ある視点
vol.19 神山の暮らしに寄り添う「まちの建築士」でありたい。
赤尾苑香さんは生まれも育ちも神山町の建築士さんです。
徳島市内の建築事務所に勤めた後に独立。神山町内で事務所を開きましたが、ほどなくして「神山つなぐ公社」に参画。2016年春から「すまいづくり担当」として、神山町が進める「集合住宅プロジェクト」や「民家改修プロジェクト」を担っています。
過去3回のインタビューでは、神山つなぐ公社での2年間を時系列で聞かせていただいてきました。いつもなら、「その続き」を聞く流れになりますが、今回はもう一度ことの始まりに戻って、2年間をたどりなおしていきました。
赤尾さん自身が、人生に何度か訪れる“門出の瞬間”を迎えていたからです。
同じまちの、同じ世代の、
同じ仕事をする人たちに出会う
前回のインタビューのとき、赤尾さんは「どんな家を建てたいか」よりも、「どういう風に家を建てていくのか」を大事に思っているのだと話してくれました。
「たとえば、神山で新しい家をつくるなら、山林の課題にも配慮して木材を選び建て方を考える。そして、そのやり方を共有できる人と一緒に作っていきたいと思っています」。
赤尾さんは、ずっと前から「やり方を共有できる人」との出会いを望んでいました。とりわけ、プレカットではなく切り組み(手刻み)で木を加工できる大工さんと出会い、一緒に仕事をしたいという思いがあったそうです。
「2015年の春に、独立して「その建築設計工房」をはじめたとき、思っていたことが二つあります。ひとつは、自分の町に関わっていきたいということ。もうひとつは、木を扱える大工さんと出会って一緒に仕事をしたいということ。「どうやってつくるか」の部分を大事する気持ちを交わせる大工さんと出会いたいと思っていました。
そう思っていたことが、今はすんなりかなっている。
想像していたよりだいぶ早かったなとすごく思っていて。
私は神山の外で仕事をしていたので、このまちで働いている人たちとは接点がなかったんですね。初めて、このまちの大工さんに出会ったのは、『民家改修プロジェクト』のために『工務チーム』をつくったときでした。
工務チームは、若手大工の荒井充洋さんと大家稔喜さんをを中心に、このまちの工務に関わる人たちや、移住や空き家の施策に関わる若いメンバーが集められています。
神山には、お父さんと一緒に大工の仕事を受け継いでがんばっている若い大工さんがいます。でも、まちのなかに仕事がないから外に働きに出ざるを得ない状況があるんですね。工務メンバーのひとり、小西製材所の阿部健治さんはそのことを知っていたから、ぽろっと言ったんですね。『そういう若い人たちに仕事をつくってあげたいんよなぁ』って。
『民家改修プロジェクト』は民家を改修すると同時に、工務の仕事をする若い人たちが『この町で自分たちの仕事の環境をどうつくって行けるのか』を一緒に考えられる機会にしよう。そんな思いを背景に、工務チームは立ち上がりました」。
一緒に手を動かすことで
チームのなかに入っていけた
赤尾さんと同年代の若手が多いとはいえ、工務チームのメンバーは「はじめまして」の人たち。紅一点ということもあり、赤尾さんは最初ちょっと緊張していたそうです。
今は、そんな空気はどこへやら。チームの一員として、思いっきり言いたいことを言い合える関係になっているようです。その変化のプロセスを、ちょっと聞かせていただきましょう。
「最初はたぶん、チームのみんなに「おとなしいな」と思われていたと思うんです。すっごいよそよそしかったというか。それが、2年経ったらもう「口悪いでよ!」って職人さんたちに言われるぐらいです(笑)。
私のなかではそれがすごく心地よくって。
もともと、自分を出せなくて。仲のいい友だち以外には「本当に本当の自分のままで出せているのかな」と思っていたんですよね。ノーと言えない自分が、自信がない自分が好きじゃなくて変わりたいと思っていましたし。
今、工務チームのなかでは本当に素を出せています。一緒にプロジェクトを進める中で、工務チームの人たちがそういうふうに自分を変える環境をつくってくれました。
実は、予算を抑えるために、DIYでできることは自分たちでやっていて。朝とか夜とか、どろんこになりながら庭を片付けたり、壁を塗ったりしよったんです。西分の家は面積が広かったので、塗っても塗っても終わらなくて。
大工さんたちに「もう帰るけんな」と言われてからも、「はいはい!」と電気をつけて遅くまでやっていて。自分がどこまで本気かは、やっぱり言葉だけでは通じません。そうやって現場に入らせてもらったからこそ、気持ちをぶつけあうこともできたし、チームのなかに入っていけたんだと思います。
西分の家の改修がはじまった頃、年末ギリギリまで大工さんと解体作業をしていて、「明日から正月休み」っていうときに、「今晩飲みに行くか」ってなったんです。もう夕方だったのに、工務チームのみんなに声をかけたら、都合が悪くて来られなかった一人を除いて全員が集まったんですよ。
仕事納めもした年末の夜に、ですよ。
そのときの雰囲気がとてもよくて。私が工務チームを心地よく感じているのと同じように、もしかしたらみんなもそう感じてくれているのかもしれない、だんだんチームになっていってるなぁってとても嬉しい夜でした。
もし私が、『発注者の立場でプロジェクトを進める赤尾さん』の範囲に留まっていたら、彼らと気持ちは交わせなかったんじゃないかな。発注者としてだけでなく、工務チームの一員でもいさせてもらえたことがすごくありがたかったと思っています」。
このまちで、誰と一緒に
どんな仕事をつくっていく?
