ある視点

「働く」と「暮らす」がだんだん混ざりあってくる。

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑

vol.33 「働く」と「暮らす」がだんだん混ざりあってくる。

荒木三紗子さん(「神山つなぐ公社」ひとづくり担当)

2019年4月、「まちを将来世代につなぐプロジェクト」を推進する、神山つなぐ公社に参画した荒木三紗子さん。

みんなからは、名前の「三」の字をとって「さんちゃん」と呼ばれています。佇まいはキリッと凛々しいのですが、ふとした瞬間にはじける笑顔がとても柔らかくてあかるい。硬軟両面を併せ持つ人、という印象があります。

荒木さんは、2019年春に開寮した城西高校神山校の寮「あゆハウス」のハウスマスターをしています。初めてのインタビューは、「あゆハウス」にお邪魔してお話を聞かせていただきました。

自分たちが動かないと、
この社会は良くならない

荒木さんは香川県生まれ、埼玉県育ち。幼いころから、祖父母の家がある香川に遊びに来ていて「四国には親しみがあった」と言います。

地元・埼玉の高校に進学し、大学は早稲田大学へ。社会科学部を選んだのは、高校生のとき特に世界史が好きで、平和学や発展途上国への支援に関心をもち、より深く学んでみようと思ったからです。

「大学では、入学してすぐにカンボジアの教育支援を行う学生団体『国際協力NGO風の会』に参加しました。カンボジアの孤児院や小中学校に行って、直接子どもたちへ体験教育プログラムを届けたり、現地の方々と連携して参加型の教室をつくったり。現場で子どもたちと関わって、試行錯誤しながら学びの場をつくっていくことがすごい楽しくて。一、二年生の春休みは、それぞれ数週間ずつ現地へ行って活動をしていました。

そういうことをしていると、大学で遠い国の政治や国際関係の授業を受けているよりも、自分で体を動かして人と話して感じるほうがよっぽど学びがあるなぁと思って。

そんなときに、たまたま出会ったのが『コミュニティ・デザイン』のゼミ。まちに出てフィールドワークをして、住民の人と対話しながらイベントなどをつくっていくと聞いて、『あ、こっちのほうが向いてるな』と思ったんですよ。

私が大学に入学したのは東日本大震災の翌年で、ちょうどコミュニティ・デザインが注目されはじめていました。周りには、震災支援に行く学生もいましたし、『自分たちが動かないと社会は良くならないんじゃないか』と感じている同世代の子たちが多かったし、私もそうだったんです」

やりたいことを仕事にする
大人たちに出会って

ゼミでのフィールドワークでは、世田谷のまちづくりに参加していた荒木さん。「地域×子ども」というテーマで、アートイベントの企画などに取り組みますが、「学生だから人件費が無料だったり、補助金に頼ってしまったり、世代が変わるとプロジェクトが続かない」という持続可能ではない状況を目の当たりにして、疑問を感じるようになります。

そこで、「まちづくりを事業にしている人の元で働いてみたい」と自ら探して、熱海のまちづくりに取り組む「NPO法人atamista」でのインターンをはじめることにしました。大学3年生の夏から7か月間、週5日は熱海に住み込み、そこから大学に通っていたそうです。

「海辺のあたみマルシェ」にて。前列左が荒木さん。(写真:ご本人提供)

「コミュニティ・デザインを学んで、日本のなかにもたくさんの課題があることに気づきました。埼玉で暮らしていると、周辺はタワーマンションの開発が盛んで近所の人との人間関係は希薄になっていくし、香川に帰るとにぎやかだったまちがシャッター商店街になっていくのがさびしかったし。『これってなんかおかしいよな』ということがけっこう積もっていて。

都市と地方のどちらにも馴染みがある私だからこそ、何かできることがあるんじゃないかと思いはじめていたんです。そんなとき、事業を通じてまちの課題に取り組んでいるatamistaの代表と話して、『この人のもとで働いてみたい』と思って行ったんですね。

熱海はもともと自営業の人が多いまちということもあるのかもしれないけど、自分がやりたいことを仕事にしている熱い大人たちが多くて。それがけっこう衝撃的だったんです。

熱海では、『海辺のあたみマルシェ』というクラフト&ファーマーズマーケットの運営をメインで担当していました。2か月に一回、熱海銀座商店街などのストリートを歩行者天国にして、伊豆半島で活動するクラフト作家さんや農家さんに出店してもらっていました。

熱海の仲間たちと一緒に。(写真:ご本人提供)

マルシェの出店者には、自分の好きなことを仕事にしていて、生き生きしながら私に話しかけたり、教えてくれたりする人が多くて。『こんな生き方もあるんだ』っていうことを気づいたのは大きなできごとでした。

というのも、親からは『いい大学に入って、いい会社に勤めて、ちゃんとお金を貯めて結婚して子供を産む』という生き方を、小さい頃から言われていたんです。でも、どこかで『それは違うんじゃないかな。もっと他に何かあるんじゃない?』ってずっと思っていたんですよね。

熱海に行って、まちの課題に取り組みながら、自分の好きなことや得意なことを仕事にしている大人たちに出会って『あ、こっちのほうがいいなぁ』と、やっと思うことができました」

大きな組織で働いてみて
わかったこととは?

