ある視点

ふつうの人が面白い、このまちに馴染みたいと思った。

ここ徳島県・神山町は、
多様な人がすまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

この町に移り住んできた、
還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

彼女たちが出会う、人・景色・言葉を辿りながら、
冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

写真・生津勝隆
文・杉本恭子
イラスト・山口洋佑

vol.22 ふつうの人が面白い、このまちに馴染みたいと思った。

いといえりさん(アーティスト)

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「インタビューを受けますと言ってしまった後、ずっと後悔していました」。

開口一番、軽いジャブ(ねこパンチくらい)を打ってくる、いといえりさん。「『かみやまの娘たち』に登場する人たちはまぶしすぎる。私はそうじゃないのに」と言うのです。「いやいやいやいや!」と口ごもる私の背後で、カメラを取り出していた生津勝隆さんのあかるい声がしました。

「大丈夫、すぐ終るからね〜!」

すかさず、「注射じゃないんだから!」と切り返し、いといさんが笑います。ふたりの掛け合いにホッとして、わたしはそろりとインタビューの準備に取りかかりました。「いといさん、関西弁みたいだけど、ご出身はどちらですか?」なんて言いながら。

栃木からロンドン、
服飾からドローイングへ

「出身は栃木です」と言われてちょっと驚きました。大阪で生まれ育った大阪弁ネイティブな私の耳にも、違和感なく聞こえたいといさんのイントネーションは、てっきり西日本のものだと思っていたからです。

「ここに来る前はイギリスにおって、その前はバリバリの栃木弁。こっちに来たら栃木弁を話す機会がないから、どんどん阿波弁に染まっていったんよ」。

栃木弁から英語、そして阿波弁。いといさんが過ごしてきた、三つの言語世界について、まずは聞かせていただくことにしました。

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「高校までは栃木にいて。地元高校の服飾デザイン科に通っていました。もともとは農業学校だったけれど再編して、農業、食品、土木、情報など学科が7つもあって。本当にいろんな子がいたからすごく面白かった。

高校卒業後、ロンドンのファッション系大学に留学しました。ところが、デッサンの授業で先生に「あなた、どうして絵の方に進まないの?」って言われて。

自分でもなんとなく迷いはあったんです。

正直、ファッションカレッジのビッチさにも負けていました。自分より出来がいいと思えば、隣にいる私の課題としれっと交換するし、裁ちバサミにサビが出たらピカピカに磨いてある私のものと取り替えるし。ウブだったんですね、私も。今なら、めちゃめちゃ名前を書いて防ぐところからやりますけど(笑)。

1年後、ぐっと進路変更をして、エディンバラにある美術大学のドローイング・ペインティング学科に移りました。卒業制作展を見てくれた、ロンドンのギャラリーの人に拾ってもらいトントンと話が進み、すぐに個展をやらせてもらって。

エディンバラにて、絵を制作しているいといさん。

エディンバラにて、絵を制作しているいといさん。

ロンドンのギャラリーにて(2006年)

ロンドンのギャラリーにて(2006年)

その勢いで、年何回かグループ展を開いたり、ヨーロッパやニューヨークのアート・ショーに持って行ってもらったりして。プロの画家って言うとアレですけど、うん。絵を描いて売っていたんです」。

「アート」「空き家」を検索して
神山というまちを見つけた

大学を卒業してから約5年間、いといさんはエディンバラで絵を描きながら暮らしていました。やがて、同じ学科の1学年上にいたルーファスさんと結婚。家の購入を検討しはじめます。

イギリスと日本を比較するなかで、都心を離れさえすれば安価な空き家が手に入る日本への帰国が選択肢として浮上します。なにげなく、「アート」「空き家」で検索したとき、一番上に表示された(当時)のは、「イン神山」のWebサイトでした。

イン神山より、2009年3月8日『3月「粟生の森づくり」』の記事。書き手はNPO法人グリーンバレー理事のニコライさん。この「ぎゃは!」に、いといさんは反応。

イン神山より、2009年3月8日『3月「粟生の森づくり」』の記事。書き手はNPO法人グリーンバレー理事のニコライさん。この「ぎゃは!」に、いといさんは反応。

「ニコライさん(NPO法人グルーンバレー理事、河野公雄さん)の記事を読んで、『おお!』と思って。ふつうの人が楽しそうっていうか。アートしているからとかじゃなく、ふつうの人がみんなで楽しくしているのに惹かれました。

しかも、神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)も面白そう。『一度、お試しで行ってもいいですか?』と連絡したら、『KAIRの作品展覧会も始まるし、レジデンスのさよならパーティもあるからちょうどええわ』とお返事をもらって。

初めて神山を訪ねたのは、2009年の秋でした。

ニコライさんの家(ニコライハウス)に泊めてもらい、ルーファスとふたりで神山を見てまわりました。自転車だったから、いちいち細かいことも目に入ったのがよかったんでしょうね。前に進まないぐらいわーわー言って町をぐるぐる回って。