工務チームのメンバーとともに民家改修を進めていくなかで、赤尾さんは「この経験をどうやって自分の仕事に変えていけるだろうか」というところに意識を向けていきました。神山つなぐ公社に参画するときに「3年間は続ける」というゆるやかな約束をしていたからです。
「3年が経ったとき、自分はどうするんだろう?」。
決して仕事のチャンスが多いとは言えないこのまちで、建築士として、誰と一緒に、どんな仕事をやっていくのか? そしてこの春、赤尾さんはまず「誰と一緒に?」という問いに対して答えを出しました。
「前のインタビューのときは、3年後のことが全然見えなくて。『自分は、何を大事にしながらどういう方向でやっていくんだろう』とモヤモヤしていました。集合住宅の工期が伸びたこともあり、3年が過ぎても公社の仕事に関わることはハッキリしているけど、自分自身の仕事はどうつくっていくんだろうって。
民家改修や集合住宅のプロジェクトで得た知識や経験を生かしながら、自分と同じ気持ちで一緒に恊働してくれる人は誰だろう?と思ったとき、私のなかでは大工の荒井さんだったんですね。
荒井さんは、西分の家の元請けをしてくれたので、現場で打ち合わせすることが多かったんです。打ち合わせの後は、『この先、どういう改修をしていけばいいか』『これから自分たちの仕事をどうしていこうか』と話しこんでいて。気がつくと、2時間、3時間と経っていることもありました。
とにかく熱いんですよ、荒井さんも。
こっちの熱にちゃんと返してくれるから、「よっしゃやろか!」と元気になれるし、襟を正される。建築に対する考え方に一本筋が通っていて妥協もしない。常に前を向いているから、一緒に仕事をしていても話していても気持ちがいいんです。
自分のなかの熱量と同じところでやりあえる感じがすごくあるから、自分の気持ちが健やかにおれるんですね。
『建築士と大工として、一緒に仕事をしていきたい』と伝えると、荒井さんは『もし、できるんだったら夏からやってみんで?』と返してくれて。
まずは、今夏から週に一日だけ、公社以外の仕事をする日をつくることにしました。荒井さんとやっていく仕事は、今まで公社でやってきたこととかけ離れたものにはならない。違うかたちでちゃんと一緒につながっていけるかたちをとれるだろうと思っています。
これから、私は公社と並行して荒井さんとの仕事をはじめていくけれど、工務チームのメンバーとは、お互いに同じまちのなかで高め合っていける関係でいたいと思っています。
またいつか、工務チームで集まって同じ家の改修をするかもしれない。そのときまで恥ずかしくない仕事をしていたいし、また飲みにも行って熱い話やくだらん話もしたいなって思います」。
“まち医者”みたいな感じで、
“まちの建築士”でありたい
前回のインタビューのなかで、赤尾さんは「今は、家を設計していくことがそもそも自分に向いているのか、自分がやっていいことなのかというところまで、振り出しに戻って考えています」と話していました。
なんで、そこまで自分を問いなおすことになったのか。
新しい一歩前に踏み出そうとしている今、設計の仕事に対する気持ちにも変化はあるのかどうか聞いてみました。
「建築家と言われる人たちほど、『建築とは?』を突き詰めている設計者かというと、自分はまた違うなという自信のなさはあります。そういう意味では、『向いているんだろうか』という気持ちはあるでしょうね、ずーっと。
たぶん、私は建築“家”ではなくて、建築“士”だと思っていて。たとえば、『まち医者』みたいな感じで、『まちの建築士』ではありたいな、と思っているんです。
もう10年ぐらい参加している、徳島県建築士会での活動では、設計だけでなく、福祉や防災、住育・木育、空き家問題やまちづくりなど、地域に関わるさまざまな取り組みがあります。
建築士って、本当に多方面で人々の暮らしに直結する仕事なんやなと思うと、まちの人たちに近い存在でありたい。だから、独立したときは、建築士として自分のまちに関わる仕事をしていきたいと思っていましたし、神山つなぐ公社を通してその思いはすごく実現されていて。
この間も荒井さんと話していたんです。
『とにかく、今はもらっているばっかりやな』って。
地方創生のなかで『つなプロ』が生まれて、民家改修や集合住宅のプロジェクトがはじまりました。それがあったから、仕事にしても人脈にしても、いろんな経験をもらえたと思っていて。今度は、私たちがまちに還していく番です。
自分たちがこれから始めることが、ちゃんとまちにとっていいかたちになるようにつくっていきたい。とは言っても、求められてもいないのに『還したいです!』っていくことではなくて。
ほんとにこつこつと、必要だと望まれること、求められていることに、嘘なく誠実に答えていきたい。誰かが困っていること、相談をしてもらったことに、一つひとつ応えていくことかなと思っています」。
インタビューの後、
今回は一人暮らしを始めたばかりのお部屋にてインタビュー。「昨日引っ越したばかり」というはじまりの場所で、これから満ちていく新月のような赤尾さんのお話を聞かせていただいた気持ちです。
このお話の続きはまた、半年後に。
赤尾さんのこれまで
▼第一回目(2016.12.15)
「家は、住む人たちと共に生きて、ふるさとの風景になる」
▼第二回目(2017.06.19)
「鮎が川に帰るには? あたらしい集合住宅づくりの話」
▼第三回目(2018.02.08)
「町に住む5464人に宛てた“手書きのおたより”」
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杉本恭子
すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、
京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。 人の話をありのままに聴くことから、 そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。 本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。 神山でのパートナー、フォトグラファー・ 生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。
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