熱海での活動を通して「いずれは、まちという単位のなかで自分のやりたいことを仕事にしよう」という思いを持った荒木さんでしたが、就職活動では「一度は大きな組織で働いてみる」ことにチャレンジします。

不動産再生を通じてエリアの価値を高めていった、熱海の事例を通して興味を持っていた不動産業界を志望。独立行政法人都市再生機構(以下、UR都市機構)で働きはじめます。

「熱海でさまざまな経験をしている大人と出会い、その人たちと比べて、自分の実力不足と視野の狭さを痛感しました。新卒では大きな組織で働いて、また違った視点の人たちと仕事をすることで、自分がどういう風に思うのかなということを知りたかったんです。

UR都市機構は、高度経済成長期に国の政策により、数多くの住宅を供給してきた組織。時代の流れにより、新規で住宅を建てることをやめてから、建物の老朽化や少子高齢化、コミュニティの希薄化など、さまざまな課題に向き合っていることに興味を感じていました。

希望したのは西日本支社。人口が減って空室率が高くなっているエリアで、逆境のなかで新しいプロジェクトが複数生まれている点に魅力を感じていました。最後の一年間は、ずっと希望していた大阪の北摂地域のUR団地のPR業務を担当しました。

 

50年以上住み続けている人がいるほど、築年数が長い北摂地域の千里ニュータウンなどの団地は、普通修繕をするだけでは入居者が入らないこともあります。そこで、間取りや水回りを改善をしたり、アクセントクロスを貼るなど部屋をリノベーションして、いろんな媒体を使ってPRをしていました。また、子育て世代や若者に団地の魅力を伝えるため、集会所でイベントを実施したり、居住者の暮らしや地域のお店、コミュニティ活動を発信したりしていました。

新しい挑戦をするたびにいろんな壁にぶつかって、結局わかったことは、私がやりたいようなことは大きな組織ではできないということでした。『予定調和』『出る杭は打たれる』みたいな状況の中で、こんなもんだろうと自分を押さえ込む場面も多くありました。

それと同時に、大きな組織で多くの経験を積ませてもらった分、自分はどんなときに嬉しいのか・苦しいのかという自分の感覚が研ぎ澄まされたようにも思います。この3年間、実家を離れて、さまざまな人と出会ったことで、自分にとって大切なものは何か、どんな働き方をしたいのかを考える時間を沢山持つことができました。

職場へ『3年という区切りで、退職します』と伝えた翌日に、タイミングよく、神山つなぐ公社の梅田學さんから連絡があったんです」

神山のごはんに胃袋をつかまれて

荒木さんがはじめて神山を訪れたのは、まだUR都市機構で働いていたとき。同僚との四国旅行の道中に、「WEEK神山に泊まってみたい」と足を伸ばしたそうです。まさか、その数年後にそこに住んで、仕事をするなんてことは思ってもみなかったことでしょう。

インタビューのあと、鮎喰川の河原で一緒にお弁当を食べました。

「神山のことは、まちづくりをする人たちから耳に入ってはいたけど具体的には知らなくて。ほんとに観光で来た感じでした。

神山の第一印象ですか? いやぁもう、『かま屋』で食べた夜ごはんのおいしさに感動して、まずは胃袋を掴まれた感じです(笑)。あと、鮎喰川と山の風景がいいなぁと思って、すごいしっくりきたんですよ。

その次は、2018年3月に神山つなぐ公社のひとづくり担当を募集するために開かれた3days meetingです。Facebookで『日本仕事百貨』に『いいね!』をしていたから情報が入ってきたんじゃないかな。

大学のゼミでも『子どもと地域』という文脈でフィールドワークをしていて、子どもたちはどういう風にまちに愛着をもつようになるのかに関心があったんです。やっぱり、まちづくりをやっていくなかで、まちづくり=ひとづくりだなと思っていたので、神山町の創生戦略『まちを将来世代につなぐプロジェクト』にすごい共感したんですよね。このまちの方向性と一緒に教育に取り組めたら素敵だなと思って参加しました。

3days meetingでひととおり神山つなぐ公社の人たちと会って、心地よくお仕事できる人たちだと感じました。でも、そのときはタイミングが合わなくて。今回、改めて梅田さんに声をかけてもらい、その後に神山に来たときに、代表の家でもてなしてもらって、酔っ払った秋山千草さんと話して『この人はいい人だなぁ!』って惚れて来ました。