2009年、神山を訪問したときのいといさん。

2009年、神山を訪問したときのいといさん。

『もう、行ってまえ!』って勢いで決めたんです。

吟味してどこかと比べて『どこで仕事をして、どう暮らして』とかまったく考えずに、ルーファスとふたり『ここやろ?』って。自分たちが自分たちである以上、どこに行っても同じようなことでくよくよするし、同じことで悩んで、同じような状況に陥るってわかっていたから。

よく、周りの人から「ずっとおるつもりなんえ?(いるつもりなの?)」って言われますけど、よほど恐ろしいことが起きない限りはここやなと思っています。環境もそうやし、9年の間に知り合って築いた関係もあって、良くしてもらっていますし。『ここ以外に住めるところはないやろ』って」。

家の前の畑を借りたら
町の人との関係が変わった

いといさんとルーファスさんは、翌2010年に神山に引っ越しました。最初に暮らしたのは、今も大埜地の集合住宅の敷地内に残っている「教員宿舎」。まだ仕事も、暮らし方も決まっていなかったけれど、いといさんにはひとつだけ決まっていたことがありました。

神山に伝承されている阿波人形浄瑠璃・寄井座への参加です。

家探しの合間に練習を見学させてもらったとき、思わず「(寄井座に)入れて下さい」と申し出てしまったそう。いといさんは「あのときは、一人ひとりがどんな顔をして私の“やりたい宣言”を聞いていたか、見てもいなかった」と言います。

名西郡中学校弁論大会で寄井座が上演した「えびす舞」。めでたい演目です。

名西郡中学校弁論大会で寄井座が上演した「えびす舞」。めでたい演目です。

「寄井座の人形のうつくしさを見たとき、『触りたい!』『私もやりたい』って思ったんです。座長の奥さまはとてもオープンな方で、まったく右も左も知らない、仕事も決まっていない私を入れてくれました。

引っ越してすぐ、寄井座のメンバーを中心に町との交流がはじまりました。地元の方たちに混じって働きたかったので、『神山温泉ホテル』でパートもはじめました。梅、すだち、柚柑(ゆこう)、柚子などの農繁期が来たら、どこにでもふたりで手伝いに行って農作業をして。

いといさんは寄井座の最年少メンバー。去年から「主遣い」(人形の首と右手を受け持つ)をように。座員、絶賛募集中だそうです。

いといさんは寄井座の最年少メンバー。去年から「主遣い」(人形の首と右手を受け持つ)をように。座員、絶賛募集中だそうです。

「寄井座の人たちは穏やかな人ばかり。以前、本番中に舞台が歪むほど転んだときも、お客さんが息を呑む音が聞こえたのに、『こけてたん?』『いけた?』で収まって、笑い話」。

「寄井座の人たちは穏やかな人ばかり。以前、本番中に舞台が歪むほど転んだときも、お客さんが息を呑む音が聞こえたのに、『こけてたん?』『いけた?』で収まって、笑い話」。

大学を卒業してから、ルーファスはデザイン事務所で働いていて、私は絵を描くことで生活が回っていて。もう世界を知ったような気になっていました。だけど、神山に来たら知らないことばかり。今まで、すごく小さな世界にいたんだとわかると恥ずかしくて。めちゃめちゃ、神山に馴染みたい!と思ったんですよ。

当時はまだ移住者も多くはなくて、ちょっと浮いている感じがしたんです。そういうことはわかるんです、私にも。ルーファスはイギリス人だし、私の日本語も怪しげだし、それでいてけっこうグイグイ行くし(笑)。

ここのみなさんの生活のしかた、リズムに馴染みたくて、さっそく家の前の畑を借りました。そしたら、親切な大埜地の人たちがいろいろと教えてくれるんですよ。

初対面の町民の方にあいさつするときも、『大埜地に住んでいて、畑を借りています』と言うと『お、畑を借りとるのか』ってなるんです。えたいの知れない人というよりは、『畑をやろうとしている人』であることが、私たちを知ってもらうヒントになる。畑が私たちを町に近づけてくれているというような、不思議な感覚がありました」。

神山に馴染めば、馴染むほど、
「絵を描く自分」が離れていった

いといさんは神山温泉ホテルで働き、ルーファスさんは主夫をしながら作品を制作。農繁期にはふたりで農作業に出て……。エディンバラから神山に来てから、ふたりの生活はガラリと変わりました。

そして、いといさんは絵を描くことをいったん手放します。

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「移住を考え出した頃にリーマン・ショック(2008年)が起きて。古典的な油絵や彫刻でもない、走り出したばかりのアーティストの作品が売れにくくなったんですね。それと同時に、ショーに出せば出すほど、周りの反応に合わせなければいけないんじゃないかって、自分がブレ始めたんですよ。

当時は、しかめ面をしたり、変顔をした自分の顔をデジカメで撮って、それを参考にしながら、体型もアンバランスでいろんな要素を身にまとった、非常にこだわりの強い子を描いていました。0.0何ミリの細いシャープペンで線を描いて、何回か寝かせてはまた細かさを極めるという、まるで儀式のような絵です。

