった高田さん。「大学生活の早い段階で、一歩踏み出すきっかけをつかんでもらいたい」「自分が学生のとき、どんな人に出会っていたら面白かっただろう?」という目線で、地域や企業と学生の関係づくりのコーディネートをしていたそうです。

2015年、学生たちと一緒にシアトルへ。現地提携企業やNPO等で社会起業を学ぶ「iLEAP」のプログラムに参加。

2015年、学生たちと一緒にシアトルへ。現地提携企業やNPO等で社会起業を学ぶ「iLEAP」のプログラムに参加。

しかし、学生は半期の授業が終ると入れ替わってしまい、「もう少し成長を見守りたい」と思っても姿が見えなくなります。そのことに消耗する自分を感じて、高田さんは5年間の契約期間の終了とともに新しい仕事を探すことにしました。

 

10年暮らして、好きな場所も人もいっぱいできた滋賀は、高田さんにとって第二の故郷になりつつありました。滋賀で次の仕事を探す一方で、全国のさまざまな地域のプロジェクトにも視野を広げるなかで、徳島県のある地域を訪ねる機会が訪れます。

 

「そういえば、同じ徳島の神山町には西村佳哲さんがいる」。西村さんの肩書きのひとつは働き方研究家。「そうだ、仕事に悩んだら西村さんだ!」と連絡をとってみました。

 

 

「ちょうど、前年の夏にも滋賀でお会いしていたので、その後の近況報告を兼ねて今のもやもやについて相談に乗ってもらえたらラッキーだな、というくらいの気持ちでした。でも、アポを取りかけてから『いやいや、一対一で会うのはけっこう緊張するなあ』と思いはじめて。ちょうど『神山はいま、3DAYSミーティング 2/26-2/28(以下、3DAYS)』があることを知り、そういう場のなかで相談できたらと参加させてもらったんです。

 

『つなぐ公社』というものが動いていて、スタッフを募集していることもまったく知らずに参加したけれど、神山町の将来ビジョンや集合住宅の計画にすごく心くすぐられて。最終日のアンケートに『募集職種の広報とは違うけれど、つなぐ公社の仕事に興味があります』と書いて帰りました。すると、後日西村さんから『一緒にいろいろやれそうな気もするし、もう一度3月に改めて来てもらってお互いに可能性を探ってみませんか』とメールがきて。

 

滋賀でまちづくりをしていたとき、民間側の思いが行政側の担当者の理解を得られなくて、もどかしい思いをいっぱいしました。

 

でも、神山は民間と行政が一緒にやろうとしているし、『3DAYS』では、地元側でがんばる人たちの顔も見えた。この人たちと一緒にやれるなら、という思いもありました。正直、神山は有名になりすぎている感じもあったので、そんなに興味はなかった。今、神山にいるのは、『滋賀を離れるのなら、もうどこに行ってもよいかな』と思いはじめていたなかで、『自分をちゃんと生かせそうだな、ここなら』と思えたからだと思います」

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インタビューの最後に、高田さんは「だからね、やっぱり偶然じゃなくて、うっかりなんですかねえ」と笑顔を見せました。

 

でも、私には「高田さんが今、神山にいる」ということが、とてもしっくりくるのです。神山はまさに、「地元の人が、自ら意思決定をして力を得て、地元のものを生かしながら自分たちの暮らしやコミュニティを成り立たせていく“現場”」。

 

そして、「つなぐ公社」がしていることは、徳島の山間部のまち・神山で、まさに世界とつながりながら将来世代につなぐための仕事です。そのスケール感や方法論は、高田さんにぴったりだという気がしてくるのです。

 

高田さんはこれから、これまでの経験のすべてを生かして、神山という“現場”に取り組んでいくのだと思います。半年後のインタビューでは、高田さんが今、神山でしている仕事のことを、具体的に伺いたいと思います。

 

 

かみやまの娘たち
神山つなぐ公社

2016年に策定された創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」の実現に向けて設立された一般社団法人。連載「かみやまの娘たち」では、つなぐ公社で働く女性たちを中心に、神山で生きる女性たちをインタビュー。記事制作は、神山在住のフォトグラファー・生津勝隆と、京都在住のライター・杉本恭子が担当しています。

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