秋山さんとは、話せば話すほど感じている課題感や価値観がすごく似ていたので、一緒にやっていけるなって思ったんです」

 

自分たちの暮らしを自分たちでつくる
高校生の寮「あゆハウス」

神山に移り住んだ荒木さんは、「あゆハウス」のハウスマスターとして、高校生たちと一緒に寮の暮らしをつくりはじめました。初めて経験する「学生寮のハウスマスター」という仕事は「トライアンドエラーの連続だった」そうです。

でも、5人の生徒たちを預かるという責任を、小さなからだでひょいと背負いあげて、荒木さんは力強く歩いています。

元教職員住宅を活用している学生寮「あゆハウス」。現在は、5人の高校生が暮らしています。

「『あゆハウス』がはじまったとき、高校生には『ここの暮らしはみんなでつくっていくものだから、ルールはそんなにないよ。共同生活をする中で必要なことはみんなで話し合って決めていこう』と話しました。

たとえば、今は食事時間を決めているんですけど、最初はまったくなくて。話し合っていくなかで、『朝食はこの時間につくらないと学校に間に合わない』とみんなで気づいたから決めたんですよね。自分たちで考えて自分たちで行動できるようになってほしいと思うから、起床・消灯時間もあらかじめ決めたりはしませんでした。

暮らしのルールはみんなで話し合いながら決めています。

キッチンの小さなコミュニケーションの一コマ。

一度決めたルールも『やっぱり違うと思う』という寮生が出てきたら、一つひとつ話し合いながら、みんなが納得する方法で進めています。私も暮らしをつくる一員として、みんなと対等な立場で意見を言います。

こうして、みんなで暮らしをつくっていく過程は楽しいですよ。それに、一人ひとりのちょっとした成長を感じるタイミングに出会うと、すごいうれしくなります。

戸惑ったのは週末の過ごし方かな。前職では、土日と祝日はかっちり休みでしてが、この仕事ではそういうわけにもいかなくて。入学したばかりで、まちを知らない寮生たちを放っておくこともできないし、かといって私自身も神山のことを知らなかったから。

それも、一か月も経てば『こんなイベントあるから一緒に行こう』って自然に誘えるようになりました。今はもう、どんどん寮生たちがまちの人とつながっていって、そのつながりから私も新しく出会ったりする循環が生まれてきて、それもまた楽しいことのひとつですね」

自分が大切にしていることを
胸を張って言えるかどうか

荒木さんにはじめて会ったとき、神山つなぐ公社のことを「自分が大切にしていることを、『これが大切です』と胸を張って言える環境だと思う」と話していたことがとても印象的でした。

「自分で考えて行動することが求められる働き方が、私には合っているなと思うんです」という荒木さん。この半年の間に、働き方に対する意識はどのように変化しているのでしょうか?

「あゆハウス」の敷地内につくられた畑「あゆファーム」。とうがらしがなっていました。もちろんみんなの食材です!

「いやあ、ほんとに楽しいですって言ったら、簡単すぎるかもしれませんけど、『合っている』という気持ちは本当に変わっていなくて。

私にとっては、『合っているかどうか』『違和感を覚えるかどうか』ってすごく大切なポイント。神山のこの暮らしも、神山つなぐ公社の取り組みもしっくり来ていますし、すごく心地よく、気持ちよく働けています。

最近、神山に来ていたインターンの大学生に『働いていると感じるのはどんなときですか?』って聞かれたんですけど、『働いているな』って感覚がどんどんわからなくなってきていると思いました。

前職では、どういうときに『働いている』と感じていたんだろう?それなりに忙しかったんですけどね。『決められたタスクをこなす』みたいなのが、『働く』という定義に近かったのかもしれません。

働いているのか、暮らしているのか。

もう、混ざってきちゃっているから、『生きているなぁ』って感じかもしれませんね」

 

 

インタビューをしていると、ぽとんと心に落ちてきて、そのまま自分のなかに居ついてしまうようなフレーズに出会うことがあるのですが、荒木さんの「『生きているなぁ』って感じ」がまさにそうです。

ときどき、なんということもないときに、ふと「『生きているなぁ』って感じ」という声が再生されることがあります。「ワーク」と「ライフ」を分けてバランスをとるやり方もあるけれど、それこそわたしにとっては両方をまぜこぜにして「生きているなぁ」と感じるほうが、「しっくりくる」からなのだと思います。

次のインタビューは半年後。その頃、荒木さんに何が起きていて、どんな言葉で話してくれるのか、とても楽しみです。

みんなの帰りを待っているキッチン。

かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

(更新日:2020.01.31)

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