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イギリスにいた頃のいといさんの作品。パッと全体を見るとかわいらしい印象を持つけれど、ディテールに目を凝らすと不思議な世界に引き込まれていく。

イギリスにいた頃のいといさんの作品。パッと全体を見るとかわいらしい印象を持つけれど、ディテールに目を凝らすと不思議な世界に引き込まれていく。

ネガティブなこと、たとえば『つらい』なら『つらい』という気持ちをどんどん掘り下げていくと、それを肯定しようとする気持ちが絵に出る、みたいな感じなんですけどね。

大学を出たころは、わーってそのまま描いていればよかったけど、そうもいかなくなってきて。話をもらって描こうとすると、『進化してもっと面白くしなきゃ』ってプレッシャーが苦しくて、だんだん細っていったんです。

ちゅーっとなりながらも何とか描いていたけれど、神山にきて『馴染みたい』と思ったら、さらに絵が描けなくなった。なんか、絵を描いている自分と神山でわーって農作業を手伝ったりしている自分が合わなくて。

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好きなことをしていたいけど目立ちたくはないから、神山に馴染んだら自由になれるかなって思っていたんですけどね。

まだ、絵はリハビリ中です。最近は、私も年齢を重ねて図太くなってきたので『全然、絵を描いてたってええやん。何してたってええやん。嫌やったら嫌って言ってもええんちゃう?』って感覚が混じってきたので、好きにやれる気もします。

ただ、当時みたいな、内にこもった繊細さはないから、そういう意味ではちょっと怖いと思いますけど。もう、面白いものをつくれないんじゃないか、みたいな。でも、そういう自由は手にしたような気がします」。

神山に暮らして10年、
世界はまだ広がっていく

現在、いといさんは6歳の男の子のお母さんになり、グリーンバレーでKAIRの運営に関わる仕事をしています。神山町内での3回の引越しを経て、ようやく長く住み続けられる家も見つかりました。

今年の秋には、家の一室をギャラリーにする試みも始まりました。何かを発表する場ではあるけれど、いわゆる“ギャラリー”とはちょっと違う。そこには、神山にしっくりと馴染んだことから生まれた、新しい感覚が現れているようです。

丘の上にあるいといさんの家からの風景。神山の人たちが、急勾配をものともせずに山手に暮らす理由がわかる。

丘の上にあるいといさんの家からの風景。神山の人たちが、急勾配をものともせずに山手に暮らす理由がわかる。

「アートの世界のギャラリーは、選ばれた人だけが作品を展示します。そうじゃなくて、名前や経歴ではなく、純粋にきれいなもの、面白いモノをここで見てもらいたいなと思っています。

町内の人って、何かしら面白いことをしているんですね。それは、洗練されてはいないけれど、洗練されたアートよりもっと面白かったりする。ちょっと毒があるものに注目したいんです。自分たちがそうだから。

洋服でも『あー、めんどくさいなこの服』みたいな服が好きだし、絵を描くときもホコリがふわっと落ちてきたら『じゃあ、ここにこのパターンがいるな』と思ったりするし。なんていうか、遠回りするような不器用な感じ、間違いをこねくり回すとか、そういうものにある美しさを『ええやん』って思うんです。

ルーファスさんが真っ白にペイントしたスペースでの展示。

ルーファスさんが真っ白にペイントしたスペースでの展示。

純粋に、自分たちが面白いと思うものをここで見せたいなと思います。別に世界平和にはつながらないかもしれないけど、日々を楽しく。

もうすぐ、神山で暮らしはじめて10年になります。

最初は、グリーンバレーのみなさんにお世話になって、移り住んでからは寄井座や神山温泉に関わることでちょっと広がって。大埜地、上分、下分と引っ越すたびに、その土地と地の人と徐々につながって広がっていった感覚があって。同時に移住する人も増えて行って、息子が生まれて。

KAIRのアーティストも、毎年違う人たちが来て、けっこうな確率で再訪してくれるんですよ。すると、私たちはずっとここにいるんだけど、年に何回も「ひさしぶり!」「もう行っちゃうの?」「またね」を繰り返しています。

私の感覚では、世界が広がっていって、自分がいるところをより客観的に見ているというか。全然、世界が狭くなっているっていう感じはないですね」。

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いといさんとのインタビュー、私はとても楽しかったです。

“純粋に、面白がって”いる自分をずっと感じていました。

でもやっぱり、いといさんは最後にも言うんです。「私なんて、ちっさいし、薄っぺらいんです。なんで日の光を浴びに来たんだ!っていう、ねえ」と。

そういえば、いといさんを紹介してくれた人は「野生動物を慕うように遠くから見ている」と言っていたっけ。たしかに、そんな感じなのかも?

今度はいつ会えるかどうかはわからないけど、また会いたいな。

今日も、神山で暮らしている、いといさんに。

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かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

(更新日:2018.11.15)

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