COLUMN
かみやまの娘たち

ここ徳島県・神山町は、多様な人が
すまい・訪ねる、山あいの美しいまち。

 

この町に移り住んできた、還ってきた女性たちの目に、
日々の仕事や暮らしを通じて映っているものは?

 

あるいは、地方創生という国の大きな流れは
一人ひとりの人生の細部にどんな影響を及ぼしている?

 

彼女たちが出会う人・景色・言葉を辿りながら、
めいめいの変化と、神山町で起きていることを追いかけていきます。

 

冒険と日常のはじまりを、かみやまの娘たちと一緒に。

 

 

写真・生津勝隆 文・杉本恭子 イラスト・山口洋佑

vol.24 「自分の枠を外し、あり方をととのえる環境を求めて」〈徳島県・神山町〉

INTERVIEW 神山つなぐ公社/秋山千草さん

秋山千草さんにはじめて会ったのは、彼女が神山に引っ越した翌日のこと。

 

どこかおっとりした雰囲気があるけれど、話し方はハキハキしているし、笑顔は活発な少年みたい。「窓から見える風景が、まだ日常な感じはしないですね」と話すようすがとてもまぶしかった。出会いの瞬間にしかない真新しい風景を、今この人は見ているのだなぁ、と。

 

秋山さんは、神山つなぐ公社のひとづくり担当チームに合流するため、そして彼女自身のいくつかの理由によって、生まれ育った東京から神山にやってきました。

 

5月はじめと10月終わりに行った2回のインタビューから、秋山さんについて書きはじめようと思います。

次の「ワクワク」を
探しているときだった

神山に来る前、秋山さんは「放課後NPOアフタースクール(以下、放課後NPO)」で6年間勤務。放課後の学校をフィールドに、地域の大人が子どもたちに関わり育てる時間をつくる「アフタースクール事業」などを担当し、とても充実した日々を送っていました。

 

入社時には4人だったスタッフも、6年が経って約60名に。頼れる仲間が増えてくる安心感からだったのでしょうか。「新しい道を探すことに意識が向いている」ことに気づいたそうです。

「単純に、新たなフィールドでチャレンジしたいなと思っていたんです。

 

放課後NPOは、新しいことをどんどんやれる柔軟性のある場所でした。仕事もすごく思い入れがあったけど、いつしか私のなかに『違うフィールドでもっと自分の視野を広げて成長したい』という気持ちが芽生えてきていて。

 

そんなとき、参加したのが西村佳哲さんが開催する5泊6日の「インタビューのワークショップ」でした。西村さんから聞く、今の神山で起きていることに興味が湧いたし、西村さんも「神山に来て放課後NPOの話をしてほしい」と言ってくれて。」神山つなぐ公社の森山円香さん(ひとづくり担当)につないでもらいました。

 

森山さんに会ったのは、2018年1月。東京に出張で来られたときです。神山つなぐ公社で進めている、『ひとづくり』の取り組みをいっぱい聞かせてもらって。歳も近いしフィーリングも合うし、初対面なのに気づいたら3時間ぐらいわーって話して盛り上がりました。

 

デンマークには、17歳以上なら国籍、宗教、民族に関わらず入学できる『フォルケホイスコーレ』という成人向けの全寮制教育機関があります。好きな授業をとって学びながら、自分が好きなことを確かめる”立ち止まり期間”みたいな学校です。

 

森山さんに『神山はフォルケホイスコーレみたいな感じよ』と言われたとき、『めっちゃおもしろいな!』とワクワクしました」。

思わず手を挙げて、
神山に来ることを選んだ

「3月に、神山の地域と教育をつなぐ人づくりに取り組む人を募集する3days meetingをするから来ない? いろんな人が話すから、神山についていろいろ知れると思うよ」。

 

森山さんに誘われて、秋山さんは3days meetingに参加。初めて神山を訪れました。

 

NPO法人グリーンバレーが20年をかけてつくってきた神山らしいまちづくりの文化を感じたり、「まちを将来世代につなぐプロジェクト」が多様な人に支えられて進んでいることを知ったり。

 

気がついたときにはもう、ワクワクを止められなくなっていたそうです。最終日に「一緒に働きたい人は面談をしましょう」と言われたとき、すっと自然に手を挙げてしまうほどに。

 

でも、秋山さん。

 

どうしてそんなにワクワクしてしまったんですか?

「3daysでいろんな人のお話を聞いていて『今までは、放課後の小学校がフィールドだったけれど、神山ではその枠を広げてまち全体でそういうことができそう』だと思うと、すっごくワクワクしたんですよ。

 

神山に来た理由はもうひとつあって。

 

自分のあり方を整えたいと思っていたからです。
けっこう負けず嫌いなので、前職ではできる人と自分を比較して劣等感を感じたりしていたんですね。そういうのをやめて、『自分はこういう人だよね』というのを確立したいと思っていました。

 

このまちの空気感のなかにいたら、それをできそうだと思いました。

 

他にも魅力的な取り組みをする組織はありましたが、頭で考えるよりも神山へ惹かれる気持ちを大事にして、来ることを決めたという感じです」。

“ポジティブな大変さ”が好き。

今、ひとづくりチームは、森山さん、秋山さん、そして秋山さんと同時期に参画した梅田さん(男性)のトリオ体制。入社から半年が過ぎ、秋山さんと梅田さんは担当プロジェクトをぐいぐい引っ張る存在になっています。

 

「この半年って、大変でした?」と聞くと、「大変かといえば、大変だったんですけど」と、ちょっと考えてから口を開きました。

 

「この間、ふと自分のことを考えたときに、大変なのが好きなんだなって思いはじめたんです。ネガティブな大変じゃなくて、ポジティブな大変さを味わっているんだなって」。

 

続けて、秋山さんは「国際交流プロジェクト」の話をはじめました。神山町の中学・高校の子どもたちと一緒に、オランダの学校を訪問してすごした9日間のことーー。

国際交流プロジェクトの事前研修。「こんまい屋」でオランダに着ていくTシャツを染めました

「中高生ってシャイだから、最初はみんなしゃべらない。表情もそんなに豊かではないし、チームビルディングをしてもいつも同じ子しか発言しない、みたいな感じで。

 

ところが、オランダに行って向こうの子どもたちと交流をはじめたら、みんなの目線が上がったんです。オランダの人たちはすごい積極的に話しかけてくれるから、神山の子たちも自分からしゃべるようになって。たった9日間だったのに、見違えるような変化を感じました。


オランダの生徒たちと交流するうちに「どんどん表情が変化していった」という生徒たち。楽しそう!

初めての海外で、文化や価値観、表現の仕方も全然違う人たちに出会うと、短期間でこんなに人って変わるんだなぁって。

 

私もふだん使わない英語で外国人と接しているうちに、いつもよりも一段階テンションを上げてコミュニケーションをしていたから、エネルギーがいっぱい出ている状態で過ごしました。

 

そのテンションのまま帰国して、「どうもー!」って出社したら、みんなにビックリされて(笑)。笑いのツボも浅くなっていてすぐ笑っちゃうし、森山さんには「オランダで何があった?」って言われるほどです。

 

それまで変化が見えにくかった子たちの成長も見えて、自分も元気になって。改めて、人が成長し、イキイキとしていく姿を見るのがすごく好きなんだなと思いました。

神山に引っ越して、神山校で学ぶことを検討する生徒たちを対象とした、2日間の宿泊型プログラム「地域留学2days」。川遊びもしました。

今は、城西高校神山校に県外あるいは県内から引越しを伴う入学をする生徒たちの住まいを整備する仕事を担当しています。古民家の改修に関わったり、暮らしに関わったりすることには今までにない経験で。

 

やったことのないことだから大変だけど、それがおもしろい。
今は、そんなふうに思いながらやっています」。

はじめての海外はインド
そして、アフリカに憧れて。

オランダの話をしているとき。秋山さんが「初めての海外ってこんな感じだったかなあと思った」と言うので、ふと「初めての海外旅行はいつでしたか?」と聞いてみました。

 

「高1の3学期が終わる頃、インドに行きました」。

 

えっ、高校1年生でインド? なんでまたインドだったんですか?

 

「大学生だった一番上の姉が、やたらとインドやバングラデシュに行ってたんですよ。『お姉ちゃん、なんでそんなにインドに行くの?』って聞いたら、『千草も行ってみる?』って言われて、ノリと勢いで行くことを決めました。

 

インドでは、姉の大学の教授が主催するスタディツアーに参加。ダム建設に反対するデモやローカルな村でよくわからない儀式に参加したり、英語もヒンドゥ語も通じない家に一泊したり、スラムとお金持ちの住むエリアを隔てる通りを歩いたり……。

 

インドという国が放つエネルギーも強いけど、ツアーの内容がまたディープだったから、自分のなかでいろんな価値観が壊れたんだと思います。海外に行くハードルも下がって、何か迷うことがあるときは「どこか海外に行って刺激を受けてくるか」って感覚になりました。

 

初めてアフリカに行ったのも、そういうタイミングでした。

 

子どもの頃から創作ダンスをしていて、大学1年生まではダンサーになることが夢でした。大学では部員が200人くらいいる、ダンスサークルに入りましたが、最前列には入れてもセンターはとれない。

学生時代のダンスチームで踊る秋山さん(中央)

私は上手い人たちみたいに、努力して競争する気持ちになれなかった。ダンスは楽しく踊っていたい。そう思うとダンサーになるという夢が遠のきました。夢がなくなって、将来何をしたらよいかわからなくなった時に『どこか海外に行って、新しい気づきをもらおうか』と考えていたら、たまたまアフリカンダンスに出会ったんです。

 

アフリカの人は、上手いとか下手とか関係なく体全体で楽しそうに本能のままに踊っている感じ。実際にアフリカに行くと、向こうの人たちはほんとに気持ちのままに今を生きているのを実感しました。

お祭りで一緒に踊る秋山さん

道端でもすぐにダンスが始まります。一緒に踊り出す秋山さん

たとえば、マサイ族の人たち。ケニアとタンザニアの政府は、遊牧民の彼らの定住化政策を進めていて。『そんなことしたら、マサイ族の自然に根ざした暮らしが失われちゃう』と思うのだけど、彼らは『2ヶ月先のことなんてわからん』みたいな感じなんですよ。

 

時代は移り変わるから、守れるものは守っていく。先のことは、そのときに考える、みたいな。「あ、それでいいんだ」と思いました。

 

自分も含めて、先のことばかり心配している日本人ってなんか違うなあと思って。大学を卒業したらアフリカに行こうと決めました。先のことを考えずに、今を大事に生きている人たちに埋もれて、そういう人になりたかった」。

いろんな生き方に出会うほど
生きる選択肢が増えていく

アフリカから帰国すると、アフリカで生活するために日本語教師の勉強をはじめた秋山さん。それと同時に、「ダンサーにならないなら、将来は何をしていこう?」と真剣に考えはじめます。

 

「私は、平和主義なので、人と人が上手に関係を結ぶ状態がいいなと思いました。それには、いろんな人が受け入れられる状態と、器になる場所があればいいんじゃないかなって」。

 

もしも、子どもの頃からいろんな人に関わり合い、受け入れ合う関係になれていれば、大人になってもそのままでいられるかもしれない。そんな風に考えていた秋山さんが見つけたのが、放課後NPOだったのでした。

「自分自身のことを振り返ると、小さいときからいろんな人と関わっていたんですね。

 

両親は演劇を通じて知り合ったので、劇団の仲間がうちに遊びに来るんですよ。仕事がよくわからない、ゆるっとした人たちばかりで、いわゆるサラリーマン的な人はいなくて。むしろ、“普通の社会人”をあまり知らずに生きてきたから、自然と自分らしい選択をしようとするのかなって。

 

『小学生の時くらいから、いろんな生き方に出会うことが大事なのかも』と、子ども自身にアプローチする方法を探しはじめました。

 

ちょうどその頃、渋谷区の小学校でボランティアをする機会があり、多くの子どもが学童クラブに行っていることを知りました。そんなにみんなが学童クラブに行くなら、放課後の子どもたちがいろんな大人と過ごせたらおもしろいんじゃないか? と、思うと同時に、すでにそんな活動はないのかなと思って調べていたら、放課後NPOに出会ったんです。

 

放課後NPOでボランティアを始めて、すごく楽しかったけど仕事になるとは思っていなかったんです。そしたら、友達に『そんなにおもしろいなら、そのNPOに入ってしまえばいいじゃん』って言われて。『なるほど、その方法があったか!』と思いました。

 

代表には『新卒はどの会社にも行けるゴールドカード。よく考えたほうがいい』と、2、3回断られました。最後に、『うちは非常勤でしか雇えないから』と言われたとき、『あ、非常勤なら雇ってくれるんだ!』って(笑)。

 

週3日の非常勤として働きはじめてからも、アフリカに行くつもりで日本語教師の勉強は続けていました。でも、だんだん放課後NPOの仕事の比率が高くなり、正社員にしてもらうタイミングでいったん勉強はやめました。

放課後NPOでも「アフリカプログラム」を実施したそう

アフリカは、今でも行きたいなぁとは思いますけど。
最近は、『アフリカじゃなくてもあるな』と思っています。

 

それこそ、神山にもいろんな生き方をしている魅力的な人がいっぱいいます。今いる環境のなかで、自分の感じ方や軸が変わればアフリカまでぶっ飛ばなくてもいいエッセンスをもらえるかなと思っているので。今は、アフリカ熱は落ち着いています」。

 

 

「大変なのが好き」と言ってしまう、パワフルさ。
アフリカと神山を同じ地平で語る、スケール感。

 

あっけらかんとスゴいことを言ってのけるところに、彼女の器の大きさを感じてしまいます(みなさんもそう思いませんか?)。

 

次のインタビューは、また半年ほど後に。

 

神山を舞台に、これから彼女の風景はどう変わっていくのか。

 

続きを聴くのが本当に楽しみです。

 

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かみやまの娘たち
杉本恭子

すぎもと・きょうこ/ライター。大阪府出身、東京経由、京都在住。お坊さん、職人さん、研究者など。人の話をありのままに聴くことから、そこにあるテーマを深めるインタビューに取り組む。本連載は神山つなぐ公社にご相談をいただいてスタート。神山でのパートナー、フォトグラファー・生津勝隆さんとの合い言葉は「行き当たりバッチリ」。

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